遊郭の身投げは続いた。
幽女の如き怨むもの
戦前・戦中・戦後の遊廓で繰り返される身投げを、怪異と論理の両側から照らす長編。
戦前、戦中、戦後。三つの時代にまたがって、地方の遊郭で謎の身投げが繰り返されます。
三津田信三『幽女の如き怨むもの』は、その身投げが“幽女”の仕業なのか、何者かの為せる業なのか、という問いを軸に据えた作品です。十三歳で遊女となるべく売られた少女は“緋桜”と名付けられ、苦痛と悲哀の尽きない生き地獄に身を置くことになります。
2012年に刊行され、「ミステリが読みたい!」2013年版の国内1位をはじめ、その年の各種ランキングで上位に名を連ねた刀城言耶シリーズの第六長編です。
物語の入り口
探偵役の刀城言耶は、怪奇幻想小説や変格探偵小説を書く作家です。面白い怪異譚が聞けるとなれば、相手の都合も構わず話をせがむ癖の持ち主で、そのせいで各地の因習や伝承の渦中に足を踏み入れることになります。
シリーズの持ち味は、目の前の出来事が推理小説の謎なのか怪異譚なのか、最後まで判別のつかない状態に読み手を置くところにあります。この作品でも、その構えは変わりません。
舞台は、謎と怪異に満ちる地方の遊郭です。十三歳で遊女となるべく売られた少女が、“緋桜”と名付けられ、生き地獄と呼ぶほかない世界に身を置く。
少女が背負わされた境遇の重さは、事件が起こる前から、遊郭という場所の空気として読み手にのしかかります。そして遊郭では、身投げが起こります。
一度ではなく、戦前、戦中、戦後という三つの時代にわたって。それは“幽女”の仕業なのか、何者かの為せる業なのか。
この問いの立て方が、そのまま読書の構えになります。数十年という時間の幅と、遊郭という狭い場所。
その落差が物語の骨組みで、読者は時代をまたいで同じ場所を見続けることになります。同じ場所で繰り返される出来事を、怪異と解釈するか、人の企てと取るか。
読み手の側の天秤は、頁をめくるたびに傾きを変えます。怪談として読めば怪談として成り立ち、推理小説として読めば推理小説として成り立つ。
どちらの読み方も途中で捨てられない、というのが、入り口に立ったときの正直な感触です。
読みどころ
本作の核は、怪異か人為かという天秤が、736ページのあいだ一度も静止しないところにあります。 身投げは繰り返され、時代は移り、遊郭は変わらず同じ場所にある。
刀城言耶シリーズが得意とする「謎なのか怪異譚なのか判別のつかない状態」が、ここでは戦前から戦後までという時間の幅を得て、いっそう長く引き延ばされています。天秤が傾くたびに、読み手はそれまでの読み方を疑わされることになります。
長さがそのまま、疑いの回数になる作りです。
もうひとつは、遊郭という場所の重さです。まだ子どもと呼んでいい年齢で売られ、“緋桜”という新しい名を与えられた少女の身の上は、それだけで十分に重いものです。
怪異の恐ろしさより先に、人の世の残酷さが立っている——この作品の怖さは、幽霊が出るかもしれないという怖さと、幽霊が出なくても十分に地獄であるという怖さの、二重になっています。民俗と怪談を題材にしてきた作家が、ここでは人の暮らしそのものの闇に踏み込んでいます。
分量は覚悟が要ります。736ページを、遊郭の暗さとともに読み通すのは軽い体験ではありません。
ただ、その厚みがあるからこそ、三つの時代を生きたという実感が残ります。ランキングを横断した高評価は、その読後の重さに見合うものです。
作品の背景
『幽女の如き怨むもの』は、2010年に第10回本格ミステリ大賞の小説部門を受けた『水魑の如き沈むもの』の次に書かれた作品にあたります。刊行は2012年4月、原書房から。
2015年6月に講談社文庫に入り、同年8月から電子版も配信されています。文庫で736ページという厚みです。
評価の並びが壮観で、「ミステリが読みたい!」2013年版の国内編1位、「本格ミステリ・ベスト10」2013年版と「このミステリーがすごい!」2013年版がともに国内4位、「週刊文春ミステリーベスト10」2012年の国内10位、そして第66回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門候補。四つの年間ランキングに揃って顔を出し、協会賞の候補にも挙がったことになります。
手に取るなら
現在手に取るなら、講談社文庫版です。736ページ、電子版もあります。
刀城言耶シリーズの第六長編ですが、長編はどの順に読んでも支障のない作りで、ここから入って困ることはありません。遊郭という舞台の暗さと、戦前から戦後までを見通す長さに耐えられる人に向いています。
三つの時代を貫いて繰り返される身投げ——それを“幽女”の仕業と読むか、人の業と読むか、天秤を手に持ったまま最後の頁まで進む一冊です。
三津田信三について
三津田信三は1962年、奈良県の生まれです。高野山大学文学部を卒業し、出版社で編集者として働いたのち、2001年に『ホラー作家の棲む家』でデビューしました。
出発点はホラーの側にあり、作者と同じ名の作家が登場する作家三部作では、怪談にメタ的な仕掛けを組み合わせています。
2006年の『厭魅の如き憑くもの』に始まる刀城言耶シリーズでは、怪奇幻想小説を書く作家の刀城言耶が、土地に伝わる怪異と絡み合う事件に向き合います。最後まで読まないと推理小説なのか怪異譚なのか分からない構えを持ち味とし、2010年に『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞の小説部門を受けました。
書誌情報
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