ミステリーとしての読みどころ
記憶をなくした男が、見知らぬ館の一室で目を覚ます。自分が誰なのかもわからないまま、彼は禍々しい仮面をかぶった人物から「舞踏会の夜にイヴリン嬢は殺される。その謎を解くのがおまえの任務だ」と告げられる——『イヴリン嬢は七回殺される』は、そんな不穏な一行から幕を開ける特殊設定ミステリです。
近年の海外ミステリのなかでも、読み出すとページを閉じる気を失わせる磁力は際立っています。予備知識ゼロで飛び込んでも、気づけば長い時間が溶けている。
そういう種類の一冊です。
著者について
著者のスチュアート・タートンは、英国出身のフリーランスジャーナリスト。本書はそのデビュー長編にあたります。
原書は2018年に『The Seven Deaths of Evelyn Hardcastle』(米国版題は『The 7½ Deaths of Evelyn Hardcastle』)として刊行され、新人の第一作でありながらコスタ賞最優秀新人賞(2018)、Books Are My Bag Readers' Award の最優秀小説賞(2018)を受賞し、英米で大きな話題を呼びました。日本では文藝春秋から2019年に単行本、2022年に文春文庫(三角和代訳)として届けられています。
無名の新人が、こんな大掛かりで危なっかしい仕掛けを一作目でやってのけ、しかもきちんと着地させてみせた——それ自体が、当時ちょっとした事件だったと言っていいでしょう。話題が話題を呼び、英米でベストセラーになったのもうなずけます。
物語の舞台は、英国に建つ「ブラックヒース」という館です。豪華なカントリーハウス、招かれた客たちのあいだに張りめぐらされた複雑な関係、そして繰り返される週末の一日——道具立てそのものは、閉ざされた場所で殺人が起きるという古典的なミステリの伝統に忠実です。
クリスティ的な閉鎖空間を思い浮かべてもらえば、そう遠くありません。ところが本書は、その見慣れた舞台に、たった一つだけ奇妙なルールを持ち込みます。
記憶を失った主人公が館で目を覚ますと、仮面の人物が現れてこう告げるのです。舞踏会の夜、イヴリン嬢は殺される。
その謎を解き、事件を解決しないかぎり、この一日は延々と繰り返される、と。提示されるルールは三つ。
ひとつ、事件を解決するまで一日はループする。ふたつ、新たなループに入るたび、主人公の意識は別の登場人物の身体に宿っている。
みっつ、この謎に挑む探偵役は、主人公ひとりではない。ルールは以上。
さあ事件に挑め、というわけです。
同じ一日を、違う人物の目を借りて何度も生き直しながら、少しずつ手がかりを拾い集めていく。昨日は見えなかったものが今日は見え、別の身体からはまったく違う景色が広がる。
読者は主人公とともに、この舞踏会の夜を繰り返し歩かされることになります。奇妙な設定に「これは本当に本格ミステリなのだろうか」と身構える人もいるかもしれません。
けれど読み進めるほどに、その戸惑いは逆向きの驚きへと変わっていく。一見突飛に見えるこのルールが、謎解きの論理にきっちり奉仕するために設計されているとわかってくるからです。
読みどころ
本書の凄みは、その奇抜な設定を本格ミステリの論理に完全に従属させている点にあります。 SFやファンタジーの装いを持ち込むミステリは以前から数多くありました。
けれど、特殊なルールを雰囲気づくりの飾りで終わらせず、事件を解くための道具として最後まで機能させ切る作品は、そう多くありません。同じ事件を別の視点から解き直していく構造は、繰り返すごとに情報が積み重なり、読み手の推理も刻々と更新されていきます。
いま自分が何を掴んでいて何を掴めていないのか、思わず書き留めたくなるほどの密度で、中盤からの加速は謎解き好きほど深く刺さるはずです。古典的な舞台に新しいルールをひとつ足すだけで、本格ミステリの可能性がここまで押し広げられるのか、という素朴な驚きが、読み終えたあとにも残ります。
読むうえで一つだけ心に留めておきたいのは、これが腰を据えて没入する時間を求めてくる長編だということ。込み入った設定と多くの登場人物を追いかけることになるので、細切れの隙間時間で少しずつ進めるより、週末をまるごと空けて一気に潜り込むほうが、この作品の推進力をずっと気持ちよく味わえます。
裏を返せば、古典的なパズルの手触りと現代的な大胆さを一冊で同時に浴びたい人、ミステリという器がどこまで広げられるのかを自分の目で確かめたい人には、これ以上ない相手になってくれるはずです。
手に取るなら
入手は文春文庫版(三角和代訳)で、Kindle版もあり手に取りやすい状況です。タートンにはこの後『名探偵と海の悪魔』『世界の終わりの最後の殺人』があり、いずれも独立して読める本格として日本語で読めます。
著者自身はこの三作を「3部作ではない3部作」と表現しているそうで、本書で相性が合えば、続けて彼の世界を渡り歩いてみるのがおすすめです。