顔のないマネキンたち。
人形館の殺人
顔のないマネキンが佇む京都の屋敷を父から受け継いだ飛龍想一に、通り魔殺人と脅迫の影が迫る。
顔のないマネキン人形が、邸内の各所に佇んでいる。『人形館の殺人』の舞台は、父が飛龍想一に遺した京都の屋敷、通称「人形館」です。
街では残忍な通り魔殺人が続発し、想一自身にも、姿なき脅迫者の影が迫ってくる。彼は旧友の島田潔に助けを求めますが、破局への秒読みは、すでに始まっていた。
館シリーズの第4作にあたる長編です。
物語の入り口
京都の屋敷を、飛龍想一は父から受け継ぎました。ふつうの相続とは少し違います。
邸内の各所に、顔のないマネキン人形が佇んでいるのです。父が遺したその屋敷は、「人形館」と呼ばれています。
人の形をしていながら顔を持たないものが、廊下や部屋に立っている。そこで暮らし始めるというだけで、平静ではいられそうにありません。
父はなぜ、こんな屋敷を息子に遺したのか。人形たちは何のためにそこにいるのか。
屋敷そのものが、最初から問いの形をしています。
外の街では、残忍な通り魔殺人が続発しています。屋敷のなかの不気味さと、街に漂う殺気。
その両方に挟まれるように、想一自身にも、姿なき脅迫者の影が迫ってきます。誰が、なぜ、自分を狙うのか。
顔の見えない相手からの脅迫は、顔のない人形たちの佇む屋敷と、不気味に響き合います。逃げ場は、屋敷の内にも外にもないように見えます。
追われる側の視界は、日ごとに狭まっていきます。
追い詰められた想一は、旧友の島田潔に助けを求めます。館シリーズを通じて建物の謎に立ち会ってきた、あの人物です。
ところが、破局への秒読みは、すでに始まっていた。物語の序盤で、そう予告されています。
助けを求めた時点で、事態はもう、引き返せない場所まで来ているのかもしれない。
読者は、顔のない人形たちに囲まれた屋敷のなかで、想一とともに脅迫者の影を待つことになります。通り魔、脅迫者、人形館。
三つの不穏が同じ街に重なって、秒読みだけが静かに進んでいく。その秒読みの傍らに、「遠すぎる風景」という謎めいた言葉がひとつ、置かれています。
読みどころ
顔のないマネキンという道具立てが、屋敷の廊下から頁の隅々にまで、不気味な影を落としています。 人の形をして、顔だけがない。
それが屋敷の各所に佇んでいる。この光景を、綾辻行人は全編を通して読者の視野の隅に置き続けます。
外では通り魔、内には脅迫者の影。心理サスペンスの色が濃く、じわじわと迫ってくる恐怖の手触りは、この館ならではのものです。
事件の派手さより、追い詰められていく人間の息苦しさが、この一冊の中心にあります。
もうひとつは、屋敷の外に広がる街の気配です。人形館は、作者自身の出身地である京都に建っています。
外の通りでは残忍な通り魔殺人が続き、屋敷のなかでは顔のない人形が廊下や部屋に立っている。怖さは建物の内側にとどまらず、人の暮らす街と地続きのところで膨らんでいきます。
どこか遠い土地の話としてではなく、夜道を歩けばすれ違うかもしれない距離で、脅威が形を取っていくのです。想一にとって、屋敷は父から受け継いだ住まいであり、同時に顔のない人形たちの居場所でもあります。
帰り着く家そのものが、気の休まる場所ではない。その居心地の悪さが、街から届く事件の報せを、いっそう重く響かせます。
こんな人におすすめ
心理的な不穏さがじわじわ迫るサスペンスを好む読者、館シリーズを順に読み進めてきて次の一冊を探している読者に向いています。京都という街に土地勘のある人には、舞台の親しさが余分な怖さを足してくれるでしょう。
逆に、孤島や密室のような古典本格の盤面を期待して開くと、かなり違う場所へ連れていかれます。それを承知で手に取ってください。
館シリーズの幅の広さを知るには、むしろ欠かせない一冊です。
作品の背景
刊行は1989年4月5日、講談社ノベルスから。現行版は2010年8月に出た講談社文庫の新装改訂版で、496ページ、電子版もあります。
第1作から数えて二年足らずのあいだに四冊の館が建てられた、その最後の館です。
『人形館の殺人』の舞台となる京都は、作者自身の出身地でもあります。孤島、山中の屋敷、地下の迷宮と続いてきた館が、四冊目で作者の生まれた街に建った。
その事実だけでも、本作がシリーズのなかで少し違う場所に置かれていることが察せられます。
手に取るなら
現行版は講談社文庫の新装改訂版。館シリーズの第4作ですが、本作単独でも筋は追えます。
ただ、四つの館は二年足らずのあいだに続けて建てられたものですから、その流れのまま読むのが素直な入り方です。できれば『十角館の殺人』から順に、この人形館まで辿り着いてください。
顔のない人形たちが待っています。
綾辻行人について
綾辻行人は1960年、京都市の生まれです。京都大学教育学部に進んで京大推理小説研究会に所属し、のちに妻となる小野不由美と同期でした。
研究会には我孫子武丸や法月綸太郎も在籍しています。大学院在学中の1987年に『十角館の殺人』でデビューし、この一作がのちに「新本格」と呼ばれる流れの起点になりました。
1992年には『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)を、のちには第22回日本ミステリー文学大賞を受けています。
奇妙な館を舞台にした館シリーズを書き継ぐ一方で、囁きシリーズや『殺人鬼』、『Another』、『深泥丘奇談』の連作など、恐怖と怪奇を主眼に据えた作品にも長く取り組んできました。漫画家の楳図かずおを「わが心の師」と公言しており、謎解きの骨組みを組み上げる仕事と、怖さを描く仕事を並行して続けてきた作家です。
書誌情報
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