現代国内 2021
呼ばれても振り向くな。
儀礼の最中に殺人が起きた。
『忌名の如き贄るもの』三津田信三

書評

忌名の如き贄るもの

「忌名」の習俗が残る山間集落の儀礼で異変。刀城言耶シリーズの民俗学ミステリ。

忌名の如き贄るもの 表紙画像
三津田信三 講談社(講談社文庫)2021年
目次

自分の忌名を他人に明かしてはならない。どこかでその名を呼ばれても、振り向いてはならない。

三津田信三『忌名の如き贄るもの』の作中で語られる、忌名にまつわる禁忌です。舞台は生名鳴地方の虫くびり村。

この土地に伝わる「忌名の儀礼」の最中に殺人事件が起こり、シリーズの探偵役を務める怪奇幻想作家・刀城言耶が、その謎に挑みます。2021年に講談社から刊行された刀城言耶シリーズの一作で、第75回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門の候補になりました。

物語の入り口

刀城言耶シリーズは、戦後間もない地方を舞台に、怪奇幻想作家・刀城言耶が土俗的な因習と怪異伝承の渦中で起こる事件に挑む民俗学ミステリの連作です。生名鳴地方に、虫くびり村という集落があります。

地名からして、ただならぬ響きです。生名鳴は「いななぎ」と読みます。

この村には「忌名の儀礼」が伝わっています。忌名とは何か。

作中に伝わる禁忌の言葉は、その名を決して他人に教えてはならないこと、そしてどこかで何者かにその名で呼ばれても、決して振り向いてはならないことを告げています。名を明かしてはならず、呼ばれても応えてはならない。

名前というものが、この土地では守るべき秘密であり、同時に危険の入り口でもあるわけです。名前を持つことが、そのまま何かに狙われる条件になる——そういう土地に、物語は読み手を連れていきます。

題名には「贄」の一字が入っています。名前と生贄。

二つの語がどう結びつくのかは、儀礼の内側に入らなければ見えてきません。そして、その儀礼の最中に殺人事件が起こります。

禁忌がもっとも重く意識されているはずの時間に、事件は割り込んでくるのです。刀城言耶は、土地の因習と怪異伝承の渦の中で、この事件に向き合うことになります。

読者は、忌名の禁忌を聞かされた村の外の人間、つまり刀城言耶と同じ位置に据えられます。呼ばれても振り向いてはならない、という言葉を胸に、それでも背後の物音ひとつが気にかかってしまう。

この作品の読書は、そういう姿勢で進みます。

読みどころ

名前をめぐる禁忌という民俗の題材が、そのまま恐怖の装置になっています。 呼ばれても振り向くな、という言い伝えは、怪談として聞けばそれだけで背筋が冷えます。

同時に、忌名の儀礼の最中に殺人が起きるという配置は、本格ミステリの舞台としても筋が通っています。土地の信仰が、怪異の恐怖と事件の謎を同じ場所で支えている。

怪談の側から読んでも、推理小説の側から読んでも、忌名という一語に戻ってくる作りです。怪談の空気を作る筆と論理を組む筆が、ここでは儀礼というひとつの場面に一緒に向けられています。

もうひとつは、生名鳴地方や虫くびり村という土地の造形です。地名を目にした瞬間から、読み手はこの村の空気に引き込まれます。

因習と伝承の渦中で事件に挑むというシリーズの性格が、ここでは「名前」という一点に凝縮されています。三津田信三の村は、いつも読みにくい固有名詞に満ちていますが、その読みにくさそのものが、外の人間を拒む土地の閉鎖性を体感させます。

儀礼の最中に起きた殺人を解く筋道と、名前の禁忌がもたらす怖さとは、同じ村のなかで最後まで並んで進みます。どちらか一方の楽しみだけを求める読者には、もう一方の密度が重く感じられるかもしれません。

両方を同時に味わいたい人にこそ、向いています。

作品の背景

『忌名の如き贄るもの』は長編としては『碆霊の如き祀るもの』に続く位置にあります。2021年7月に単行本が出て、のちに講談社文庫に入りました。

成り立ちが少し変わっていて、朗読ライブ配信「STORY × LIVE」で声優の大原さやかが朗読した書き下ろし短篇「忌名に纏わる話」をきっかけに生まれた作品です。耳で聴く短い一篇を種にして、村の因習と殺人を抱え込む、大きな謎解きの物語へと育てられました。

手に取るなら

現在手に取るなら、講談社文庫版です。刀城言耶シリーズの一作ですが、虫くびり村の事件はこの一冊の中で完結しており、シリーズを最初から追っていなくても入っていけます。

朗読の短篇から生まれたという成り立ちを知ったうえで読むと、声に出して語られる怪談の手ざわりが、随所に残っていることに気づくでしょう。呼ばれても振り向いてはならない——その禁忌を頭に入れて、生名鳴地方の山道に足を踏み入れてみてください。

三津田信三について

三津田信三は1962年、奈良県の生まれです。高野山大学文学部を卒業し、出版社で編集者として働いたのち、2001年に『ホラー作家の棲む家』でデビューしました。

出発点はホラーの側にあり、作者と同じ名の作家が登場する作家三部作では、怪談にメタ的な仕掛けを組み合わせています。

2006年の『厭魅の如き憑くもの』に始まる刀城言耶シリーズでは、怪奇幻想小説を書く作家の刀城言耶が、土地に伝わる怪異と絡み合う事件に向き合います。最後まで読まないと推理小説なのか怪異譚なのか分からない構えを持ち味とし、2010年に『水魑の如き沈むもの』で第10回本格ミステリ大賞の小説部門を受けました。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
2021
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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