刑事の亡き母に繋がっていた。
祈りの幕が下りる時
日本橋に残された手掛かりから、二つの事件の接点を松宮と加賀が追う。
日本橋署の刑事・加賀恭一郎は、どういういきさつでこの町に来たのか。『祈りの幕が下りる時』は、シリーズがずっと脇に置いてきたその来歴へ踏み込む長編です。
明治座に幼馴染みの演出家を訪ねた女性が、遺体で発見された。捜査を担当する松宮は、近くで発見された焼死体との関連を疑います。
そして、その遺品に日本橋を囲む12の橋の名が書き込まれていることに、加賀恭一郎は激しく動揺する。それは、孤独死した彼の母に繋がっていた。
加賀自身の過去に、この巻で答えが出ます。シリーズの第10作にして、第48回吉川英治文学賞を受けた長編です。
日本橋を囲む橋の名が、事件の捜査と刑事自身の来歴とを、一本の糸で結びにかかります。
物語の入り口
明治座に、ひとりの女性が幼馴染みの演出家を訪ねました。その女性が、遺体で発見されます。
捜査を担当するのは、松宮です。彼は、近くで発見された焼死体との関連を疑います。
二つの遺体。ひとつは演出家を訪ねた女性、もうひとつは焼死体。
関係があるのかないのか、松宮はその接点を探っていきます。舞台の演出家という職業、明治座という場所。
事件の周辺には、華やかな世界の空気があります。
その遺品に、日本橋を囲む12の橋の名が書き込まれていました。それを目にした加賀恭一郎が、激しく動揺します。
なぜ、刑事がそこまで動揺するのか。それは、孤独死した彼の母に繋がっていた。
遺品に並んだ12の橋の名が、捜査する側にいるはずの刑事自身の過去へ、いきなり糸を伸ばしてきたのです。事件を追う刑事が、事件の側から呼ばれる。
その反転が、この物語の始まりです。
捜査の担当と関心が、松宮と加賀で少しずれています。松宮は二つの遺体の関連を追い、加賀は橋の名が指し示すものを追う。
二方向から、同じ問題へ近づいていく。その構成が、この長編の骨格です。
事件の捜査と、刑事自身の過去。ふつうなら別々に置かれるはずの二つが、日本橋を囲む橋の名を介して、重なっていきます。
読者は、松宮と加賀、二人の刑事の後ろについて、それぞれの道を歩くことになります。この刑事がなぜ日本橋にいるのか。
その問いを抱えている以上、『祈りの幕が下りる時』は、事件の物語であると同時に、加賀恭一郎という人物の物語でもあります。事件の手がかりを追う足取りが、そのまま刑事自身の過去へ向かう道にもなっていきます。
読みどころ
読みどころは、担当の捜査と刑事自身の過去とが、日本橋を囲む橋の名を介して寄り合っていくところにあります。 松宮の捜査と、加賀の動揺。
二つの線が別々に始まり、同じ場所へ向かっていく。感情を大声で説明しない筆致だからこそ、加賀の激しい動揺が、かえって強く響きます。
加賀の動揺を大きく描き立てず、捜査の手順のなかに沈めて読ませる。その抑えた書き方が、最後の頁まで崩れません。
もうひとつは、シリーズのなかでの位置です。『新参者』『麒麟の翼』と日本橋の事件を追ってきた加賀の、その始まりに関わる問いが、第10作で正面から扱われる。
シリーズを追ってきた読者にとって、第10作は待っていた巻です。長く隠されてきたものが、ようやく語られる。
そこへ至る道を、松宮と加賀の二つの線が両側から敷いていきます。
こんな人におすすめ
地道な捜査を味わいたい読者、シリーズの主人公がどこから歩いてきたのかを知りたい読者に向いています。『新参者』『麒麟の翼』と読んできた人には、日本橋で事件を追ってきた加賀の、その始まりに触れる続きになります。
逆に、シリーズを一冊も読んでいない人が最初に開くと、加賀の動揺の重さを受け取りきれないかもしれません。できれば、日本橋の二作を先に。
その順序で読めば、この一冊の重さは倍になります。
作品の背景
本作は2013年9月に講談社から刊行され、翌2014年に第48回吉川英治文学賞を受賞しています。加賀恭一郎シリーズとしては第10作にあたります。
刊行の年の『週刊文春ミステリーベスト10』では国内部門2位、『このミステリーがすごい!』2014年版では国内編の同率10位に入りました。2018年には福澤克雄監督、阿部寛主演で映画化されています。
現行版は2016年刊の講談社文庫で、448ページ。感情を大声で説明しない筆致で、刑事の動揺を派手さよりも切実さで読ませる一冊です。
手に取るなら
現行版は講談社文庫。加賀恭一郎シリーズの第10作で、『新参者』『麒麟の翼』の次に読むのが順当です。
本作単独でも筋は追えますが、加賀の来歴に答えが出る巻ですから、積み重ねがあるほど深く届きます。日本橋を囲む12の橋の名が、何に繋がっているのか。
加賀とともに、その橋を渡ってみてください。渡り終えたとき、この刑事の見え方が変わっているはずです。
東野圭吾について
東野圭吾は1958年、大阪市生野区の生まれです。大阪府立大学工学部電気工学科を卒業し、日本電装(現デンソー)の技術者として働きながら推理小説を書き、1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受けてデビューしました。
翌年に会社を辞めて上京し、専業作家になっています。
長く大きな話題作に恵まれない時期が続きましたが、1998年の『秘密』が広く読まれ、翌年の第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞しました。2006年には『容疑者Xの献身』で第134回直木賞と第6回本格ミステリ大賞を受けました。
刑事・加賀恭一郎と物理学者・湯川学のシリーズを軸に、学園もの、本格の謎解き、サスペンス、ミステリの約束事を笑うパロディまで幅広く書き、2023年には著作の国内累計発行部数が1億部を超えています。同じ年に菊池寛賞、2024年に日本ミステリー文学大賞を受け、2026年7月に68歳で亡くなりました。
書誌情報
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