現代国内 2012
スパイを束ねる魔王。
その過去は暴かれるか。
『パラダイス・ロスト』柳広司

書評

パラダイス・ロスト

ハワイ沖の豪華客船を舞台にしたシリーズ初の中篇を含む、ジョーカー・ゲーム第3弾。

パラダイス・ロスト 表紙画像
柳広司 KADOKAWA(角川文庫)2012年
目次

"魔王"。D機関の精鋭たちを率いる結城中佐は、作中でそう呼ばれています。

何者なのか、どこから来たのか。柳広司『パラダイス・ロスト』は、その問いを抱えたまま開くことになる「ジョーカー・ゲーム」シリーズの第3弾です。

舞台は世界各国へ広がり、ハワイ沖の豪華客船を舞台にしたシリーズ初の中篇を含む全5篇。2012年に角川書店から出て、2013年に角川文庫に入りました。

物語の入り口

収められているのは全5篇。なかでも目を引くのが、ハワイ沖の豪華客船を舞台にした「暗号名ケルベロス」です。

シリーズ初の中篇で、短編の切れ味で押してきた連作に、腰を据えて組み上げた一編が加わりました。豪華客船という舞台は、スパイ小説にとってうってつけです。

乗客は限られ、途中で降りる場所はなく、誰もが誰かの目の届くところにいる。正体を隠したまま働く者にとって、いちばん逃げ場のない場所です。

短い編と腰を据えた一編が同じ本に並ぶので、読み心地の幅は前の二冊より広がっています。

舞台は日本国内にとどまらず、世界各国へ散っていきます。土地が変われば、言葉が変わり、敵の顔が変わり、味方のふりをする者の作法も変わります。

同じD機関の流儀が、異なる土地でどう働くのか。5篇を通じて、その変奏を見ることになります。

陸軍のなかで鍛えられた流儀が、陸軍の目の届かない土地でどこまで通用するのか。第3弾は、その問いを5つの土地で試す巻でもあります。

そして結城中佐です。作中で"魔王"と呼ばれ、D機関で鍛えられたスパイたちを束ねる人物です。

第3弾でも、結城は組織の中心にいます。シリーズを順に読んできた人ほど、その名が出るたびに目を留めることになるでしょう。

各編は独立して読めます。この巻から入っても、筋を見失うことはありません。

5篇のどこから読み始めてもかまわない作りなので、まずハワイ沖の中篇から開き、船の上の攻防に浸ってからほかの4篇へ戻る、という読み方もできます。ただ、結城という人物への関心は、前の二冊を読んでいるほど強くなります。

3冊目としてここへ辿り着くのが、順当な読み方です。

読みどころ

読みどころは、中篇という長さが、シリーズに新しい呼吸を持ち込んだところにあります。 短編のスパイ小説は、切れ味で読ませます。

情報が置かれ、拾われ、決着がつく。その速度が持ち味でした。

中篇では、その速度をいったん落として、盤面を広く取ります。舞台が豪華客船であることも、広く取った盤面によく合っています。

降りられない船の上で、時間をかけて進む攻防——短編では書けなかった種類の緊張が、ここにはあります。

もう一つは、スケールです。世界各国という舞台の広がりは、単に見せ場が増えたということではありません。

D機関は日本の陸軍の組織で、その訓練生が異国で働くとき、後ろ盾は遠く、頼れるのは自分の頭だけです。スパイ小説の緊張は、孤立の度合いに比例します。

誰にも助けを求められない場所で、誰にも正体を知られずに、仕事を終えて帰る。それがどれだけ難しいかを、舞台の広がりが教えてくれます。

日本から遠い土地ほど、その難しさは増していきます。

一つの事件を名探偵が解きほぐす形の謎解きを期待して開くと、異国の土地で頭脳戦が続く運びは、勝手が違って映るかもしれません。けれども、後ろ盾から遠く離れた土地で、正体を隠したまま仕事を終えて帰ろうとする者たちを追う時間こそが、このシリーズの手ごたえです——舞台を世界へ開いた3冊目で、その手ごたえはいっそう濃くなっています。

作品の背景

柳広司は2008年に『ジョーカー・ゲーム』を書き、翌2009年に日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞をそろって受けます。シリーズは第2弾『ダブル・ジョーカー』を経て第3弾へ、さらに『ラスト・ワルツ』へと続き、文庫で4冊が並びます。

シリーズの累計部数は、2021年1月の時点で130万部を超えています。

3冊目は、舞台を日本の外へ開きました。前の二冊の舞台は、おおむね日本の内側にありました。

今回は世界各国へ散っていきます。舞台の広がりでいえば、この巻がシリーズで最大です。

単行本は2012年3月に角川書店から、文庫は2013年6月21日に角川文庫から320ページで出ています。

手に取るなら

現行版は角川文庫、320ページ。順番は『ジョーカー・ゲーム』『ダブル・ジョーカー』と来て、3冊目にこの本です。

各編が独立しているので途中からでも読めますが、結城中佐への関心を育ててから開くほうが、3冊目の値打ちはよくわかります。シリーズはこのあと『ラスト・ワルツ』で4冊が揃います。

まず、ハワイ沖の豪華客船に乗るところから。

柳広司について

柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。

同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。

初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。

2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
2012
ISBN-13
9784041008263
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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