アンソニー・ホロヴィッツ 全作品と読む順番 ―『カササギ殺人事件』から始める現代本格ガイド
『カササギ殺人事件』で知られる現代英国ミステリの第一人者。あらすじ・読みどころ・読む順番を全作ガイド。どれから読むか迷う人へ、管理人が実読して厳選しました。
目次
アガサ・クリスティーが完成させた「本格」という様式を、骨董として飾るのではなく、磨き上げて現代の食卓に出してみせる——アンソニー・ホロヴィッツとは、そういう作家です。初めての一冊に迷う必要はありません。答えは『カササギ殺人事件』。これ一冊で彼の手のうちはすべて見えます。もっとも、見えたと思った次の瞬間に、鮮やかに裏切られるのですが。
シリーズは3系統。どれも独立して楽しめますが、せっかくなら最も美味しい順に味わいたい。あらすじ・読みどころ・読む順番を、すべて実際に読んだうえで案内します。
以下、仕掛けには指一本触れていません。安心してお読みください。
こんな読者のための作家です
- 古典の気品を、現代の語り口で味わいたい
- 凝った構造や「やられた」と言わせる企みに目がない
- 一人、間違いのない作家を持っておきたい
ひとつでも頷いたなら、相性は保証つき。先を読み進めてください。
アンソニー・ホロヴィッツとは
1955年、英国生まれ。ミステリ作家という肩書きの前に、まず英国きってのストーリーテラーです。名作ドラマ『刑事フォイル』では全話の脚本を一人で背負い、少年スパイ譚『女王陛下の少年スパイ! アレックス』(アレックス・ライダー)シリーズは世界の少年少女を夢中にさせました。
その語りの腕は、由緒ある名前たちに見初められます。コナン・ドイル財団公認のシャーロック・ホームズ続編(『絹の家』『モリアーティ』)、そしてイアン・フレミング財団公認の007続編(『007 逆襲のトリガー』)。名作の正統な後継を、これほど任される書き手も珍しい。
極めつけは自前の本格で、2018〜2021年に史上初の4年連続ミステリランキング制覇。古典への敬意と、現代の読者を出し抜く企み。その両輪を平然と回してみせる姿は、まさに「クリスティの末裔」の名にふさわしいものです。
まず1冊だけ選ぶなら
| あなたのタイプ | 最初の一冊 |
|---|---|
| とにかく傑作を浴びたい | カササギ殺人事件 |
| 軽妙な掛け合いに笑いたい | メインテーマは殺人 |
| ホームズに帰りたい | 絹の家 |
迷ったら、文句なしに『カササギ殺人事件』。「ミステリを読む歓び」そのものが、製本されてここにあります。
① カササギ・シリーズ(編集者スーザン・ライランド)
「作中作(本のなかの本)」を主役に据えた、ミステリ好きの急所をまっすぐ突いてくるシリーズ。編集者スーザン・ライランドが名探偵アティカス・ピュントの原稿を読み進める——その作中作と、原稿を読む彼女自身の現実が並走し、二つの物語がやがて、思いもよらぬ角度で握手を交わします。クリスティ流の様式美と出版業界の人間模様が一冊に同居する、なんとも贅沢な構造です。
カササギ殺人事件 上・下(2018)
出版社に勤める編集者スーザン・ライランドのもとに、看板作家アラン・コンウェイの最新長編『カササギ殺人事件』の原稿が届きます。中身は1955年7月のサマセット州、サクスビー・オン・エイヴォン村が舞台。鍵のかかった屋敷の階段下で家政婦が倒れていた——その小さな死をめぐって、余命わずかな名探偵アティカス・ピュントが村へ足を運びます。読者はスーザンの肩越しに、その原稿を丸ごと読むことになります。
ホロヴィッツを一冊で知るなら、やはりここから。作中作のピュント篇は閉じた共同体、容疑者の整理、丁寧に置かれた手がかりと、英国村落本格の様式を正面から踏んでいて、それ単体で一級品です。そのうえで1955年の村の格調と、現代ロンドンの出版業界の軽やかさという、質感のまるで違う二つの声が一冊に同居している。本屋大賞翻訳小説部門第1位をはじめ、年末の翻訳ミステリ各ランキングを制しました。上下巻の厚みに見合う手応えがあります。
