謎の男と結婚せよ。
三つ首塔
見知らぬ男との結婚を条件にした百億円の遺産が、還暦の祝宴を三重殺人の現場へ変える。
華やかな還暦祝いの席が、一夜で三人の死の現場に変わる。その手前に置かれているのは、若い女性に課せられた奇妙な条件です。
会ったこともない男と結婚すること——それが、莫大な遺産を継ぐための条件でした。『三つ首塔』は、金田一耕助シリーズのなかでも、本格の骨組みと恋愛の熱を同じ器に盛ろうとした異色の長編です。
物語の入り口
主人公は宮本音禰という若い女性です。彼女はある日、百億円に近い遺産を受け継ぐ立場にあると告げられます。
降って湧いた話ですが、条件がひとつありました。謎の男との結婚。
顔も知らない相手と夫婦になることが、遺産を継ぐための条件だというのです。断れば、相続はありません。
受ければ、見知らぬ男と生涯を共にすることになります。音禰の前に置かれたのは、そういう二者択一でした。
相手がどんな男なのか、なぜ自分にその話が来たのか。告げられたのは条件だけで、答えはまだ差し出されません。
その相続の話が、事件を巻き起こします。舞台は、伯父の還暦を祝う華やかな席です。
親族が集まり、祝いの膳が並ぶ夜。遺産の条件を抱えたまま、音禰はその席に座っています。
その席が、三重殺人の現場に変わります。祝宴の華やぎと、そこに落ちる血の色。
その落差の大きさが、最初の一撃です。
語りは、音禰自身が後から書き残した手記の形をとっています。読者が据えられるのは、事件を書き記す彼女の机の前です。
相続の条件を告げられた日の戸惑いも、祝いの席の華やぎも、そこに走った血の色も、音禰の筆を通して届きます。金田一耕助もこの事件に関わりますが、表に立つのは終始ヒロインのほうで、名探偵は脇に控えています。
相続をめぐる人間関係と、若い女性の揺れる心。その二つを一度に抱えて、物語は祝宴の夜へ向かいます。
読みどころ
読みどころは、謎解きの骨組みと恋愛の熱とを、同じ器に盛ろうとした欲張りさにあります。
遺産をめぐる人間関係の図式は、本格らしく几帳面に組まれています。一方で、ヒロインの心の揺れは、メロドラマの筆致で書かれる。
ふつうなら反発しあう二つの調子が、本作では同居しています。謎の男との結婚という取り決めひとつが、事件を巻き起こす発端でありながら、同時にヒロインの胸を騒がせる種にもなっている。
二つの調子は、この一点で一本につながっています。倶楽部雑誌に一年かけて載った作品ですから、読み手を退屈させない工夫が毎回の掲載分に仕込まれていて、その積み重ねが一冊の推進力になっています。
もうひとつは、映像との相性です。1956年4月、連載終了の翌年には東映で映画になりました。
小林恒夫と小沢茂弘の共同監督、片岡千恵蔵主演。テレビドラマも1972年、1977年、1988年、1993年と4度作られています。
相続と結婚という筋立てが、映像の作り手を繰り返し引き寄せてきました。活字で読むと、そこにヒロインの手記という語りの形が加わります——映像では削ぎ落とされがちな、活字ならではの部分です。
端正な謎解きだけを期待して開くと、恋愛の熱っぽさや扇情的な場面に面食らうかもしれません。けれども、昭和30年代の大衆小説が持っていた勢いをそのまま吸い込める作品でもあります。
倶楽部雑誌の読み手に向けて一年がかりで書き継がれた、娯楽の熱量そのものを味わう読書です。金田一耕助が脇に控え、ヒロインの手記が全篇を運ぶ。
シリーズのなかで、この一冊だけが持つ形です。
作品の背景
本作の発表の舞台は、娯楽雑誌『小説倶楽部』です。1955年の1月号から12月号まで、まる一年をかけて連載され、単行本は1956年9月、東京文芸社から出ました。
掲載誌の性格もあって筆は大きく振られ、扇情的な場面もたっぷり含まれています。それでいて「三つ首塔」と呼ばれる塔の言い伝えが物語の底に敷かれ、構成も入り組んでいる。
本格推理とメロドラマの融合を試みた作品であり、この両面がそのまま物語の柱になっています。金田一耕助ものではありますが、シリーズのなかでは少し変わった場所に立っています。
手に取るなら
現在の版は角川文庫〈金田一耕助ファイル〉13で、368ページ。電子版も2002年から配信されています。
シリーズものですが、名探偵の出番は少なく、単独で物語は完結しますから、シリーズ未読でも困りません。逆に、『獄門島』や『犬神家の一族』を読み終えて、横溝正史の別の顔を覗きたくなった読者にこそ向いています。
祝いの席と、見知らぬ男との結婚。その二つを胸に、音禰の手記を開く夜に。
横溝正史について
横溝正史は1902年、兵庫県神戸市の生まれです。1921年、雑誌『新青年』の懸賞で一等に選ばれた「恐ろしき四月馬鹿」で世に出て、大阪薬学専門学校を卒業したのち、1926年に江戸川乱歩の招きで上京して博文館に入りました。
『新青年』などの編集長を務め、1932年に退社して作家専業となります。戦前は由利麟太郎を探偵役にした『真珠郎』などを書き、戦時中は岡山県に疎開しました。
戦後、金田一耕助が初めて登場する『本陣殺人事件』で1948年に第1回探偵作家クラブ賞の長編賞を受け、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、金田一ものの長編を書き継いでいきます。1970年代には角川文庫での再刊と映画化が重なって、まったく新しい世代の読者を得ました。
1976年に勲三等瑞宝章を受け、1981年に没しています。
書誌情報
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