現代英国 1991
湖に女の全裸死体。
身元は剥ぎ取られていた。
『最後の刑事』ピーター・ラヴゼイ

書評

最後の刑事

科学捜査を嫌う昔気質の警視が、身元不明の遺体に挑むアンソニー賞受賞作。

最後の刑事 表紙画像
ピーター・ラヴゼイ 早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫) 原書 1991年 · 邦訳 1993年
目次

科学捜査に背を向け、自分の足と勘だけを頼りに難事件へ挑む——そんな昔気質の刑事が主人公の、現代英国の警察ミステリです。鮮やかな閃きも最新の分析装置も、ここには出てきません。

あるのは、手がかりの乏しい遺体と、それでも引き下がろうとしない一人の警視の意地だけ。捜査という営みの手触りそのもので、最後まで読ませてしまう一冊です。

物語の入り口

物語の舞台は、英国の古都バース。ジョージ王朝様式の家々が、緑の丘のあいだを優美に波打つように連なる、伝統ある美しい町です。

淡い色合いの石造りの街並みは長い時間の手触りをたたえ、いかにも穏やかで品のよい佇まい。ところが、そんな景観の近郊で、事件は静かに、しかし不穏に幕を開けます。

町のそばの湖に、女性の全裸の遺体が浮かんだのです。落ち着いた古都の水辺という舞台と、そこに横たわる惨劇。

その落差が、物語の最初の一撃になります。目立った手がかりは見当たらず、被害者が何者なのかも判然としないまま、捜査は初めから重たい空気のなかで動き出していきます。

この難事件に呼び出されるのが、ピーター・ダイヤモンド警視です。「これこそおれの事件だ」と意気込むひと言に、この男の気性がよく表れています。

ハイテク捜査や科学分析の類いをまるで信用せず、聞き込みと勘、そして何より自分の足を信じて前へ進む、頑固で誇り高い刑事。時代がどれだけ便利な道具を差し出そうと、彼は自分のやり方を曲げようとしません。

ところが現実は、その意気込みをあっさり押し返してきます。遺体の身元を示す有力な情報がなく、頼れる糸口も乏しい。

ダイヤモンド警視の流儀そのものが、いきなり厳しい試練にさらされるところから、この物語は本格的に転がり出します。

被害者が誰なのかすら分からない——謎解きの物語にとって、これほど不利な出発点はそう多くありません。それでもダイヤモンド警視は、わずかな手がかりを一つひとつ拾い上げ、容疑者たちとのやり取りを根気強く重ねながら、少しずつ真相へと近づいていきます。

鮮やかな飛躍も、都合のよい近道もありません。読者はこの頑固な警視のすぐ後ろに立たされ、彼がつかんだことだけを、彼と同じ速度で知らされていくことになります。

先の見えないその焦れったさが、ページをめくるうちに、いつしか目を離せない緊張へと変わっていく。地道な一歩の積み重ねだけで読み手をつかんで離さない、その粘りにこそ、この作品の醍醐味があります。

読みどころ

本作の魅力は、天才の推理ではなく、一人の刑事の執念そのものにあります。 最新の技術に頼らない捜査は、一見すると遠回りに見えるかもしれません。

けれども、靴底をすり減らすような聞き込みと確認作業の反復こそが、少しずつ事件の見え方を変えていく。その手応えを、読者は警視と分かち合うことになります。

書名にただよう「最後の」という響きも、こうした足で稼ぐ昔気質の刑事の在りようとどこかで通じ合っていて、味わい深いものがあります。派手な見せ場をあえて禁じ手にしたまま、これほど緊張を持続させて読ませる警察小説は、そう多くありません。

事件を追う手つきが、そのまま古都バースに生きる人々の姿を照らし出していくのも、この作品の見逃せない厚みです。

こんな人におすすめ

相性でいえば、一撃の大トリックや息もつかせぬ急展開を第一に求める読者には、この歩みはいくぶん地味に映るかもしれません。本作の愉しみは、驚きの見せ場よりも、捜査という仕事の手応えの側にあります。

一晩で消費する刺激よりも、じっくりと積み上がっていく読み心地を好む人に向いた作品です。事件そのものだけでなく、それに向き合う刑事の人となりや呼吸ごと味わいたい——そんな読者にこそ、深く刺さる一冊。

頑固で人間くさいダイヤモンド警視という主人公に出会えるだけでも、読む価値は十分にあります。

作品の背景

『最後の刑事』は、古都バースを舞台にしたピーター・ダイヤモンド警視シリーズの、記念すべき第1作にあたります。もともとは単発の作品として構想されたものだったといいます。

ところが刊行されるや大きな反響を呼び、1992年にはアンソニー賞の最優秀長編賞を受賞。その高い評価が、後のシリーズ化へとつながっていきました。

つまりこの一冊は、長く続く人気シリーズの原点でありながら、単体でも確かな評価を勝ち得た作品でもある。二重の意味で得がたい出発点なのです。

派手な事件の連続よりも、捜査の質感で読ませるこの作風は、いかにも英国ミステリの王道と呼ぶにふさわしいものです。

手に取るなら

現在はハヤカワ・ミステリ文庫(山本やよい訳)で手に取れます。人気シリーズの第1作ですから、この世界の扉を叩く最初の一冊としても申し分ありません。

気に入れば、ここからダイヤモンド警視の物語をさらに追いかけていく楽しみも待っています。足と勘だけを信じる昔気質の刑事が、伝統の古都で身元さえ知れぬ遺体に挑む。

その捜査の手触りを、どうかじっくりと味わってみてください。

ピーター・ラヴゼイについて

1936年、イングランドのミドルセックス州ウィットンに生まれました。レディング大学を卒業後、英国空軍での兵役を経て、14年にわたり英語講師などとして教育の仕事に就き、1975年に専業作家となります。

陸上競技の記録研究家としても世界有数の存在でした。

イギリスのスポーツ史への関心から、19世紀の徒歩競走を舞台にした『死の競歩』(1970年)でデビューし、ヴィクトリア朝のロンドンを舞台にしたクリッブ巡査部長のシリーズを書き継ぎました。のちに皇太子アルバート・エドワードを探偵役にした作品や、バースを舞台にしたピーター・ダイヤモンド警視のシリーズも手がけます。

英国推理作家協会(CWA)のゴールド・ダガー、シルバー・ダガー、ダイヤモンド・ダガーを受け、2025年に88歳で亡くなりました。

書誌情報

出版社
早川書房 / ハヤカワ・ミステリ文庫
原書刊行年
1991
邦訳刊行年
1993
ISBN-13
9784150747107
系譜
現代英国 / 警察手続き · シリーズ探偵物
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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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