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ヨルガオ殺人事件 上・下(2021)
元編集者のスーザンは、ロンドンでの生活に区切りをつけ、ギリシャのクレタ島で小さなホテルを営んでいます。そこへ英国から訪ねてきたのが、裕福なトレハーン夫妻。サフォークの田園に建つ自分たちのホテルで8年前に起きた殺人、その真相が「ある本」の中にある——娘がそう言い残したまま姿を消した、というのです。問題の一冊は、スーザンがかつて担当した〈アティカス・ピュント〉シリーズの一篇でした。
読む順番は『カササギ殺人事件』のあとに。前作で味をしめた二重の読書を、今度は失踪事件の捜査と作中作の再読という形でもう一度味わえます。一冊のあいだに実質もう一冊分の本格を読むという趣向は健在で、名探偵ものの様式美と現代のリアルな捜査劇が、互いを照らし返しながら進んでいく。地中海の陽光から霧のサフォークへという風景の落差も贅沢です。腰を据えて長編に沈み込みたい週末にどうぞ。
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マーブル館殺人事件 上・下(2025)
ギリシャでの暮らしを切り上げてロンドンに戻ったスーザンに、フリーランスの編集の仕事が舞い込みます。亡き作家アラン・コンウェイが遺した〈アティカス・ピュント〉シリーズを、若手作家に書き継がせるという企画。途中までの原稿を読んだ彼女は、書き手が自分の家族関係を作中に映し込んでいるらしいと感じ取り、やがて一つの問いを抱きます。この小説のように、現実でも不審な死があったのではないか、と。
シリーズ第3作ですから、前2作を通ってから開くのが順当です。今度の新しさは、作中作の書き手がコンウェイ本人ではなくなっていること。書き手が代われば、物語の何が受け継がれ、何が変わってしまうのか——「原稿を引き継ぐ」という行為そのものが主題に据えられます。前2作の二層構造に心を掴まれた読者ほど、その変化の手触りをくっきり感じ取れるはず。上下巻同時刊行で、上巻を閉じた手がそのまま下巻へ伸びます。
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② ホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ
偏屈な元刑事ダニエル・ホーソーンと、「俺の事件を本にしろ」と命じられた作家アンソニー・ホロヴィッツ本人が組む、人を食ったバディもの。著者が実名でワトスン役を引き受け、振り回されながら筆を走らせる——この虚実の溶け合いが、たまらない。刊行順に読めば、二人の距離とメタの企みが回を追うごとに効いてきます。
メインテーマは殺人(2019・第1作)
ロンドンの葬儀社に、資産家の老婦人ダイアナ・カウパーが訪ねてきます。棺の段取りから式の運びまで、自分の葬儀を細かく手配していく。そしてその数時間後、彼女は自宅で絞殺された姿で発見されるのです。なぜ殺される直前に、自分の葬儀を準備していたのか。この奇妙な一件に関わる元刑事ダニエル・ホーソーンが、作家ホロヴィッツ本人に「俺の捜査を本にしてくれないか」と持ちかけます。
ホーソーン・シリーズは刊行順が鉄則で、その第一歩がこれ。著者が実名でワトスン役を引き受けるという趣向が目を引きますが、土台にあるのは容疑者が並び、動機が量られ、手がかりが配されていく真っ当な犯人当てです。本格ミステリ作家クラブの『2010年代海外本格ミステリ ベスト作品』にも選ばれました。鋭さと付き合いにくさを併せ持つホーソーンの造形も見どころ。掛け合いが軽妙なぶん、シリーズの入口としては敷居も低めです。
その裁きは死(2020・第2作)
