ミステリーとしての読みどころ
自分が書いた物語のなかで、主人公ではなく容疑者の側に立たされたら——語り手にそんな事態が起きたら、その先はいったいどう転がるのか。『ナイフをひねれば』は、その一点だけで背筋が伸びる一冊です。
作家アンソニー・ホロヴィッツが、自分自身を語り手兼登場人物に据えたホーソーン&ホロヴィッツ・シリーズ。その第4作で、彼はついに殺人の被疑者席へ座らされます。
著者について
書き手のアンソニー・ホロヴィッツは1955年ロンドン生まれ、英国エンタメの最前線で長く仕事をしてきた作家・脚本家です。人気テレビドラマ『刑事フォイル』の脚本、コナン・ドイル財団公認のシャーロック・ホームズ続編『絹の家』、児童向けのベストセラー・スパイ小説〈女王陛下の少年スパイ! アレックス〉シリーズ——手がける領域は驚くほど広い。
なかでもアガサ・クリスティへのオマージュ『カササギ殺人事件』は、国内の年末ミステリランキングで史上初の七冠を達成し、日本での評価を決定づけました。そのホロヴィッツが、自作に「作家アンソニー・ホロヴィッツ」という等身大の狂言回しを登場させ、実在の名探偵ならぬ元刑事ホーソーンの捜査を書き留めていく——それがこのシリーズの枠組みです。
第1作『メインテーマは殺人』、第2作『その裁きは死』でも年末ランキングを完全制覇し、いまや現代英国ミステリを代表する連作となりました。第3作『殺しへのライン』まで、探偵役ホーソーンが持ち込む事件の観察者に徹してきた「作家ホロヴィッツ」が、本作でその安全な位置から引きずり出される——シリーズを重ねてきたからこそ成立する一手です。
物語の入り口
物語はある決別から動き出します。「われわれの契約は、これで終わりだ」——探偵を主人公にしたミステリを書き続けることに、書き手であるホロヴィッツはとうとう耐えかねる。
彼はホーソーンにそう言い放ち、二人三脚に自ら幕を引こうとします。ところが、その決断を祝うようなタイミングで、彼が書いた戯曲『マインドゲーム』がロンドンのヴォードビル劇場で初日を迎える。
晴れの舞台のはずが、ここから足元が崩れていきます。翌週、この芝居を手厳しく酷評したサンデー・タイムズ紙の演劇評論家ハリエット・スロスビーが、自宅で刺殺体となって発見されるのです。
しかも凶器は、あろうことかホロヴィッツ自身の短剣。動機も、凶器も、状況も——すべてが作家ホロヴィッツを指し示し、彼は捜査線上に浮かぶどころか、そのまま逮捕されてしまいます。
語り手であり、ワトスン役であり、これまで探偵の傍らで事件を眺めてきたはずの人物が、今度は自分が疑いの中心に置かれる。袂を分かったばかりの相手に、頭を下げてでも助けを乞うしかない。
自分を救えるのは、結局あの男だけなのだと、彼は思い知ります。この立場の反転こそ、本書がシリーズのなかでも一段と踏み込んだ趣向で読者を待ち構えているところです。
読みどころ
読みどころは、舞台がまるごとロンドンの演劇界だという点にもあります。 劇作家、演出家、俳優、劇評家、興行主——芝居を巡って動く人々が容疑者として顔を並べ、ホロヴィッツが現実に見てきた業界の内側の手触りが、そのまま推理の素材へと変わっていきます。
加えて、劇中で初日を迎える戯曲『マインドゲーム』は、ホロヴィッツが1999年に実際に発表した戯曲の題名でもある。現実と虚構をそっと重ね合わせるこのシリーズらしい遊びが、ここでもさりげなく効いています。
凝った枠組みを持ちながら、作品そのものは古典的な謎解きへ実直に向き合う一作で、Kirkus Reviews は「黄金時代の手堅いフーダニットに回帰した一作」と評しました。『このミステリーがすごい! 2024年版』海外編第2位、〈週刊文春〉2023ミステリーベスト10海外部門第2位など、年末の各ランキングで軒並み上位に食い込んだ実力も、その堅実さの裏づけと言えます。
こんな人におすすめ
相性の面では、シリーズを追ってきた読者ほど深く味わえる作品です。語り手が容疑者になるという仕掛けは、これまで「作家ホロヴィッツ」と探偵ホーソーンの距離感を見守ってきた人にこそ、ひときわ切実に響きます。
逆に本作から入っても、ロンドンの劇場を舞台にした本格フーダニットとして充分に楽しめますが、二人の関係が背負ってきた含みまで受け取りたいなら、やはり順番に読み進めたほうが得るものは大きいでしょう。派手な仕掛けで驚かせるより、業界描写と手がかりで着実に読ませるタイプなので、地に足のついた謎解きを好む読者に安心しておすすめできます。
手に取るなら
入手は東京創元社・創元推理文庫(山田蘭訳、450頁)で、Kindle版もあります。山田蘭は『カササギ殺人事件』『ヨルガオ殺人事件』をはじめ、このシリーズを一貫して訳してきた英米文学翻訳家で、訳文の読みやすさもこのシリーズの魅力のひとつ。
巻末には三橋曉による解説が付きます。続編にあたる第5作『死はすぐそばに』(2024)もすでに邦訳が出ているので、はじめての方は第1作『メインテーマは殺人』から順にたどるのがおすすめです。