戦後昭和国内 1983
前世で彼を殺したと、
初対面の美女が打ち明けた。
『妖女のねむり』泡坂妻夫

書評

妖女のねむり

樋口一葉の反故紙をたどる旅が、前世をめぐる不思議な道行きへ変わります。

妖女のねむり 表紙画像
泡坂妻夫 東京創元社1983年
目次

廃品回収のアルバイトで出てきた一枚の古紙は、樋口一葉が書いたものでした。泡坂妻夫『妖女のねむり』は、そんな発見から始まる長編です。

紙に記されていたのは小説の一部らしく、前後が欠けています。残りを探して上諏訪へ出かけた真一は、その土地で麻芸(まき)という女性と出会い、二人は前世で恋人同士だったと告げられます。

古い紙の行方を追う旅と、前世の記憶をたどる旅。二つの旅が、同じ土地で重なります。

物語の入り口

発端は、一枚の反故紙です。廃品回収のアルバイトをしていた真一の手に、樋口一葉が書いた紙切れが渡ります。

どうやら小説の一部で、話の前後が欠けている。欠けた部分を求めて、真一は上諏訪まで足を延ばします。

手がかりは、その紙切れ一枚です。古紙の来歴をたどる、地道な調べものの旅です。

上諏訪で出会うのが麻芸です。美しく、どこか妖しい気配をまとった女性で、目が合ったとたん、真一は初対面のはずの相手に、以前どこかで会ったと口走ってしまいます。

自分でも理由のわからない既視感に、真一は戸惑います。会ったことがないはずなのに、会ったことがある気がするのです。

そこへ麻芸が、思いもよらない話を持ち出します。自分たちは、結ばれないまま死んだ恋人同士の生まれかわりなのだ。

だから今度こそ幸せになろう。そう言ったうえで、彼女はさらに打ち明けます。

前世で西原牧湖だった自分は、平吹貢一郎だった真一を殺してしまったのだ、と。愛の誘いと殺人の告白が、ひと続きに差し出されるわけです。

信じるには話が奇妙すぎ、かといって退けるには、あの既視感の説明がつかない。真一はその宙づりのまま、麻芸とともに前世の記憶をたどりはじめます。

一葉の断簡の行方を追う道と、前世の二人の身に何があったのかを探る道。読者は真一の隣で、その二本の道を並んで歩くことになります。

読みどころ

文学史の古紙と前世の記憶という、並びそうにない二つの話が、一人の青年の旅のなかで出会います。 出発点にあるのは、一葉の断簡の前後を探すという、文学史寄りの静かな調べものです。

そこへ、初対面の女性が前世の話を持ち込んでくる。幻想の香りと、謎を筋道で追う手つきが、一つの物語のなかに同居しています。

その取り合わせが、この長編の読み心地をつくっています。

もうひとつは、麻芸の言葉の据わりの悪さです。今度こそ幸せになろうという甘い誘いと、あなたを殺してしまったという重い告白が、同じ口から、ほとんど間を置かずに出てくる。

求愛と告白のどちらを先に受け止めればいいのか、真一にもすぐには決められません。妖しい気配をまとった女性が、この二つの言葉を並べて差し出す。

その落ち着かなさを抱えたまま、読者は頁をめくることになります。

上諏訪という土地が選ばれていることも、物語の空気の一部です。古紙の来歴を訪ねる旅の行き先と、前世の話が持ち出される場所が、同じ一つの町に重ねられています。

こんな人におすすめ

怪奇と幻想の香りが漂うミステリを好む人、心理サスペンスの不穏さに惹かれる人に向いています。泡坂妻夫の作品のなかでも、幻想の色が濃い一冊です。

『湖底のまつり』を面白く読んだ人には、次に手に取る本として薦められます。明治の文学者が遺した紙を追うという発端に惹かれる人にも、入りやすい題材です。

逆に、はっきりした事件と捜査の骨格を求める気分のときには、前世という題材が少し遠く感じられるかもしれません。

作品の背景

『妖女のねむり』の初刊は1983年7月、新潮社からで、同じ年の週刊文春ミステリーベスト10では国内10位に入りました。1986年に新潮文庫、1999年にハルキ文庫と版を移し、2010年6月に創元推理文庫へ。

創元推理文庫版は366ページで、解説は松浦正人が書いています。電子書籍でも読めます。

初刊から四半世紀のあいだに、三つの文庫を移ってきたことになります。東京創元社は、本書を本格ミステリとして扱っています。

手に取るなら

現行版は創元推理文庫です。シリーズには属さない単独の長編なので、泡坂妻夫のほかの作品を読んでいなくても問題なく入れます。

巻末には松浦正人の解説が収められています。一枚の反故紙を手に、真一が上諏訪へ向かうところから、この物語は始まります。

泡坂妻夫について

泡坂妻夫は1933年、東京・神田の生まれで、本名は厚川昌男です。筆名は本名のアナグラムになっています。

生家は着物に家紋を描き入れる紋章上絵師で、作家になってからも家業を続けました。奇術師としての顔も持ち、1969年には創作奇術をまとめた作品集で第2回石田天海賞を受けています。

1976年、短編「DL2号機事件」が第1回幻影城新人賞の佳作に入ってデビューしました。1978年に『乱れからくり』で第31回日本推理作家協会賞、1982年に『喜劇悲奇劇』で第9回角川小説賞を受けます。

のちには職人の世界を描く人情ものにも筆を広げ、1988年に『折鶴』で第16回泉鏡花文学賞、1990年に『蔭桔梗』で第103回直木賞を受けました。探偵役には亜愛一郎、曾我佳城、ヨギ ガンジーらがいます。

2009年に75歳で亡くなっています。

書誌情報

出版社
東京創元社
刊行年
1983
ISBN-13
9784488402204
系譜
戦後昭和国内
受賞歴

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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