ロンドンの著名な離婚弁護士リチャード・プライスが、自宅で殺害されます。実直な仕事ぶりで評判の、非の打ちどころのなさそうな人物でした。しかも捜査が進むほどに、その殺され方が、かつて手がけた裁判で相手方が怒りにまかせて口走った脅しの文句をなぞっていたと分かってきます。現場の壁にはペンキで乱暴に書かれた「182」の三文字。被害者が直前に残した奇妙な言葉も、いっこうに意味を結びません。
第2作にあたる本書で、バディの型がいよいよ滑らかに回り出します。前作では探偵に振り回されるばかりだった語り手のホロヴィッツが、ここでは自分なりの推理を口にしては、ホーソーンに手ひどく現実を突きつけられる。物語を読みすぎてしまう作家の癖と、元刑事の即物的な観察眼がぶつかる会話は、それ自体が上質なコメディです。容疑者の絞り込みから終盤の解明まで古典本格の段取りは崩れず、現代ロンドンの階級社会の手触りも地の味になっています。
殺しへのライン(2022・第3作)
『メインテーマは殺人』の刊行まであと3ヵ月という時期、ホーソーンとホロヴィッツは、チャネル諸島オルダニー島で初めて開かれる文芸フェスに招かれます。プロモーションを兼ねた、のどかな週末旅行のはずでした。集うのは登壇する作家や詩人、元刑事、そしてイベントのスポンサー。和やかさの下に何かがくすぶる滞在のさなか、関係者の一人が死体で発見されます。椅子に手足をテープで固定され、なぜか右手だけが自由なまま。
シリーズが初めて英国本土を離れた巻で、海に囲まれた小島がそのままクローズドサークルになります。文学祭という舞台ゆえ、出版世界の人間模様を皮肉とユーモアで描く筆も存分に走る。加えてオルダニー島が抱える第二次大戦下の占領の記憶が、明るいはずの情景の奥に静かに横たわります。限られた容疑者と手がかりから真相へ迫る王道のパズラーとして一冊でも成立しますが、二人の距離の変化まで味わうなら、やはり第3作として順番に。
ナイフをひねれば(2023・第4作)
「われわれの契約は、これで終わりだ」——探偵を主人公にした本を書き続けることに耐えかね、ホロヴィッツはホーソーンにそう告げ、二人三脚に自ら幕を引こうとします。ところが同じ頃、彼の戯曲『マインドゲーム』がロンドンのヴォードビル劇場で初日を迎え、これを酷評した演劇評論家ハリエット・スロスビーが翌週、刺殺体で見つかるのです。しかも凶器は、ホロヴィッツ自身の短剣でした。
語り手が被疑者の席に座るという、シリーズで最も踏み込んだ一手です。袂を分かったばかりの相手に頭を下げるほかない——その切実さは、二人の距離を見守ってきた読者にこそ響きます。第4作として順番どおりに読みたいところ。劇作家、演出家、俳優、劇評家と芝居をめぐる人々が容疑者に並び、著者が1999年に実際に発表した戯曲の題名が作中で使われるのも、このシリーズらしい遊びでしょう。作りは古典的な犯人当てに実直で、年末の各ランキングでも上位に食い込みました。
死はすぐそばに(2024・第5作)
舞台はロンドン、テムズ川沿いのリッチモンド・アポン・テムズ。6軒の家が行き止まりの小道を囲む「リバーヴュー・クロウズ」は、互いの車の音も来客の顔ぶれも見知っているほど小さく閉じた共同体です。その均衡を崩したのが、新しく越してきた金融業界のやり手ジャイルズ・ケンワージーでした。騒音、プールの建設計画と無遠慮に住環境を乱した彼が、ある朝クロスボウの矢を喉に受けた姿で見つかります。
動機なら住民の全員が等しく持っている——容疑者が足りないのではなく多すぎるという古典的な難局を、正面から設定した第5作です。狭い人間関係のなかでこそ殺意は育つというクリスティ的な視点を、現代ロンドンの高級住宅地へ持ち込んだ一冊と言えます。刊行年の暮れには〈週刊文春〉ミステリーベスト10、『本格ミステリ・ベスト10』などの海外部門で第1位を並べました。人物の思惑を味わいつつ一軒ずつ吟味していく読み方が好きな方に。
③ シャーロック・ホームズ関連
