ミステリーとしての読みどころ
一冊の原稿を編集するはずが、その原稿の外側でも何かが起きているのではないか——編集者スーザン・ライランドが抱くその予感から、〈カササギ殺人事件〉シリーズ第3作『マーブル館殺人事件』は静かに動き出します。名探偵の物語を「読む」側だったはずの人物が、いつのまにか自分の身のまわりにもミステリの気配を嗅ぎ取っていく。
前2作を貫いてきた作中作と現実の二層構造が、今度は「書き手が代わる」という新しい角度から組み直された一冊です。
著者について
著者アンソニー・ホロヴィッツは、イギリスのエンターテインメント小説を長く牽引してきた作家です。ヤングアダルトの〈女王陛下の少年スパイ! アレックス〉シリーズをベストセラーに送り出し、コナン・ドイル財団公認のホームズ続編『シャーロック・ホームズ 絹の家』を手掛け、テレビドラマ『刑事フォイル』の脚本でも知られています。
アガサ・クリスティへのオマージュとして書かれた『カササギ殺人事件』では『このミステリーがすごい!』『本屋大賞〈翻訳小説部門〉』の1位をはじめ史上初の7冠を達成し、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズ『メインテーマは殺人』『その裁きは死』でも年末ミステリランキングを完全制覇しました。黄金期英国本格への愛情がもっとも濃く凝縮された連作が、この〈カササギ〉シリーズです。
その第3作にあたる本書は、原書 Marble Hall Murders が2025年5月に英国で刊行され、邦訳は山田蘭訳で東京創元社・創元推理文庫から同じ2025年に上下巻同時刊行されました。当初は三部作の完結編と予告されていたものの、のちに版元告知が「シリーズ第3弾」へと改められ、著者は第4作 Mile End Murders を2027年に予定していると告知しています。
幕引きではなく、なお続いていく物語の途中として読むのが正しい構えでしょう。
物語が始まるのは、ギリシャでの暮らしに区切りをつけ、ロンドンに帰ってきたスーザン・ライランドのもとに、思いがけない仕事が舞い込むところから。フリーランスの編集者として動き出した彼女に持ち込まれたのは、亡き作家アラン・コンウェイが遺した名探偵〈アティカス・ピュント〉シリーズを、ある若手作家に書き継がせるという企画でした。
故人の探偵を、別の書き手の手でふたたび動かす——その続編原稿の編集を、スーザンが引き受けることになります。
依頼を受けたスーザンは、まず途中まで書かれた原稿を読み進めます。そこで彼女が感じ取るのは、書き手が新作のなかに自分の家族関係を映し込んでいるらしい、という手触り。
作中で語られる物語と、それを書いている人間の現実とが、どこかで薄く重なり合っているのではないか。そう気づいた瞬間から、スーザンの胸には一つの問いが芽生えます。
この作品のように、現実の世界でも不審な死は本当にあったのだろうか、と。
編集者という立場は、物語を外から眺める観察者であると同時に、原稿のいちばん奥まで踏み込んで読む者でもあります。スーザンはその二重の視点から、紙の上の出来事と、紙の外で進んでいく日々とのあいだに生まれる奇妙な共振へ、少しずつ引き寄せられていく。
読者もまた、スーザンの肩越しに原稿を覗き込みながら、どこまでが作り物の事件で、どこからが現実なのか、その境目を手さぐりで確かめるような読み心地を味わうことになります。ホロヴィッツらしい平明で運びの良い文章が、この二つの層のあいだをなめらかに行き来させてくれます。
読みどころ
シリーズの肝は、作中作と現実が二層に重なる構造にあります。 前2作と決定的に違うのは、作中作の書き手がアラン・コンウェイ本人ではなくなっている点。
「原稿を引き継ぐ」という行為そのものが、今回はテーマの中心に据えられています。書き手が代わると、物語の何が受け継がれ、何が変わってしまうのか。
誰がフィクションを書き、誰がそれを読み解くのか。前2作を通ってきた読者ほど、その変化の手触りをくっきりと感じ取れるはずです。
原稿パートと現実パートを往復しながら、視野が少しずつ広がっていく設計も心地よいところ。上下巻で一つの長編として編まれているため、上巻を閉じた手がそのまま下巻へ伸びる作りになっています。
純粋なパズル型の謎解きだけを求めて開くと、二つの層を行き来する語りの呼吸に、最初は戸惑うかもしれません。本書がいちばん面白いのは、物語を書く・読むという営みそのものを一つの謎として立ち上げていくところで、そのメタ的な仕掛けに乗れるかどうかで読み味は変わってきます。
逆に、〈カササギ殺人事件〉〈ヨルガオ殺人事件〉の二層構造に心を掴まれた読者であれば、迷う理由はほとんどないでしょう。同じ呼吸のまま続けて読めることこそ、このシリーズの何よりの強みです。
手に取るなら
入手は創元推理文庫版、山田蘭訳で。山田蘭は『カササギ殺人事件』『ヨルガオ殺人事件』から本シリーズを訳し続けてきた英米文学翻訳家で、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズやクリスティ『スタイルズ荘の怪事件』なども手掛けています。
まずは第1作・第2作から順に辿るのがおすすめですが、その二作を通過した読者にとって、本作は続けて手に取るのを迷う必要のない第3作です。