少女が沈められていた。
ハロウィーン・パーティ
「私、いつか殺人を見たことがあるの」と語った少女がリンゴ食い競争の水桶で溺死。ポアロ晩年の問題作
ハロウィーンの飾り付けでにぎわう部屋の片隅で、13歳の少女がふと「昔、殺人を目撃したことがある」と口にする。誰もまともに取り合わなかったその一言が、数時間後、少女自身の死によって重い意味を帯びる――。
『ハロウィーン・パーティ』は、祝祭の華やぎと陰惨な死をひとつの部屋に同居させた、アガサ・クリスティー晩年のポアロものです。
物語の入り口
相棒役を務めるのは、ポアロものにたびたび顔を出す推理作家オリヴァ夫人。旺盛な想像力で突っ走るこの女性作家は、しばしば作者クリスティー自身の似姿とも読まれてきた人物で、名探偵の冷静さといい対照をなします。
舞台は英国の小さな村ウドリー・コモン。滞在中のオリヴァ夫人が、村のハロウィーン・パーティの準備を手伝うところから物語は動き出します。
子どもたちが集まり、ジャック・オ・ランタンが灯され、リンゴ食い競争や鏡占いといった季節の遊びが並ぶ、どこにでもありそうな祝祭の一日。その賑わいのなかで、13歳のジョイス・レイノルズが妙なことを言い出します。
自分は昔、殺人を目撃したことがある、と。
けれど、大人も子どもも誰ひとり本気にしません。ジョイスは日頃から話を大きくしたがる少女で、その場の注目を集めたいだけだろう――そんな空気のなか、相手にされないまま彼女はふてくされて帰ってしまう。
ところがパーティが終わったあと、そのジョイスが、リンゴ食い競争に使われた水桶に顔を突っ込んだ姿で、溺れて死んでいるのが見つかるのです。無邪気なはずの遊び道具が、そのまま凶器めいたものへ変わる。
この転倒が、読者の背筋をすっと冷やします。
事件に揺さぶられたオリヴァ夫人は、旧友であるポアロのもとへこの一件を持ち込みます。ここでポアロが向き合わなければならないのは、ひとつの殺人だけではありません。
もしジョイスの言葉が本当だったのなら、彼女が見たという「過去の殺人」もまた、どこかに埋もれていることになる。今まさに起きた死と、語られただけで誰も確かめていない昔の死。
ポアロはまず、自分がひとりの殺人者を追っているのか、それとも二人分の罪を追っているのかを見極めなければなりません。読者もまた、少女の言葉をどこまで信じてよいのか分からないまま、ポアロとともに村の記憶を手探りしていく位置に立たされます。
読みどころ
読みどころは、明るいはずの祝祭が一枚ずつ陰の色に塗り替えられていく、その転調にあります。 ジャック・オ・ランタンの灯り、水を張った桶、鏡に映る顔占い――ハロウィーンの無害な小道具が、事件の風景のなかでどれも不穏な意味を帯び始めます。
牧歌的な村と季節の行事という舞台立てが、そのまま恐ろしさの器へと変わっていく呼吸は、長いキャリアの果てにたどり着いた手つきと言うほかありません。
もうひとつ、本書を晩年作たらしめているのが、子どもという存在への眼差しです。作者はここで子どもを、無垢で守られるべきものとしてだけ描いてはいません。
むしろ、大人が見落としがちな残酷さや計算までを冷静に見据えていて、その視線の醒めた強さが、物語全体に薄い緊張を張り渡しています。牧歌的な村の風景の底に、そうした冷たさが静かに流れているのです。
長くシリーズを読んできた読者ほど、書き手としての凄みを感じ取れる一作でしょう。
華やかで軽快な謎解きを期待して開くと、この静かな苦みは少し意外に感じられるかもしれません。派手な仕掛けで畳みかけるより、村の人々の記憶をひとつずつ掘り起こしていく地味な工程を、じっくり追う作品だからです。
裏を返せば、名探偵の推理に身を委ね、過去と現在が絡み合う謎の手触りをゆっくり味わいたい読者には、これ以上ない秋の一冊。ポアロものの代表作をひと通り読み終え、晩年の作品にも手を伸ばしてみたい人にも、よく応えてくれます。
作品の背景
本書はポアロが登場する長いシリーズのなかでも、かなり後期に書かれた一冊。1969年、作家としてのキャリアの終盤に発表された作品で、しばしば「晩年の問題作」と呼ばれてきました。
長く書き継がれたシリーズだからこそ生まれた、円熟とも老いともつかない独特の手触りがあり、そこが評価の分かれ目にもなっています。2023年にはケネス・ブラナー監督・主演の映画『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』の原作として大胆に翻案され、原作にも改めて光が当たりました。
手に取るなら
現在手に取るなら、早川書房のクリスティー文庫版(中村能三訳)が読みやすくおすすめです。映画『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』から入って原典が気になった方は、英国の小村を舞台にした静かな原作の手触りに、映画とはまた違う味わいを見つけられるはずです。
ハロウィーンの夜長にひらくのに、これほど似合う一冊もそうありません。
アガサ・クリスティーについて
アガサ・クリスティーは1890年、英国デヴォン州トーキーに生まれ、1976年に亡くなりました。第一次世界大戦中には薬剤師の助手として働き、そこで得た毒薬の知識はのちの作品にも生かされています。
1920年の長編『スタイルズ荘の怪事件』でデビューし、以後半世紀以上にわたって長編66作をはじめとする膨大な作品を書き続けました。
生み出した探偵は、ベルギー人の名探偵エルキュール・ポアロ、村に暮らす老婦人ミス・マープル、若い夫婦のトミーとタペンス、謎めいたハーリ・クィン、パーカー・パインと多彩です。戯曲にも力を注ぎ、1952年に初演された『ねずみとり』は演劇史上最長のロングラン記録を持っています。
1955年にアメリカ探偵作家クラブの巨匠賞を受け、1971年にはデイムの称号を授けられました。「ミステリの女王」と呼ばれ、世界で最も多く翻訳された作家のひとりです。
書誌情報
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