ミステリーとしての読みどころ
名探偵が一人いれば、事件は解決する。ミステリーの読者はそう信じて長い歴史を歩んできました。
ところがここに、名探偵を三人も一つの屋敷に呼び集めてしまった作品があります。しかも三人はいずれも、読者が別の本で親しんできたはずの、あの高名な探偵たちの面影を宿している。
密室で起きた一件の殺人をめぐり、彼らがめいめいの流儀で華麗な解決を披露していく——『三人の名探偵のための事件』は、その一点だけでもう、謎解き好きの好奇心を掴んで離しません。
著者について
書いたのはレオ・ブルース。1903年、英国ケント州イーデンブリッジに生まれた人物で、本名をルーパート・クロフト=クックといいます。
ブルースという筆名を掲げて1936年に世に出したのが、この最初の本格ミステリーでした。デビュー作でありながら代表作でもあるという、作家にとって幸福な、しかし後続にとっては手強い一作。
ここに登場する田舎の警官ビーフ巡査部長は、以後シリーズ探偵として書き継がれていくことになります。つまり本書は、多重解決ものの古典であり、名探偵パロディの古典であり、同時に一人の名物探偵が産声をあげた記念すべき出発点でもある——三重の意味で記憶されるべき一冊なのです。
長く読み継がれてきた証しとして、『このミステリーがすごい!』2000年版の海外編で第4位に選ばれたことも添えておきましょう。1979年に世を去るまで書き続けたこの作家の、すべてはここから始まりました。
物語の舞台は、サーストン家で開かれた週末のカントリーハウス・パーティーです。イギリスの旧い屋敷、集う客人たち、和やかな夜——黄金期のミステリーが好んだ、あの華やかで少し息苦しい空間が、まず読者の前に立ち上がります。
ところがその夜、屋敷の主人であるホステス、メアリー・サーストンが命を奪われます。しかも状況が異様でした。
彼女の部屋の扉には二重の施錠がほどこされ、窓から犯人が逃げ出すだけの時間はどう考えてもなかった。閉ざされた一室で人が殺され、その一室からは誰も出入りできなかった——古典ミステリーが繰り返し挑んできた、あの不可能状況の密室が、幕開けとともに読者の眼前に据えられるのです。
事件が起きれば、まず捜査に乗り出すのは土地の警察です。村の警官ビーフ巡査部長が、さっそくこの難事件に取りかかります。
ところが翌朝になると、屋敷の様子が一変します。ピーター・ウィムジイ卿を思わせるサイモン・プリムソル卿、エルキュール・ポアロを思わせるムッシュー・アメール・ピコン、ブラウン神父を思わせるモンシニョール・スミス——世界に名だたる名探偵たちの姿を映した三人の紳士が、次々とサーストン家の敷居をまたいでくるのです。
読者は、自分がかつて別々の本で愛してきた探偵たちの口調と身振りと思考の癖が、一つ屋根の下に勢ぞろいする光景を目の当たりにします。この贅沢な引き合わせを見守る位置に立たされること自体が、本書ならではの愉しみと言っていいでしょう。
物語を語り伝えるのは、ワトスン役をつとめるライオネル・タウンゼント。その素朴な目を通して、名探偵たちの推理ショーが順ぐりに披露されていきます。
読みどころ
本書の核にあるのは、三大名探偵の徹底したパスティーシュと、多重解決という構造との掛け合わせです。 ブルースは彼らの語り口や論理の運び、ちょっとした身のこなしまでを愛情こめて模写しながら、同じ一つの事件に向けて競わせます。
真似ることは、たいてい茶化すことと隣り合わせです。けれどもブルースの筆致には、対象への敬意と、名探偵という存在への冷静な距離感とが同居していて、そのおかげで本書はただのパロディに終わりません。
名探偵とは何者なのか、その推理はどこまで信じられるのか——謎解きを楽しませながら、探偵小説という形式そのものにそっと問いを差し向ける、批評精神を湛えた一作にもなっているのです。練り上げられたトリックとパロディ精神、そして骨太なロジック。
この三つが一冊のなかで拮抗している手応えこそ、長く古典として推されてきた理由でしょう。
派手な一撃の衝撃を求める向きより、複数の推理が同じ事件の上に重ね書きされていく過程そのものを味わいたい読者に、本書は深く応えます。黄金期英国本格の主要な探偵たちの造形にあらかじめ親しんでいれば、ニヤリとできる箇所はいっそう増えるはずです。
逆に、そうした名探偵たちの作品にまだ触れていない段階で開くと、模写の妙味を半分ほど取りこぼしてしまうかもしれません。とはいえ本書は密室と多重解決という骨格がしっかりしているので、パロディの背景を知らずとも、一級の謎解きとして十分に楽しめる作りになっています。
急いで予習する必要はありません。
手に取るなら
読むなら扶桑社ミステリー文庫、小林晋の訳で手に取れます。巻末には真田啓介による解説も収められています。
名探偵たちの饗宴を存分に味わったあとで、この探偵小説論とも呼ぶべき趣向作がどんな場所に立っているのかを、じっくり確かめてみてください。巨匠レオ・ブルースの長い作家人生は、まさしくこの一冊から幕を開けたのです。