犯人は自分かもしれない。
世界の終わりの最後の殺人
霧が世界を覆って90年、ギリシャの孤島で科学者が殺害される。残された猶予のあいだに犯人を見つけなければ、最後の人類も滅ぶ。
霧に呑まれて人類がほぼ滅び、最後に残ったひとつの島。そこで科学者が殺され、島を守っていた仕組みが止まる。
犯人を見つけなければ、残された人々もろとも世界そのものが終わってしまう——。『世界の終わりの最後の殺人』は、そんな極限の状況に、手がかりから犯人を割り出す本格ミステリの論理を持ち込んだ一作です。
突きつけられる制限時間は、邦訳版で46時間。
物語の入り口
物語の舞台は、いまから見てはるかに遠い未来です。ある日突如として発生した「霧」が地表を覆い、世界はほとんど滅んでしまいました。
かろうじて人類が生き延びているのは、「世界の終わりの島」と呼ばれる小さな島だけ。100名を超える住民と、彼らを率いる3人の科学者が、そこで穏やかに日々を送っています。
島の沖には霧の侵入を防ぐバリアが張られ、住民たちは体内にインプラントされた装置を通じて、〈エービイ〉と名づけられたAIに見守られている。滅びの縁にありながら、どこかのどかで満ち足りてさえいる共同体の風景です。
ところが、ある日その平穏が破られます。3人の科学者のひとり、ニエマが殺されたのです。
しかも事態はそれだけでは終わりません。ニエマの死をきっかけにあるシステムが起動し、島を守っていたバリアが解除されてしまう。
霧が島に届くまで、残された時間は46時間。バリアをもう一度立ち上げる条件は、その猶予のうちに殺人者を突き止めることでした。
追い打ちをかけるように、住民たちは事件当夜の記憶を失っています。誰も、昨夜の自分が何をしていたかを確かめられない。
つまり探偵役に立つはずの人々が、自分こそ手を下したのではないかという疑いを抱えたまま、犯人を探さなければならないのです。人類最後の共同体が、自分たちのうちに潜む殺人者を見つけ出せるかどうかに、そのまま世界の存続を賭けることになります。
公式が「島に隠された秘密とは?」と問いかけるとおり、この島にはまだ語られていない何かがある。読者は滅びゆく世界のいちばん端に立たされたまま、時計の針が進んでいく音を聞くことになります。
読みどころ
この作品の芯にあるのは、「記憶を奪われた探偵たち」という一点です。 過去の事実を聞き集め、証言を突き合わせて真相を組み立てる——それが本格の探偵に与えられた仕事でした。
ところが本作では、その足場になるはずの「昨夜」が、全員からそっくり抜け落ちている。誰も自分の無実を証明できず、疑いは自分自身にも向いてきます。
手がかりを積み上げていく謎解きの手応えと、自分が犯人かもしれないという不安とが、同じ盤面の上で同時に進んでいく。刻一刻と縮まっていくタイムリミット、逃げ場のない閉じた島という舞台。
おなじみの本格の道具立てが、SF的な世界のなかで新しい緊張をまとって立ち上がってくる。誰を信じ、誰を疑えばいいのか。
その判断そのものが、記憶を欠いた住民たちにとっては綱渡りになります。そこがいちばんの読みどころです。
がっちり構築された特殊設定に身をゆだね、そのルールごと物語を楽しめる読者には、まっすぐ刺さる一冊でしょう。滅亡後の世界という大きな絵と、限られた時間で犯人を追う細やかな謎解きとが、無理なく同居しています。
現実に近い街や日常を舞台にした、地に足のついた謎解きを好む読者は、世界設定の大きさに最初は少し面食らうかもしれません。とはいえ、その入り組んだ前提こそが手がかりであり謎でもある作りなので、設定そのものを味わう気構えさえあれば、ぶ厚さを感じさせずに一気に読み進められるはずです。
ページをめくる手を止めさせないカウントダウンの牽引力も、この作品の強みのひとつです。
作品の背景
本作はスチュアート・タートンの第3作にあたります。
手に取るなら
邦訳は文藝春秋から単行本で刊行されています(2025年、三角和代訳)。タートンの持ち味である「一作ごとに世界を丸ごと作り直す」という姿勢が、これまででもっとも大きなスケールで発揮された一作です。
デビュー作『イヴリン嬢は七回殺される』や第2作『名探偵と海の悪魔』で、舞台も仕掛けも毎回まるごと入れ替えてきた作家の現在地として、続けて手に取ってみるのもおすすめです。
スチュアート・タートンについて
スチュアート・タートンは1980年生まれのイギリスの作家で、イングランド北西部のウィドネスで育ちました。リヴァプール大学で英文学と哲学を学んだのち、上海で1年間教職に就き、ロンドンでテクノロジー分野の記者、ドバイで旅行ジャーナリストとして働いてから作家になっています。
2018年のデビュー長編『イヴリン嬢は七回殺される』でコスタ賞最優秀新人賞を受けました。2020年に『名探偵と海の悪魔』、2024年に『世界の終わりの最後の殺人』を発表しており、作品ごとに時代も舞台も大きく変えながら、どの作にも謎解きの仕掛けを組み込んでいます。
書誌情報
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