ミステリーとしての読みどころ
中世アイスランドで実際に行われた魔女狩りの歴史。その暗い記憶が、現代のレイキャヴィクで起きた凄惨な殺人の謎解きにまっすぐつながっていく——『魔女遊戯』は、そんな一風変わった仕掛けを軸に据えた北欧ミステリです。
氷と溶岩の島国が抱えてきた迷信と処罰の記録が、単なる背景ではなく、事件を解く鍵そのものとして立ち上がってくる。歴史の暗部を掘り起こす手つきと、猟奇的な事件の生々しさとが同居した、忘れがたい肌ざわりの一冊です。
著者について
作者はアイスランドの作家イルサ・シグルザルドッティル。本作は、その大人向けミステリのデビュー作にあたります。
同時に、女性弁護士トーラを主人公とするシリーズの記念すべき第一作でもあり、原著は2005年に発表されました。アイスランドという、ミステリの舞台としてはまだ耳慣れない土地から届いたこの物語は、火山と氷河の島が抱える歴史と風土をそのまま謎解きの素材に変えてみせます。
北欧ミステリといえば重い社会派の警察小説を思い浮かべる読者も多いはずですが、本作が選んだのは、弁護士が依頼を受けて動くという少し毛色の違う入り口。歴史学の知識が探偵役の武器になっていくところに、この作家ならではの個性がにじみます。
名探偵の閃きが一瞬で霧を晴らすのではなく、古い記録を読み解き、島に残された迷信の断片をたどり直す。その地道な手つきそのものが、この物語の推進力になっていきます。
デビュー作でありながら、題材の選び方にも語り口にも、後へ続くシリーズを支えるだけの芯の強さが感じられる一作です。
物語の入り口
物語は、レイキャヴィクの大学で学んでいた一人のドイツ人留学生が、変死体となって発見される場面から動き出します。しかもその死は、両目を抉られるという凄惨きわまりないものでした。
日常の学びの場であるはずの大学に、なぜこれほど残虐な暴力が持ち込まれたのか。まずこの発端の異様さが、読者を強く掴んで離しません。
殺された留学生が没頭していたのは、中世に行われた魔女についての研究でした。彼は祖父から受け継いだ遺産を惜しみなくその研究につぎ込み、島の暗い過去を一心に掘り下げていたのです。
若者がなぜ、遠い国のこれほど古い迷信の記憶にそこまで取り憑かれていたのか。その熱意そのものが、事件を包む謎の一部として静かに影を落とします。
そして捜査の中心には、一冊の奇怪な古書が現れます。留学生が集めていた知識と、その古書。
二つが指し示す先に、彼の死をめぐる真実が眠っているらしいのです。やがて、逮捕された人物とは別に本当の真相を知りたいと願う遺族から、女性弁護士トーラのもとへ依頼が舞い込みます。
表向きの決着とは違う場所に手を伸ばそうとする、この始まり方が物語に緊張をもたらします。すでに一つの答えが用意されている事件を、あえてもう一度ほどきにかかる。
読者はトーラの傍らに立ち、彼女とともに、留学生が生きた世界と彼が追い求めた古い迷信の記憶へと、一歩ずつ分け入っていくことになります。
読みどころ
読みどころは、歴史という遠い過去が、いま目の前の事件をほどく鍵に変わっていく感触です。 魔女狩りや魔女裁判という、ともすれば教科書の中の話にとどまりがちな題材が、現代の殺人の輪郭を少しずつ照らし出していく。
過去を掘るほどに現在が見えてくるというこの構造は、歴史ミステリを好む読者にとって格別の醍醐味になるはずです。アイスランドの風土や、島国が抱え込んできた迷信の記憶が丁寧に織り込まれていて、事件を追うことがそのまま見知らぬ土地の暗部をたどる旅にもなっている。
古い迷信という一見浮世離れした題材を、あくまで現実の犯罪と地続きのものとして扱う姿勢にも、この作家の腹の据わりを感じます。シリーズの原点にあたる一作として、探偵役トーラの人となりに最初から立ち会えるのも、長く付き合う楽しみへの入り口として得がたいところです。
依頼を受けて動く弁護士という立場だからこそ、警察の捜査とはまた違う角度から事件に近づいていける。その視点の新鮮さも、本作の見逃せない魅力のひとつです。
こんな人におすすめ
相性でいえば、本作には猟奇的で残虐な描写がはっきりと含まれます。両目を抉られた死体という発端が示すとおり、生々しい暴力の場面が苦手な読者には、この手ざわりは重く映るかもしれません。
血の匂いを避けたい向きには、正直におすすめしづらい側面があります。その一方で、土地の歴史や迷信が事件と絡み合っていく密度の濃い物語を味わいたい読者、少し不穏で暗い北欧の空気ごと謎解きに浸りたい読者には、強く応えてくれる一冊です。
手に取るなら
現在の版は集英社文庫(2011年刊)。弁護士トーラを主人公とするシリーズの第一作にあたるので、この世界の扉を最初から叩くにはうってつけの入り口です。
気に入れば、ここから彼女が関わっていく先の物語へ手を伸ばす楽しみも待っています。氷の島の古い記憶から立ち上る、暗く鮮烈な謎解きの物語です。