死んでも過去が出てこない。
鍵の掛かった男
中之島のホテルで死んだ男は何者か。犯人捜しより一人の人生を掘る異色作。
中之島のホテルで、梨田稔が死にました。69歳。
警察は、自殺と断定します。ところが、同じホテルを定宿にする作家・影浦浪子は、その結論に疑問を持ちました。
梨田はスイートに5年住み、周囲に愛され、2億円の預金があった。影浦は、死の謎の解明を、推理作家の有栖川有栖と友人の火村英生に依頼します。
ところが調査は難航する。彼の人生は闇で、鍵の掛かった状態だったのです。
梨田とは誰か。他殺なら犯人は。
『鍵の掛かった男』は、火村英生シリーズの長編としては『乱鴉の島』以来9年ぶりの一冊で、現場の検証よりも、一人の男の来歴を掘り起こす筆致が全編を貫きます。
物語の入り口
2015年1月、大阪・中之島。小さなプチホテルで、長期滞在客の梨田稔が死んでいるのが見つかります。
69歳。警察は、自殺と断定しました。
ふつうなら、話はそこで終わります。69歳の長期滞在客が、ホテルの部屋で自ら命を絶った。
そう処理されて、誰も疑わない。
ところが、納得しない人がいました。同じホテルを定宿にする作家、影浦浪子です。
彼女が知る梨田は、スイートに5年も住み続け、周囲に愛され、2億円の預金を持っていた人物でした。彼女は自殺という結論を受け入れず、死の謎の解明を、推理作家の有栖川有栖と、その友人で犯罪学者の火村英生に依頼します。
調査は、難航します。梨田がどんな人間だったのか、どこから来て、何をしてきたのか。
訊けば訊くほど、輪郭が見えてこない。彼の人生は闇で、鍵の掛かった状態だったのです。
梨田とは、誰か。他殺なら、犯人は。
二つの問いが、この長編の軸です。警察の側では、すでに自殺として片づいた死です。
二人はその死を、影浦の抱いた疑問ひとつを頼りに、追い続けます。
読者は、火村と有栖川とともに、一人の男の来歴を洗っていくことになります。現場を検証し、証拠から犯人を絞り込む、という手順ではありません。
人物の輪郭を、聞き込みと資料から復元していく。犯罪小説の別の流儀でおなじみの手順を、本格の骨格に組み込んだ、と言ってもいい。
736ページという長さは、そのまま調査の密度です。聞き込みと資料に付き合う時間を、じっくり味わう読書になります。
読みどころ
この物語が掘り進めるのは、犯人の名より先に、一人の男が生きてきた道のりです。 鍵の掛かった人生。
5年間、スイートに住み続け、周囲に愛され、2億円を残して死んだ男が、何者だったのか。その問いは、犯人は誰か、という問いと同じ重さで置かれています。
火村英生シリーズの論理の切れ味は健在ですが、その論理が向けられる先が、いつもと少し違う。事件の現場ではなく、一人の人間の過去へ。
もうひとつは、長さです。972枚、文庫で736ページ。
作中で梨田の死が見つかるのは2015年1月。原稿が書き起こされたのも同じ月の末で、そこから7月まで書き継がれました。
シリーズ9年ぶりの長編は、その長さをそのまま調査の密度に変えています。聞き込みを重ね、資料を読み、少しずつ人物の輪郭を復元していく。
地道な捜査を味わう読書として、これだけの厚みは、それ自体がひとつの贅沢です。その密度は、終幕まで緩みません。
こんな人におすすめ
地道な捜査を味わいたい読者、誰が犯人かより、なぜ、を知りたい読者に向いています。火村英生シリーズを追ってきた人にとっては、短編集5冊を挟んで、ようやく届いた長い物語です。
文庫で736ページの長さは、そのまま聞き込みと資料の厚みになっていて、梨田の来歴を一歩ずつたどる時間に付き合うことになります。逆に、速い展開や派手な仕掛けを求める気分のときには、この一冊の丹念な歩みは少し長く感じられるかもしれません。
作品の背景
本作は、火村英生シリーズの第23作にあたります。シリーズの長編としては、2006年の『乱鴉の島』以来9年ぶり。
そのあいだに短編集は5冊出ていますが、長い物語は久しぶりでした。原稿は972枚。
2015年1月末から7月にかけて書かれ、同じ年の『本格ミステリ・ベスト10』2016年版で国内第7位に入りました。現行版は2017年10月刊の幻冬舎文庫で、736ページ。
電子版もあります。文庫一冊としては、かなりの厚みです。
手に取るなら
現行版は幻冬舎文庫。火村英生シリーズの第23作ですが、本作単独でも筋は追えます。
中之島のホテルで死んだ男は、何者だったのか。その問いを胸に、火村と有栖川の聞き込みに、最後まで付き合ってみてください。
鍵の掛かった人生を、一枚ずつ開けていく時間が、ここにあります。長い読書を厭わない人に、とりわけ薦めたい一冊です。
有栖川有栖について
有栖川有栖は1959年、大阪市の生まれです。小学生のころから推理作家を志し、同志社大学法学部では推理小説研究会に所属しました。
卒業後は書店に勤めながら書き続け、1989年に『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビューします。1994年に書店を辞め、専業作家になりました。
作品は大きく二つの系列に分かれます。江神二郎が探偵役を務める学生アリスのシリーズと、臨床犯罪学者の火村英生と推理作家の有栖川有栖が組む作家アリスのシリーズです。
2003年に『マレー鉄道の謎』で第56回日本推理作家協会賞、2008年に『女王国の城』で第8回本格ミステリ大賞、2018年に火村英生シリーズで第3回吉川英治文庫賞、2022年に第26回日本ミステリー文学大賞を受けました。2000年から2005年までは本格ミステリ作家クラブの初代会長も務めています。
書誌情報
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