一人おきに死んだ。
聖女の毒杯
回し飲みの盃で毒死と無事が交互に出る、聖女伝説の里の異様な毒殺劇。
聖女の伝説が語り継がれる里で、婚礼の宴が開かれています。祝いの席で、同じ盃が出席者のあいだを回っていく。
ところが、その盃を口にした者のうち、毒に倒れる者と、何事もなく杯を置く者とが交互に現れます。井上真偽『聖女の毒杯』は、この異様な「飛び石殺人」を中心に据えた、探偵・上苙丞(うえおろじょう)のシリーズ第2作です。
正式な書名は『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』。祝福の器が、そのまま毒の器にもなる婚礼の場から、物語は動き出します。
物語の入り口
舞台は、聖女伝説が伝わる里です。その聖女は、祟り神として祀られています。
聖女でありながら祟り神でもある。敬う相手と畏れる相手が、この土地では一つの存在に重なっています。
事件が起きるのは、そこで行われた婚礼の場です。出席者たちは、同じ盃を回し飲みします。
一つの器を分け合うのは、縁を結ぶ場にふさわしい所作のはずでした。ところが、同じ盃を口にした者のうち、毒死した者と、何事もなく助かった者が交互に出る。
同じ器から同じものを飲んだはずなのに、倒れる者と倒れない者が、石を飛び越すように互い違いに並んでしまう。その並びこそが、この事件のいちばん不可解なところです。
不可解な毒殺は、祟り神として祀られた聖女による奇蹟なのか——事件は、そういう問いとともに差し出されます。毒に倒れた者と、同じ盃から飲んで何事もなかった者。
その両方が、同じ婚礼の出席者として同じ場に連なっていました。人の手によるものか、それとも祀られた聖女の力か。
問いは、祝いの宴のただなかに置かれています。
そこへ探偵・上苙丞が乗り込みます。彼が挑むのは、犯人の特定ではなく「奇蹟の実在」の証明です。
そのために、人の手による犯行の可能性を、数多の推理と論理で一つずつ否定していく——前作と同じく、探偵は奇蹟の側に立って事件と向き合います。読者は、婚礼の席に居合わせた者と同じ場所から、祝いが弔いへと反転した光景を見届け、そのうえで探偵の論証に付き合っていくことになります。
読みどころ
題名が示すのは、聖女と毒杯という、祝福と死が一つの器に同居する構図です。
盃は、婚礼においては人と人を結ぶ道具です。その同じ盃が、ある者には死をもたらし、ある者には何ももたらさない。
しかもそれが交互に起こる。「飛び石殺人」という呼び名は、その並びの奇妙さを一語で言い当てています。
事件の不可解さが、凶器の隠し場所や密室の鍵ではなく、飲んだ者の生死の並びそのものに宿っている。その謎の置き方が、まずこの作品の大きな引力です。
もうひとつは、シリーズの中でのこの巻の立ち位置です。前作が山村のカルト教団の事件だったのに対し、こちらは土地の伝説と婚礼という、共同体の祝祭の場が舞台になっています。
奇蹟を証明しようとする探偵の姿勢は同じでも、向き合う謎の形はまったく違う。そして評価の面でも、「本格ミステリ・ベスト10」の頂点に立ったのはこちらでした。
こんな人におすすめ
一つの不可解な現象に、ありうる説明を次々とぶつけていく論理の積み重ねを楽しみたい読者に向いています。伝説や祟りといった土地の信仰が絡む舞台立てが好きな人にも、手応えがあるでしょう。
逆に、毒殺という題材や、婚礼の場が暗転する展開の重さが苦手な人には、読み口が苦く感じられるかもしれません。それでも、祝祭と死を一つの盃に注いだ舞台の強さは、ほかでは味わいにくいものです。
作品の背景
『その可能性はすでに考えた』の続編として、2016年7月に講談社ノベルスから出たのが本書です。評価は前作をさらに上回り、「2017本格ミステリ・ベスト10」で国内第1位を獲得しました。
第17回本格ミステリ大賞の候補にも挙がり、週刊文春ミステリーベスト10 2016で国内10位、「ミステリが読みたい!」2017年版で国内9位と、各誌のランキングに名を残しています。
手に取るなら
いま手に取るなら、2018年7月13日刊の講談社文庫版で、416ページです。親本は2016年7月の講談社ノベルス版でした。
シリーズとしては第2作にあたるので、刊行順どおり『その可能性はすでに考えた』を先に読んでおくのが順当です。奇蹟を追うという探偵の姿勢に前作で馴染んでおけば、この巻の舞台にもすんなり入っていけます。
聖女伝説の里の婚礼で回された一つの盃から、奇蹟をめぐる論証が始まります。
井上真偽について
井上真偽は神奈川県の出身で、東京大学工学部を卒業しています。『恋と禁忌の述語論理』で第51回メフィスト賞を受け、2015年1月の同作の刊行でデビューしました。
数理論理学で名探偵の推理を検証するというデビュー作の趣向が示すように、推理の手続きそのものを物語の中心に据えてきた書き手です。
同じ2015年に始まった〈その可能性はすでに考えた〉シリーズでは、奇蹟を証明しようとする探偵がありうる説明を一つずつ否定していく論戦を描き、続編『聖女の毒杯』は「本格ミステリ・ベスト10」の国内1位に選ばれました。2017年の『探偵が早すぎる』は翌年に連続ドラマになっています。
その後も『ベーシックインカム』『アリアドネの声』、姉妹編と兄弟編の二冊で始まった〈ぎんなみ商店街の事件簿〉と、題材を変えながら書き継いでいます。
書誌情報
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