コナン・ドイル財団公認で、ホロヴィッツがホームズの世界に正面から挑んだ作品群。原典の文体と空気を不気味なほど忠実に蘇らせながら、現代作家ならではの伏線をそっと二重に仕込んでいます。
シャーロック・ホームズ 絹の家(2011)
晩年のワトスンがペンを執り、生前には公表しなかった事件を回想して書き残す——その枠のなかで、現役のホームズとワトスンが動き出します。発端は、米国を行き来する美術商エドマンド・カーステアーズがベイカー街221Bを訪ねてくるところから。ボストンで関わった出来事の余波が新居にまで及び、不審な男の影が忍び寄るというのです。探索に走るのはベイカー街不正規隊の少年たち。やがて「絹の家」という言葉が、繰り返し姿を現すようになります。
コナン・ドイル財団が公式に承認した初のホームズ長編です。まず驚かされるのは文体で、ワトスンの語り口も221Bの暮らしぶりも辻馬車の走る石畳も、原典の呼吸が丁寧に写し取られている。一方、手がかりの配置や緊張の高め方は紛れもなく現代の本格作家のものです。正典をひととおり読み終えて、あの世界にもう一度戻りたい方に。ホロヴィッツの現代作から入って、ホームズ系へ遡る入口としても具合のいい一冊です。
モリアーティ(2014)
舞台は1891年、ホームズとモリアーティが滝壺へ消えたとされる事件の5日後のスイスです。現場となった片田舎に、二人の男が相次いで姿を現します。米国ピンカートン探偵社の調査員フレデリック・チェイスと、ロンドン警視庁のアセルニー・ジョーンズ警部。モリアーティ亡きあとの英国の裏社会を狙う米国の犯罪者クラレンス・デヴローを追い、二人は手にした情報を照らし合わせ、共同捜査に踏み出していきます。
『絹の家』と同じ財団公認ながら、仕立てはまったく別です。ホームズ不在のホームズ物という難題に、正面から答えを差し出しています。ジョーンズは著者の創作ではなく、原典『四つの署名』に登場した警部その人。ここではホームズの推理術を熱心に研究し、自ら実践しようとする人物として描き直されました。名探偵が去った世界に、その方法論だけが残される。原典やパスティーシュに親しんできた読者ほど深く響くので、ホームズを読んだあとに開くのが得です。
読む順番 早わかり
- カササギ・シリーズ:カササギ殺人事件 → ヨルガオ殺人事件 → マーブル館殺人事件(刊行順で)
- ホーソーン・シリーズ:メインテーマは殺人 → その裁きは死 → 殺しへのライン → ナイフをひねれば → 死はすぐそばに(必ず刊行順で。回を追うほど企みが効きます)
- ホームズ関連:絹の家 と モリアーティ は、どちらからでも
3系統は独立しているので、どのシリーズから始めても損はありません。
よくある質問
Q. ホロヴィッツはどれから読むのがおすすめ?
A. 『カササギ殺人事件』を。彼の持ち味が最も濃く凝縮され、予備知識ゼロで飛び込めます。
Q. カササギ殺人事件とヨルガオ殺人事件、順番は?
A. 『カササギ』が先、『ヨルガオ』が続編、そして『マーブル館』へと連なります。
Q. ホーソーン・シリーズは順番に読むべき?
A. ええ、ぜひ刊行順で。各作単体でも解けますが、作家と探偵の関係やメタの仕掛けが巻ごとに積み上がっていきます。
Q. ミステリ以外の作品もある?
A. もちろん。少年スパイ譚『アレックス・ライダー』シリーズや、ドラマ『刑事フォイル』の脚本などが代表格です。
Q. 映像化はされている?
A. 『カササギ殺人事件』は海外ドラマ化済み。原作を読んでから映像で答え合わせ、という贅沢もおすすめです。
今夜こそ間違いのない一冊を読みたい——そんな夜に、最初に手を伸ばすべき作家。それがホロヴィッツです。古典の作法を知り尽くした人が、現代の読者を本気で楽しませにくる——その幸福は、どの一冊にも約束されています。まずは一冊、その企みに身を委ねてみてください。
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