現代国内 2023
殺人犯が出した戒律。
私を捜せば全員殺す。
『十戒』夕木春央

書評

十戒

島で起きた殺人の犯人を知ろうとしてはならないという戒律が、9人全員の口を封じる

十戒 表紙画像
夕木春央 講談社(講談社文庫)2023年
目次

殺人が起きたのに、犯人を捜してはならない。夕木春央『十戒』は、謎解きの物語が当たり前に踏むはずの手順を、最初の朝に取り上げてしまう規則から始まります。

リゾート開業の下見に集まった9人が、ひとつの島で3日間を過ごす。探ることを封じられた人々が、それでも隣にいる誰かのことを考えずにはいられない——その居心地の悪さが、この物語の足場です。

2022年の『方舟』に続いて、翌年に刊行された長編です。

物語の入り口

浪人中の里英は、父と共に枝内島を訪れます。島はもともと伯父が所有していたもので、そこにリゾート施設を開業する計画が持ち上がっている。

島に集まったのは、開業に関わる9人の関係者です。それぞれに立場があり、リゾートという利害をめぐって、口には出さない思惑を抱えています。

一行は島を見て回り、視察の一日を終えます。

事件が起きるのは、その翌朝です。不動産会社の社員が殺されているのが見つかり、そばには十の戒律が書かれた紙片が落ちていました。

そのうちの一条は、こう命じています。「この島にいる間、殺人犯が誰か知ろうとしてはならない。守られなかった場合、島内の爆弾の起爆装置が作動し、全員の命が失われる」。

犯人が下す神罰を恐れながら、「十戒」に従う3日間がここから始まります。

ふつうの推理小説なら、死体が見つかったところで捜査が動き出します。現場を調べ、関係者に話を聞き、互いの証言を突き合わせる——ところが枝内島では、その一つひとつが戒律に触れかねません。

誰が殺したのかを口にすることも、確かめようとする素振りを見せることも、全員の命を危うくするかもしれない。人がひとり殺されたという事実だけが目の前にあり、そこから先へ進む道は、規則によって塞がれています。

殺された人がいて、殺した人がいる。それなのに、その二つを結ぶ線を引こうとすることが許されない。

読者は、推理を禁じられた9人のすぐ隣に据えられます。島を出るまでの3日間、彼らは何を知らずにいればよいのか。

その問いを抱えたまま、頁は進んでいきます。

読みどころ

読みどころは、探ることを禁じられた人々が、何を口にし何を飲み込むかにあります。

捜査が禁じられた場所では、言葉が慎重になります。何気ないひと言が疑いの表明と受け取られかねず、黙っていれば、それはそれで何かを隠しているように見える。

何を言い、何を飲み込むか。その選択の積み重ねが、そのまま人物の輪郭になっていきます。

9人にはそれぞれの立場と思惑があり、リゾート開業という利害が絡んでいるだけに、発言のひとつひとつが重みを帯びます。誰かが口をつぐむたび、周りはその沈黙の理由を推し量る——けれども推し量ること自体が、すでに戒律の際どいところに触れています。

もうひとつは、禁じられるほど考えてしまうという、人の性に触れる居心地の悪さです。「知ろうとしてはならない」と命じられて、知りたい気持ちが消えるわけではありません。

むしろ、考えまいとするほど頭はそちらへ向かう。頁をめくる側も事情は同じで、犯人は誰かと考えた瞬間、作中の戒律が禁じていることを、安全な場所からしていることになります。

登場人物には許されない推理を、読む側だけが続けられる。この非対称が、この物語の読み方を決めています。

こんな人におすすめ

限られた場所に集まった人々の会話を、一語ずつ気にかけながら追う読書が好きな人に向きます。規則そのものが緊張を生む設定に惹かれる人にも合うでしょう。

『方舟』を読んで、同じ作者の次の作品を手に取りたいと思っている人には、刊行順どおり続けて読むのが自然な流れです。逆に、探偵役が証拠を集めて推理を積み上げていく手順を楽しみたい人には、捜査が封じられた設定が歯がゆく映るかもしれません。

作品の背景

『十戒』は2023年8月9日に講談社から単行本で刊行されました。週刊文春ミステリーベスト10 2023の国内部門で第6位、『本格ミステリ・ベスト10』2024年版で国内7位に入り、第7回未来屋小説大賞では第10位に選ばれています。

前年の話題作『方舟』に続いて、この作品も二つの年末ランキングでそろって上位に名を連ねたことになります。

手に取るなら

いま手に取るなら、2025年8月8日刊の講談社文庫版です。400ページで、文庫化にあたって一部に加筆・修正が施されており、電子版も同日に配信されています。

単行本は2023年8月9日刊の304ページでした。前年の長編も2024年8月9日に講談社文庫に入っており、同じ文庫で2作を刊行順に手に取ることができます。

十の戒律が落ちていた朝から、知ろうとしてはならない3日間を、9人と同じ島で過ごしてみてください。

夕木春央について

夕木春央は1993年生まれの推理作家です。有栖川有栖の創作塾で長編を書き上げる経験を積み、2019年に第60回メフィスト賞を受け、受賞作を改題した『絞首商會』でデビューしました。

書き継いでいる系列は二つあります。一つは『絞首商會』『サーカスから来た執達吏』『サロメの断頭台』などの大正時代を舞台にしたシリーズで、十代のころから親しんだ江戸川乱歩や明治大正の文学の空気を下敷きにしています。

もう一つは現代を舞台にした作品で、2022年の『方舟』が週刊文春ミステリーベスト10の国内部門とMRC大賞2022で1位となり、作者の名を広く知らしめました。続く『十戒』も同じ路線の作品です。

特殊な状況を設定し、その状況でしか起こりえない出来事を探るという発想の順序を、作者自身が語っています。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
2023
ISBN-13
9784065404102
系譜
現代国内 / クローズドサークル · 特殊設定本格
受賞歴
·

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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