この惨殺に耐えられるか。
殺人鬼 覚醒篇
夏山の集いを殺人鬼が襲う。容赦のない殺戮の描写とともに迫る、綾辻行人の本格ミステリ。
90年代のある夏、双葉山に集った〈TCメンバーズ〉の一行を、突如出現した殺人鬼が襲う。一人、また一人と惨殺されていく。
『殺人鬼 覚醒篇』は、綾辻行人が1990年に『殺人鬼』として世に出した長編です。『十角館の殺人』に始まる館シリーズの作家が、容赦のない殺戮の物語として組み上げた本格ミステリです。
殺傷の描写は苛烈で、残酷描写への耐性は必要です。それでも、逃れがたい脅威に直面する物語を求める読者には、その激しさこそが読む理由になります。
物語の入り口
90年代のある夏。双葉山に、〈TCメンバーズ〉と呼ばれる一行が集まります。
夏の山に人が集う。それだけなら、ごくふつうの光景です。
木々の緑、夏の日差し、仲間と過ごす時間。惨劇の前の風景は、どこにでもあるものです。
山に集った一行にとっても、それはありふれた夏のひとときのはずでした。ところがそこへ、殺人鬼が突如として出現します。
そこから先は、一言で言うほかありません。一行は、一人、また一人と惨殺されていく。
いつ果てるとも知れない地獄の饗宴。夏の山という開放的な場所が、逃げ場のない殺戮の場に変わります。
殺人鬼は何者なのか、なぜ襲うのか。問いを立てる余裕すら、襲われる側にはありません。
ただ逃げ、ただ隠れ、それでも追いつかれる。山は広いはずなのに、どこにも逃げ場がない。
綾辻行人の筆は、ここで一切の手加減をしません。殺傷の描写は苛烈で、題名から受ける印象を、さらに押し広げるような容赦のなさがあります。
読む前に、それだけは知っておいたほうがいい。それでもページをめくる手が止まらないのは、恐怖の描き方が正確だからです。
読者は、山に取り残された一行のひとりとして、殺人鬼の足音を聞くことになります。誰が次に倒れるのか、逃げ道はあるのか。
襲われる側の恐怖は、どこまでも直接的で、肉体的です。逃げる足音と、追ってくる足音。
その距離だけが、この物語の時間を刻んでいきます。
読みどころ
読みどころは、容赦のない殺戮の恐怖と本格ミステリの謎を、同じ強さで並べたところにあります。 一方にあるのは、逃れがたい脅威に追い詰められていく人たちの、剥き出しの恐怖です。
この激しさに正面から向き合う覚悟が要ります。その覚悟に見合うだけの体験が、ここには用意されています。
木々の緑も夏の日差しも明るいまま、その明るさが恐怖を和らげる方向には一度も働きません。
恐怖の芯にあるのは、終わりの見えなさです。何人が倒れれば終わるのか。
その見通しを誰も持てないまま、殺戮だけが続いていきます。一場面ごとの残酷さとは別に、果てが見えないという重さが、読み手の肩にのしかかってきます。
舞台は明るく開けているのに、物語の先はまったく見通せない——その落差が、息苦しさを生んでいます。
そしてもう一方にあるのが、本格ミステリとしての謎です。殺人鬼は何者なのか、なぜこの一行を襲うのか。
山のなかで逃げまどう一行には答えを探す暇もありませんが、頁の外にいる読み手は、目の前で起きる出来事を推理の材料として見つめ続けることができます。惨劇の行方に息を詰める緊張と、謎を解こうとする頭の働きが、同じ頁のなかで張り合う。
激しい殺戮のただなかに、綾辻行人は謎を正面から据えてみせました。
こんな人におすすめ
逃れがたい脅威に直面する物語を求める読者、激しい恐怖のただなかで謎を追う本格ミステリを読みたい読者に向いています。綾辻行人の幅の広さを知りたい人にも、避けて通れない一冊です。
館シリーズから入った読者には、同じ書き手が夏の山を舞台に謎を組んだ一作として薦められます。逆に、残酷な描写が苦手な人には、はっきりと薦めません。
殺傷の描写は苛烈で、題名に偽りはありません。生半可な覚悟では、途中で本を閉じることになるでしょう。
それを承知のうえで、開いてください。
作品の背景
本作は1990年1月に双葉社から『殺人鬼』として刊行されました。『十角館の殺人』でのデビューから数えて、3年後に世に出た作品です。
1993年10月には続編『殺人鬼II 逆襲篇』が出て、二部作となりました。2011年8月に角川文庫に入った際に改訂が施され、題も『殺人鬼 覚醒篇』と改められています。
続編も、2012年2月の角川文庫版では『殺人鬼 逆襲篇』と題を改めました。
綾辻行人は館シリーズと同じ時期に、ホラー色の強い仕事も並行して書いていました。『殺人鬼』は、その苛烈な筆致を本格ミステリの長編にそのまま持ち込んだ作品です。
館の作家という顔しか知らない人がこの一冊を開くと、まず血の量の違いに息をのむはずです。
手に取るなら
現行版は角川文庫の『殺人鬼 覚醒篇』で、352ページ、電子版もあります。続編の『殺人鬼 逆襲篇』より先に、まずは本作から読んでください。
二部作といっても、本作だけで一冊の物語としてきちんと閉じています。館シリーズの知識はいりません。
夏の山で、殺人鬼が待っています。
綾辻行人について
綾辻行人は1960年、京都市の生まれです。京都大学教育学部に進んで京大推理小説研究会に所属し、のちに妻となる小野不由美と同期でした。
研究会には我孫子武丸や法月綸太郎も在籍しています。大学院在学中の1987年に『十角館の殺人』でデビューし、この一作がのちに「新本格」と呼ばれる流れの起点になりました。
1992年には『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)を、のちには第22回日本ミステリー文学大賞を受けています。
奇妙な館を舞台にした館シリーズを書き継ぐ一方で、囁きシリーズや『殺人鬼』、『Another』、『深泥丘奇談』の連作など、恐怖と怪奇を主眼に据えた作品にも長く取り組んできました。漫画家の楳図かずおを「わが心の師」と公言しており、謎解きの骨組みを組み上げる仕事と、怖さを描く仕事を並行して続けてきた作家です。
書誌情報
綾辻行人をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本