戦後昭和国内 1991
殺人犯を名乗る手記が、
連載小説に紛れていた。
『ウロボロスの偽書』竹本健治

書評

ウロボロスの偽書

作家の連載推理に、連続殺人の犯人を名乗る男の手記がまぎれこむ長編。

ウロボロスの偽書 表紙画像
竹本健治 講談社(講談社文庫・新装版(上・下))1991年
目次

本格推理の発端といえば、密室に横たわる死体や、雪の上に残された足跡を思い浮かべる人が多いでしょう。竹本健治『ウロボロスの偽書』の発端にあるのは、そのどちらでもありません。

ある連載小説の原稿に、いつのまにか、見知らぬ男の手記がまぎれこんでいた——事の始まりはそれだけです。男は、埼玉で起きた女性連続殺人事件の犯人を名乗っています。

1991年に世に出た、ひとことでは形容しがたい長編です。

物語の入り口

物語の起点は、次の一文に収まります。竹本健治が連載を始めた本格推理に、いつのまにか、埼玉で起こった女性連続殺人事件の犯人を名乗る男の手記がまぎれこんでいた。

この一文を、部品ごとに分けて眺めてみます。連載を始めたのは竹本健治。

連載されているのは本格推理。そこへ、いつのまにか手記がまぎれこんでいた。

手記を書いたのは、埼玉で起こった女性連続殺人事件の犯人を名乗る男です。

この四つの部品だけで、もう十分に不穏です。書き進めている原稿は、本来なら書き手の手の内にしかないはずのものです。

そこに、誰のものとも知れない文章が混じっている。しかもその文章の主は、連続殺人の犯人を名乗っている。

どうしてそんなものが混じっているのか。問いはいくつも浮かびますが、発端の段階で手渡される答えはひとつもありません。

読者はただ、「いつのまにか」という言葉の薄気味悪さを抱えたまま、頁の先へ押し出されます。

埼玉という具体的な地名、連続殺人という生々しい事件、連載原稿という仕事の道具。どれも手で触れられそうなほど確かな手ざわりのものばかりです。

それが「いつのまにか」という一語で結びつけられた途端、得体の知れない寒気が立ちのぼる——発端の数行が放つのは、そういう種類の不穏さです。

読みどころ

1991年のミステリ界の顔ぶれが実名で並ぶ紙面は、それだけで一つの時代の記録になっています。

作家と評論家の名が、刊行当時そのままの形で現れます。当時のミステリ界を知る読者にとっては懐かしい名前の並びであり、後から読む世代にとっては、30年以上前の業界の空気をのぞき込む窓にもなります。

名前が並ぶというただそれだけのことが、1991年という年を紙の上に留めています。

もうひとつは、この作品の風変わりな手ざわりそのものです。本格推理の連載原稿は、書き手にとってもっとも見慣れた仕事場のはずです。

そこへ、連続殺人の犯人を名乗る男の手記が入りこんでくる。机の上という、いちばん安全なはずの場所に、殺人の気配が持ちこまれるわけです。

発端に置かれたこの一点からして、密室や足跡から始まる謎解きとは、まるで別の方角を向いています。一読して忘れられる類の本ではない、正真正銘の怪作です。

分量の面でも、本書は読み手に覚悟を求めます。新装版は上・下の2巻に分かれ、三部作の最初の区間でもあります。

時間に余裕のある時期に手を伸ばしたい作品です。上巻を閉じてから下巻を開くまでの間を空けずに進めば、「いつのまにか」の薄気味悪さを手放さないまま、下巻の終わりまで運んでいけるでしょう。

こんな人におすすめ

女性連続殺人事件の犯人を名乗る者の手記、という題材の生々しさが苦手な人には、つらい読書になるかもしれません。上下2巻の分量もあり、腰を据えて向き合う時間が要ります。

反対に、奇妙な発端に惹かれて、どこへ連れていかれるのかわからない不安ごと楽しめる人には、得がたい体験になるはずです。1990年前後の国内ミステリの顔ぶれに親しみのある読者にも、見逃せない作品です。

作品の背景

『ウロボロスの偽書』は1991年8月に講談社から刊行されました。1978年に長編デビューした竹本健治の、およそ13年後の仕事です。

のちに『ウロボロスの基礎論』『ウロボロスの純正音律』と続く三部作の、最初の作品にあたります。

刊行当時から話題を呼んだのは、同時代の作家や評論家が実名で登場することでした。綾辻行人、島田荘司、新保博久、友成純一。

当時のミステリ界に実在した面々の名が、そのまま作中に並びます。

手に取るなら

現在手に取るなら、講談社文庫の新装版(上・下)です。電子版で読むなら、上下をまとめた合本が便利でしょう。

三部作の第1作にあたるので、続く『ウロボロスの基礎論』『ウロボロスの純正音律』まで読み進めるつもりなら、ここが出発点になります。連載原稿にまぎれこんだ一篇の手記から、竹本健治の三部作は始まります。

竹本健治について

竹本健治は1954年、兵庫県相生市に生まれました。東洋大学文学部哲学科に在籍していた1977年、『虚無への供物』の中井英夫の推薦を受けて、探偵小説専門誌『幻影城』で長編『匣の中の失楽』の連載を始め、世に出ます。

新人がいきなり長編を連載するという異例のデビューで、メタミステリの書き手として注目を集めました。

『幻影城』の廃刊後は、天才少年囲碁棋士・牧場智久が登場する〈ゲーム三部作〉を発表し、一時はSFにも活動の場を移します。1991年には作者自身や実在の作家たちを作中に登場させる『ウロボロスの偽書』を刊行しました。

2016年の『涙香迷宮』は「このミステリーがすごい!」2017年版国内編で1位となり、翌年には第17回本格ミステリ大賞を受けています。大学で囲碁研究会に入り、アマチュアの全国大会にも出場した打ち手で、盤上の遊戯はしばしば作品の題材になっています。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫・新装版(上・下)
刊行年
1991
ISBN-13
9784062938921
系譜
戦後昭和国内

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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