現代国内 2015
探偵は犯人を捜さない。
目的は奇蹟の証明だ。
『その可能性はすでに考えた』井上真偽

書評

その可能性はすでに考えた

人の手による可能性をすべて潰し、奇蹟の実在を証明しようとする探偵の物語。

その可能性はすでに考えた 表紙画像
井上真偽 講談社(講談社文庫)2015年
目次

この探偵は、犯人を探しません。上苙丞(うえおろじょう)が証明しようとするのは、目の前の事件が人の手によるものではなく、奇蹟だということです。

井上真偽『その可能性はすでに考えた』は、そんな倒立した目的を掲げる男を主役に据えた、シリーズの第1作です。舞台は山村、事件はカルト宗教団体の斬首集団自殺。

論理を武器にしながら、論理で説明のつかないものの実在を示そうとする。

物語の入り口

事件の舞台は、とある山村です。そこでカルト宗教団体の信者たちが、斬首による集団自殺を遂げました。

集団の中で、ただ一人だけ生き残った少女がいます。そして彼女には、不可解な記憶がありました。

首を斬られた少年が、自分を抱えて運んでいる——首のない者が人を運ぶという、ありうるはずのない光景です。凄惨な事件をただ一人生き延びた少女が、その光景を自分の記憶として抱えている。

事件の謎は、まずこの一点に集まります。

首のない聖人の伝説を思わせる事件です。伝説という言葉が似合うほど、少女の記憶は現実の出来事の枠からはみ出しています。

山村で、信仰の集団が一度に命を絶ち、残されたのは一人の証言だけ。その証言が、ありえない一場面を含んでいるのです。

ここに上苙が現れます。ふつうの探偵なら、この記憶を手がかりに、誰が何をしたのかを割り出そうとするでしょう。

ところが彼の目的は逆向きです。この謎が奇蹟であることを証明しようとします。

そのために必要なのは、人の手による説明が成り立つ可能性を、ひとつ残らず否定していくことです。犯人を名指すための推理ではなく、人の手が及んでいないことを示すための推理——探偵の仕事の矢印が、ここで逆を向いています。

物語の始まりに置かれるのは、少女の記憶と、それを奇蹟と呼ぼうとする探偵の決意です。人の手でこの光景を作れるのか、という問いが立てられ、その一つひとつが検討の俎上に載せられていきます。

読者は、少女の証言と奇蹟の宣言を同時に受け取ったまま、論理の検討の場に立たされることになります。

読みどころ

人の手による可能性を一つずつ潰していく論理の手順が、そのまま物語を前へ進めます。

事件の筋を組み立てて犯人に至るのではなく、考えうる説明をひとつずつ検討し、成り立たないことを示していく。推理の手順は同じでも、目指す先が正反対です。

首無しの少年という一枚の絵に対して、論理がどこまで食い下がれるか。その過程を追うこと自体が、この作品を読む楽しみになっています。

否定を積み上げるという作業は、ともすれば地味な消去法に見えかねません。その地味になりかねない作業を、奇蹟の証明という目的が、物語の芯へ押し上げています。

もうひとつは、探偵の人物像です。上苙丞は奇蹟の存在を信じ、その証明に論理を使う人物として描かれます。

信仰と論理という、ふつうは向きの違う二つを一人の探偵が同時に抱えている。その取り合わせが、斬首集団自殺という重い題材の事件に、理詰めの検討の場を持ち込んでいます。

こんな人におすすめ

謎解きの場面で犯人が指さされる瞬間より、その手前で可能性が絞られていく過程のほうに胸が躍る読者に向いています。奇蹟や伝説といった題材を、怪奇趣味ではなく論理の対象として扱う物語を読みたい人にも合うでしょう。

反対に、カルト教団の集団自殺という題材の重さや、斬首という言葉の生々しさが苦手な人は、少し構えて開いたほうがよさそうです。

作品の背景

2015年に講談社から刊行された、井上真偽の第2作です。奇蹟を追う探偵のシリーズはここに始まり、続編『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』へと書き継がれました。

刊行の翌年には、「ミステリが読みたい!」2016年版と「本格ミステリ・ベスト10」2016年版でともに国内5位に入り、第16回本格ミステリ大賞の候補にも挙がりました。「このミステリーがすごい!」2016年版、週刊文春ミステリーベスト10 2015年、キノベス!2016にもランクインしており、年末の各種ランキングを横断して名前が並んだ作品です。

著者のデビューは2015年1月ですから、この作品はデビューと同じ年のうちに世に出たことになります。新人の二作目が、その年の本格ミステリのランキングに軒並み名を連ねたわけです。

手に取るなら

いま手に取るなら、2018年2月15日刊の講談社文庫版で、400ページです。シリーズとしては第1作にあたり、続く『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』より先に読むのが順当です。

著者のデビュー作『恋と禁忌の述語論理』から刊行順にたどる読み方もあります。首のない少年が少女を運ぶという光景に、論理だけでどこまで迫れるのか。

奇蹟の証明に挑む探偵の行く先を、その目で見届けてください。

井上真偽について

井上真偽は神奈川県の出身で、東京大学工学部を卒業しています。『恋と禁忌の述語論理』で第51回メフィスト賞を受け、2015年1月の同作の刊行でデビューしました。

数理論理学で名探偵の推理を検証するというデビュー作の趣向が示すように、推理の手続きそのものを物語の中心に据えてきた書き手です。

同じ2015年に始まった〈その可能性はすでに考えた〉シリーズでは、奇蹟を証明しようとする探偵がありうる説明を一つずつ否定していく論戦を描き、続編『聖女の毒杯』は「本格ミステリ・ベスト10」の国内1位に選ばれました。2017年の『探偵が早すぎる』は翌年に連続ドラマになっています。

その後も『ベーシックインカム』『アリアドネの声』、姉妹編と兄弟編の二冊で始まった〈ぎんなみ商店街の事件簿〉と、題材を変えながら書き継いでいます。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
2015
ISBN-13
9784062938532
系譜
現代国内 / 多重解決
受賞歴
· ·

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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