現代国内 2017
探偵が被告席に立った。
証人には死者もいる。
『名探偵は嘘をつかない』阿津川辰海

書評

名探偵は嘘をつかない

事件を解決してきた名探偵が、証拠捏造の疑いで本邦初の探偵弾劾裁判にかけられる長編。

名探偵は嘘をつかない 表紙画像
阿津川辰海 光文社(単行本)2017年
目次

「ただいまより、本邦初の探偵弾劾裁判を開廷する!」阿津川辰海『名探偵は嘘をつかない』は、名探偵を被告席に立たせる長編です。名探偵・阿久津透。

その性格は傲岸不遜にして冷酷非情。妥協を許さず、徹底的に犯人を追い詰める。

その彼に、重大な疑惑が持ち上がりました。証拠を捏造し、自らの犯罪を隠蔽した、というのです。

彼が本当に嘘をついていないのかは、死者を含めた関係者の証言によって、明らかにされる。推理を突きつける側だった探偵が、突きつけられる側に回る。

光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉に応募当時20歳で選ばれた著者のデビュー作で、2017年に光文社から刊行され、本格ミステリ・ベスト10の2018年版で国内3位に入りました。現在は光文社文庫で読めます。

物語の入り口

名探偵・阿久津透。傲岸不遜にして冷酷非情。

妥協を許さず、徹底的に犯人を追い詰める。好かれる探偵ではありません。

しかし、事件は解いてきた。その彼に、重大な疑惑が持ち上がります。

証拠を捏造し、自らの犯罪を隠蔽した。もし本当なら、これまでの解決すべてが疑わしくなる疑惑です。

徹底的に犯人を追い詰めてきた男が、今度は自分の潔白を問われる。追う側と追われる側が、ここで入れ替わります。

そして、裁判が開かれます。本邦初の、探偵弾劾裁判。

名探偵が被告席に立ち、その推理と行いが裁かれる。請求人は六名です。

その一人が、兄を見殺しにされた助手・火村つかさ。探偵の助手が、探偵を訴える側にいます。

最も近くで推理を見てきた人間が、その推理を疑っている。それだけで、この裁判の重さがわかります。

訴える側に六名が並び、被告席には名探偵がひとり。法廷の構図そのものが、探偵小説のいつもの景色とは逆向きです。

彼が本当に嘘をついていないのかは、死者を含めた関係者の証言によって、明らかにされる。死者を含めた、というところに目が留まります。

死んだ人間が、法廷で証言する。探偵が嘘をついたかどうかを確かめる材料に、死者の言葉までが加わるわけです。

傲岸な名探偵、証拠捏造の疑惑、六名の請求人、兄を見殺しにされた助手。開廷を告げる一声の前に、これだけの材料が法廷にそろっています。

読みどころ

この長編の読みどころは、推理を突きつける側だった探偵が、突きつけられる側に回るという構図そのものにあります。 名探偵は、ふつう、最後に真相を語る人間です。

誰にも裁かれず、誰にも検証されない。その特権を、この作品は剥ぎ取ります。

阿久津の推理は正しかったのか。証拠は本物だったのか。

探偵が犯人に向けてきた問いが、そのまま探偵に向けられる。探偵小説の約束事を、探偵小説の中で裁く。

デビュー作でこれをやる度胸が、まず読みどころです。しかも、裁かれる探偵は、好かれない探偵です。

傲岸で冷酷な男が被告席にいるとき、読み手は彼を弁護したいのか、裁きたいのか。その揺れも、この裁判の一部です。

もうひとつは、死者を含めた証言という設定です。ふつうの裁判では、死んだ人間は証言できません。

ここでは、できる。その一点が、法廷の景色を変えます。

生きている者の証言と、死んだ者の証言が、同じ法廷に並ぶ。どちらが重いのか、どちらが正しいのか。

この設定は飾りではなく、裁判の骨組みそのものになっています。

608ページは、デビュー作としては破格の分量です。けれども、その分量は、本格ミステリという形式への愛着の分量でもあります。

探偵とは何か、推理とは何か、証拠とは何か。若い書き手が、その問いを全部抱えて書いた。

その熱量が、頁数になっています。

作品の背景

この作品は、阿津川辰海のデビュー作です。単行本は2017年6月に光文社から出ました。

本格ミステリ・ベスト10の2018年版で国内3位。2020年6月に光文社文庫に入り、608ページ。

同じ日に電子版も出ています。デビュー作で608ページ。

その分量に、書きたいものをすべて詰め込んだ勢いがあります。

手に取るなら

光文社文庫で608ページ、電子版もあります。名探偵という存在そのものに興味がある人、探偵小説の約束事を裁く物語を読みたい人、若い書き手のデビュー作の勢いを味わいたい人に。

阿津川辰海の出発点として、あとの作品を知ってから戻ってきても面白い一冊です。本邦初の探偵弾劾裁判——その法廷に、傍聴人として座ることになります。

阿津川辰海について

阿津川辰海は1994年、東京都に生まれました。東京大学法学部に在学中は文芸サークル「新月お茶の会」に所属し、光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉の第一期に選ばれて、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしています。

『紅蓮館の殺人』に始まる〈館四重奏〉や、短編集『透明人間は密室に潜む』『入れ子細工の夜』など、特殊な設定や極限の状況を持ち込み、その上で論理を組み立てる本格ミステリを書き継いできました。『透明人間は密室に潜む』は『本格ミステリ・ベスト10』2021年版で国内1位となり、2023年には『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受けています。

書誌情報

出版社
光文社 / 単行本
刊行年
2017
ISBN-13
9784334911638
系譜
現代国内 / メタ本格 · 名探偵もの
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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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