ミステリーとしての読みどころ
戦後ロンドンの空の下、塔の上に立った女が、大勢の観客と十一人の騎士が見つめるただなかで墜落し、絶命します。しかも死因は落下ではなく絞殺——衆人環視の舞台の上で、誰の手も届かぬはずの高みで、なぜ人はひそかに首を絞められて墜ちたのか。
『ジェゼベルの死』(原題 Death of Jezebel、1948年)は、この一点の不可能に全編を賭けた古典本格です。開幕の華やかな見世物が、そのまま解きようのない密室へと反転していく——読者を待つのは、黄金期英国ミステリのなかでも指折りに大胆な、不可能犯罪の設計図です。
著者について
作者クリスチアナ・ブランド(1907〜1988)は、クリスティやセイヤーズより一世代下の英国本格作家です。戦時下の野戦病院を舞台にした『緑は危険』(1944)で知られ、『はなれわざ』と並ぶ代表作として、その名は海外古典ミステリの世界で長く高く評価されてきました。
世代としては黄金期の第二波にあたり、先行する大家たちが築いた本格の様式を受け継ぎながら、そこに自分だけの一手を加えた作家と言えます。同じ作家が生んだのが、田舎町ケント州警察のコックリル警部です。
本書はそのコックリル警部シリーズの第4作にあたり、スコットランドヤードのチャールズワース警部が初めて共演する一編でもあります。個性の異なる二人の捜査官が同じ不可能の前に立つという趣向そのものが、この作品の見どころを予告しています。
読みどころ
物語の舞台は、帰還軍人向けに催される野外劇です。 戦争を生きのびて故国に戻った兵士たちを迎える見世物として、中世騎士物語に題を採ったページェント「英国の凱旋勇士」が上演されようとしています。
甲冑をまとった十一人の騎士が居並び、見上げるほどの塔がしつらえられ、観客席には大勢の人が詰めかける。荒廃を乗り越えた祝祭の華やぎが、会場いっぱいに満ちようとしています。
けれども、その晴れやかな趣向のなかに、はやくも不穏な影が忍び込んでいます。
上演を控えたある時期、出演予定の女性イゼベル・ドルー——通称「ジェゼベル」——を含む複数の関係者のもとに、「おまえは殺される」という趣旨の殺人予告状が届くのです。芝居の役柄のうえの脅しではありません。
名指しされた者たちが不安を抱えたまま、それでも幕開けの刻は近づいてくる。祝祭の準備が着々と進むほどに、予告状の一文が観客に見えない緊張として舞台裏に張りつめていきます。
誰が、何のために——問いを宙づりにしたまま、幕はとうとう上がってしまいます。
そして本番の最中、塔のバルコニーに姿を現したイゼベルが、十一人の騎士と大勢の観客が見守るその眼前で、塔から墜落死します。検死により、死因は落下ではなく絞殺と判明する。
ここで謎は一気に不可能の様相を帯びます。塔へ通じる控室——楽屋裏——へは、イゼベルと騎士たち以外は立ち入れません。
その騎士たちは全員が舞台に出ていました。観客席を抜けて塔へ上がる術もない。
塔と、それに続く楽屋裏と、埋め尽くされた観客席——この三つの空間が互いを封じ合い、誰も近づけなかったはずの高所で、女は確かに絞め殺されている。ケント州警察のコックリル警部とスコットランドヤードのチャールズワース警部が、この衆人環視の不可能に挑みます。
読みどころは、舞台立てそのものの挑戦性にあります。 密室や衆人環視の不可能犯罪は数あれど、これほど多くの目に囲まれた高みで、これほど堂々と一人の人間が消し去られるように殺される設定は、そう多くありません。
ブランドは不可能の条件をあえて厳しく積み上げ、逃げ場のない状況を組み上げたうえで、そこに論理の光を差し入れていきます。手がかりから筋道を追い、ありえないはずの出来事がどのように起こりえたのかを一歩ずつ詰めていく——その論理を解きほぐす過程こそが、この作品の核心です。
もう一つ味わい深いのは、史的な位置づけです。クリスティが人物と意外性で、セイヤーズが教養と風俗で黄金期を彩ったとすれば、ブランドは不可能状況の設計と、それを論理で解体する切れ味で独自の一極を成しました。
本書はその持ち味がもっとも先鋭に出た一編であり、英国本格の幅の広さを知るうえで欠かせない作品です。
こんな人におすすめ
相性の面では、不可能犯罪や衆人環視の謎を、論理でじっくり解きほぐす読書を好む人にこそ深く刺さる一冊です。舞台設定の凝りようと、そこから導かれる推理の運びは、古典本格の醍醐味そのものと言えます。
逆に、現代的なスピード感や息もつかせぬ展開を第一に求める読者には、幕開けの段取りやページェントの描写がいくぶん古典的にゆったりと映るかもしれません。ただ、その丁寧な舞台づくりこそが、後半に立ち上がる不可能の重みを支えています。
手に取るなら
現在手に取るなら、ハヤカワ・ミステリ文庫、恩地三保子訳(1979年)です。刊行から歳月を経ており、入手にはやや手間がかかるかもしれませんが、それでも読み継がれてきたのは、この不可能犯罪が古びない切れ味を保っているからにほかなりません。
黄金期英国本格の懐の深さを、一つの塔の上に凝縮して見せてくれる——そんな一冊です。