ミステリーとしての読みどころ
作家が自作のプロモーションで小さな島の文芸フェスに招かれ、その滞在中に殺人へ立ち会う——。アンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』は、著者本人が探偵の相棒として物語に登場する〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズの第3作です。
今回の舞台は、シリーズが初めてロンドンを離れて向かう、英仏海峡の小さな島。逃げ場のない土地でくり広げられる、現代英国の本格クローズドサークルです。
著者について
ホロヴィッツは、英国エンタメの中心で長く活動してきた作家・脚本家です。ヤングアダルトの〈女王陛下の少年スパイ! アレックス〉シリーズ、人気テレビドラマ『刑事フォイル』の脚本、コナン・ドイル財団公認の続編『シャーロック・ホームズ 絹の家』と、その仕事の幅はとにかく広い。
なかでもアガサ・クリスティへのオマージュ『カササギ殺人事件』は『このミステリーがすごい!』と本屋大賞〈翻訳小説部門〉の1位に輝き、史上初の7冠を達成しました。
そのホロヴィッツが、自分自身をワトスン役に据えて書き継いでいるのがこのシリーズです。元警察官の探偵ダニエル・ホーソーンが事件を解き、作家「アンソニー・ホロヴィッツ」がその一部始終を書き留める。
虚構と現実がねじれて溶け合う、凝ったメタ・フォーマットの本格ミステリです。『メインテーマは殺人』『その裁きは死』と続いた前2作はいずれも年末ミステリランキングを完全制覇しており、本書はその流れを受け継ぐ第3作にあたります。
物語が動き出すのは、チャネル諸島のオルダニー島。『メインテーマは殺人』の刊行まであと3ヵ月というタイミングで、探偵ホーソーンと作家ホロヴィッツは、島で初めて開催される文芸フェスに招かれます。
プロモーションを兼ねた顔見せのはずの、のどかな週末旅行。ところが、そう思って島に降り立った二人を出迎えたのは、どことなく不穏な空気でした。
小さな島に集うのは、フェスに登壇する作家や詩人、元刑事といった顔ぶれ。招待客のなかには、イベントのスポンサーをつとめる実業家の名前もあります。
互いの素性や思惑がまだよく見えないまま、催しの準備だけが淡々と進んでいく。その、和やかさの下に何かがくすぶるような滞在のさなか、事態は一変します。
文芸フェスの関係者のひとりが、死体となって発見されるのです。
しかも遺体には、奇妙な細工が施されていました。椅子に座らされ、手足をテープでぐるぐると固定されている。
ところが、なぜか右手だけは自由なまま残されていた——。公式のあらすじがあえて読者に差し出すこの一点が、事件の輪郭を、ただの殺人からひどく歪んだ何かへと変えていきます。
海に囲まれて逃げ場のない小島、限られた顔ぶれ、そして意味の読めない手がかり。舞台の条件がそろった瞬間、この島は完璧なクローズドサークルへと姿を変えるのです。
読みどころ
本書のもう一つの魅力は、古典的なフーダニットの骨格に、現代の出版業界へのまなざしが折り重なっているところにあります。 文学祭とは、作家・批評家・編集者・熱心なファンといった「本」をめぐる人々が一堂に会する場。
出版世界の内側を知り尽くしたホロヴィッツの筆は、その人間模様を皮肉とユーモアを交えて生き生きと描き出します。米国の書評誌カーカス・レビューが「黄金時代のフーダニットを現代の出版風刺と重ねた仕上がり」と評したのも、この二重写しゆえでしょう。
見逃せないのが、舞台そのものが持つ影です。オルダニー島は、第二次世界大戦下でドイツ軍の占領を受けた歴史を抱える土地。
その過去が風景の奥に静かに横たわり、明るいはずの文学祭の情景に、ふとした瞬間、20世紀の暗がりが差し込みます。現代英国の本格でありながら、土地の記憶が物語にもう一段の厚みを添えているのです。
本書は年末のミステリランキング各誌で海外部門2位に軒並み選ばれており、シリーズの充実ぶりを示す高い評価を受けました。閉ざされた島という舞台立てが、その堅牢な謎解きをいっそう引き締めています。
限られた容疑者と手がかりから真相へ迫る、王道のパズラーを求める読み手には、過不足なく応えてくれる一冊です。加えて、探偵役と記述者の掛け合いや、業界内幕をのぞくような可笑しみも大きな読みどころなので、謎解きの厳密さと同じくらい語り口そのものを味わいたい読者にこそ響きます。
シリーズものではありますが、閉鎖空間の本格長編として本書一冊でも十分に成立するので、ここから入っても迷子にはなりません。
手に取るなら
入手は東京創元社・創元推理文庫の山田蘭訳(456頁)で、Kindle版も出ています。訳者の山田蘭はホロヴィッツ作品の常連の訳し手で、『カササギ殺人事件』をはじめ〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉シリーズを一貫して手がけてきました。
シリーズは第1作『メインテーマは殺人』、第2作『その裁きは死』と積み重なってきた経緯があるので、二人の関係の移ろいまで味わうなら順に読むのが理想。探偵ホーソーンの過去をめぐる断片も、巻を重ねるごとに少しずつ像を結んでいきます。