ミステリーとしての読みどころ
「エリック・ベリマンの命を奪うつもりだ。お前に止められるかな?」——休暇を目前にした一人の捜査官のもとへ、そんな一文をたずさえた手紙が届きます。差出人の名も、なぜベリマンなのかも分からない。
ただ人を殺すという宣告と、受け取った側を試すような挑発だけが、便箋の上に残されている。スウェーデンの警察小説の名手が、この不穏な予告状から物語の幕を開けます。
著者について
書いたのはホーカン・ネッセル。1950年に生まれ、スウェーデンを代表するミステリ作家の一人に数えられる書き手です。
その文学性は他の追随を許さないとまで評され、スウェーデン推理作家アカデミーの最優秀賞を1994年、1996年、2007年と三度、さらに2000年にはガラスの鍵賞を受けています。日本ではファン・フェーテレン警部シリーズの作者として親しまれてきました。
本作『殺人者の手記』(原題 En helt annan historia)は、そのネッセルがイタリア系の捜査官バルバロッティを主人公に据えた別シリーズの第二作にあたり、2007年にアカデミー最優秀賞を射止めた一冊です。原書は2006年、邦訳は2019年に創元推理文庫から届けられました。
数々の受賞歴が語るとおり、単に犯人を追うだけの物語では終わらせない、文章と造形の確かさがこの作家の身上です。
物語の入り口
物語は、休暇へ発つ直前のバルバロッティ捜査官のもとへ届いた一通の手紙から動き出します。書かれていたのは「エリック・ベリマンの命を奪うつもりだ。お前に止められるかな?」という一文。
名指しした人物を殺すという予告であり、しかも受け取った側の力量を問うような言葉が添えられている。捜査官はさっそく所属署へ連絡し、エリック・ベリマンなる人物を調べてもらいます。
ところが、返ってきた答えが厄介でした。同じ名を持つ人物が、五人も見つかったのです。
予告状はどのベリマンを指しているのか。そもそもこれは本気の宣言なのか、質の悪い悪戯にすぎないのか。
決め手を欠いたまま、警察は半信半疑の空気に包まれていきます。
その迷いを断ち切るように、事態は動きます。五人のうちの一人が、遺体となって発見されるのです。
予告は、ただの脅しではなかった。誰かが手紙の言葉どおりに、本当に人の命を奪った。
ようやく事件としての輪郭がはっきりしたそのとき、バルバロッティのもとには、新たな予告状が届きます。一度きりでは終わらない——差出人は、まだ続けるつもりでいる。
ここまでが、物語が読者に差し出す入り口です。題名に掲げられた「手記」が、この一連の出来事にどう関わってくるのか。
それはページを繰りながら、捜査官とともに確かめていくことになります。
読みどころ
読みどころは、予告状という形式そのものが生む張り詰めた緊張にあります。 犯人がいつどこで動くかを追いかけるのではなく、次に誰の名が挙げられるのかを、捜査する側と同じ位置で待たされる。
読者はバルバロッティたちの肩越しに、届いた手紙と判明した事実だけを頼りに、相手の一手を測ることになります。手がかりは常に向こうから差し出され、こちらはそれを受けて動くよりない。
追う者と追われる者の主導権が、はじめから捻れている。その落ち着かなさが、警察小説の骨格に独特の熱をくべています。
ネッセルは事件の輪郭だけでなく、それに向き合う人々の心理や日常の手触りまで丁寧にすくい上げる書き手で、捜査を追うことがそのまま人間を見つめることにつながっていきます。予告状という不穏な装置を軸にしながら、そこに関わる者たちの内面へと視線が及んでいく。
事件の手応えと人物の陰影が同じ密度で描かれるからこそ、読み終えたあとにも残るものがあります。
こんな人におすすめ
相性をいえば、一撃の鮮やかなトリックや、息もつかせぬ活劇を第一に求める読者には、この物語の歩みはやや腰を据えたものに映るかもしれません。ネッセルの持ち味は、不穏な予告状を軸として、頁を追うごとにじっくりと積み上がっていく緊張の厚みにあります。
一晩で消費する興奮よりも、読み終えたあとに長く尾を引く手応えを好む向きに合っています。事件そのものだけでなく、それを追う人々の呼吸ごと味わいたい読者、北欧ミステリの実力派の筆に腰を落ち着けて向き合いたい読者にこそ、深く刺さる一冊です。
手に取るなら
現在の版は創元推理文庫。訳は久山葉子で、スウェーデン在住の翻訳者として同地のミステリを数多く手がけ、ネッセル作品やペーションの警察小説を日本へ橋渡ししてきました。
原文の呼吸をよく伝える端正な日本語で読めるのは、この作家を初めて手に取る人にとっても心強いところです。バルバロッティを主人公とするシリーズの第二作にあたりますが、受賞歴が示すとおりネッセルの力量が凝縮された一作であり、ここからこの捜査官の世界へ足を踏み入れるのも十分に魅力的な入り方です。
気に入れば、同じ書き手が紡ぐ別シリーズへと読み進める楽しみも待っています。