ミステリーとしての読みどころ
葬儀のあとに棺を掘り起こす。そこに眠っているはずの人物のかたわらに、見も知らぬ男の絞殺死体が横たわっている——『ギリシャ棺の謎』は、この不吉な一場面から、純粋な論理だけを頼りに真相へ迫っていく物語です。
大学を出たばかりの若きエラリーが初めて挑んだ事件、という設定で語られる〈国名シリーズ〉第4長編。手がかりと推理の筋道そのものを味わい尽くす、黄金期アメリカ本格の代表格のひとつです。
著者について
「エラリー・クイーン」という署名は、ひとりの実在する作家の名前ではありません。フレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リー、いとこ同士が分かち合った合作ペンネームです。
二人は1929年、出版社のコンテストに投じた『ローマ帽子の謎』でデビューし、同書に始まる〈国名シリーズ〉で頭角を現しました。しかも同じ頃、彼らは「バーナビー・ロス」というもうひとつの署名を用意し、ドルリー・レーン四部作をそちらの名義で並行して発表しています。
本作が世に出た1932年は、その多作ぶりが最も冴えわたっていた時期。〈国名シリーズ〉のちょうど中核に、どっしりと据えられているのがこの一冊です。
のちに「アメリカの推理小説そのもの」とまで評される巨匠が、脂の乗りきった一年に放った作品だと思って読み始めてください。
物語の入り口
物語は、盲目のギリシャ人美術商ハルキスの葬儀が厳粛に営まれた、その直後から静かに動き出します。式が済んでいくらも経たないうちに、屋敷の金庫から鋼の箱がひとつ消えていることが発覚するのです。
箱に納められていたのは、ハルキスの遺言書でした。警察は総出で捜索にあたりますが、どうにも埒があきません。
手がかりは屋敷の内側に閉じているはずなのに、肝心の答えだけがどこにも見当たらないのです。
そこへ、クイーン警視の息子である若きエラリーが、遺言書の意外なありかを推理してみせます。彼の見立てにしたがって、いったんは土に還したはずのハルキスの棺が、ふたたび掘り起こされ、蓋が開けられる。
ところが、そこで捜査陣を待ち受けていたのは遺言書ではありませんでした。ハルキスの亡骸に寄り添うようにして、もうひとつ、身元のわからない男の絞殺死体が横たえられていたのです。
ひとつの棺に、二人の死者。誰が、いつ、どうやって——。
事件はここから、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画をめぐる美術界の翳りへと、思いがけない方向へ糸を伸ばしていきます。
読者は、自信たっぷりに推理を披露してみせる若きエラリーの、すぐ隣に立たされます。名探偵の閃きに気持ちよく乗せられたと思ったところで、次の事実が静かに顔を出す。
そう簡単には答えへ辿り着かせてもらえない緊張が、最初の数十ページからずっと途切れません。しかも本作は、作中の時系列としては若きエラリーが世に出て最初に手がけた事件という設定で書かれています。
まだ経験の浅い探偵が、名門の屋敷を舞台に、消えた遺言書と身元不明の死体という一筋縄ではいかない謎へ真正面からぶつかっていく——その若さと勢いも、この物語を駆動する見えない燃料になっています。
読みどころ
本作を語るうえで外せないのが、「多重解決」という骨格です。 ひとつの真相を示して幕を引くのではなく、推理が組み上げられては新たな事実の前で揺らぎ、また一から組み直されていく——その手続きそのものを正面から作品の柱に据えた構成が、本作を〈国名シリーズ〉屈指の論理劇として名高いものにしています。
しかも、クイーン名物の「読者への挑戦」がきちんと挿し込まれている。ここまでに示した手がかりだけで真相は論理的に導ける、と作者が読者へ正面から宣言する一節です。
読み手を推理の卓へ、探偵と対等の一人として着かせる姿勢が、これ以上ないほど徹底されています。
だからこそ本作は、トリックの奇抜さで驚かせにくる一冊ではなく、証拠から結論へと至る筋道そのものを味わう一冊です。犯人を勘で当てにいくのではなく、示された事実だけを頼りに、探偵といっしょに論理の階段を一段ずつ上っていく。
その過程の密度こそが読みどころで、フェアな謎解きを腰を据えて堪能したい読者には、まっすぐ薦められます。逆に、軽快なテンポや息もつかせぬスリルを第一に求めて開くと、緻密な推理を丹念に追っていく本作の呼吸は、やや重く感じられるかもしれません。
とはいえ、その手応えこそが本作の芯にあるものです。
手に取るなら
いま手に取るなら、創元推理文庫の中村有希による新訳版(2014年)が読みやすく入手できます。中村有希はウォーターズ『半身』『荊の城』などで知られる英米文学翻訳家で、同じ訳者でクイーンのデビュー作『ローマ帽子の謎』も読めるため、シリーズの出発点との読み比べにもうってつけです。
巻末には辻真先による解説を収録。クイーン入門の定番はその『ローマ帽子の謎』や『Yの悲劇』ですが、論理推理の純度をひと息に浴びてみたいなら、本作はその近道になってくれる一冊です。