現代国内 2015
旅行特集の取材先で、
国王が殺された。
『王とサーカス』米澤穂信

書評

王とサーカス

2001年カトマンズ王族殺害事件の只中、フリージャーナリストが報道倫理に直面する米澤本格。

王とサーカス 表紙画像
米澤穂信 東京創元社(創元推理文庫)2015年
目次

目の前の死は、自分がそこにいたせいで起きたのではないか。『王とサーカス』の重さは、その疑いから来ています。

米澤穂信が2015年に発表した長編で、主役は新聞社を辞めたばかりのジャーナリスト・太刀洗万智。取材で訪れたネパールで、王族殺害事件という歴史的な出来事に遭遇した彼女の前に、ひとつの死体が現れます。

派手なトリックではなく、報道という営みそのものを論理の俎上に載せた一冊です。

物語の入り口

『王とサーカス』は、2004年の『さよなら妖精』に登場した太刀洗万智を、その出来事から十年の時を経て主役に据える「ベルーフ」シリーズの長編です。2001年。

新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためにネパールへ向かいます。滞在先は首都カトマンズ。

雑誌のアジア特集のための下調べという、どちらかといえば穏やかな部類に入る取材です。現地で知り合った少年にガイドを頼み、異国の街を歩いて、旅行者向けの記事のための材料を集める。

そんな時間を過ごそうとしていた矢先に、事態が変わります。王宮で、国王をはじめとする王族が殺害される事件が起きたのです。

一国の歴史を揺るがす出来事の只中に、たまたま居合わせてしまった元新聞記者。太刀洗はジャーナリストとして、すぐに取材に動きます。

書くべきことが目の前にある。それは記者にとって、幸運と呼んでよいことなのか。

情報の入り乱れる街を歩き回る彼女の前に、やがてひとつの死体が現れます。その死は、自分がこの街で取材をしていたことと関わっているのではないか。

その疑いを抱えたまま、異国の街で、ひとりのジャーナリストが、書くという行為の意味を根本から問われることになるのです。

読者は、太刀洗の一歩後ろに立たされます。彼女が見たものを一緒に見て、彼女が聞いた言葉を一緒に聞き、そして彼女と同じ問いを抱えることになる。

何を書き、何を書かないのか。悲劇を伝えることと、悲劇を売り物にすることの境目はどこにあるのか。

その境目を探して、物語は異国の街を静かに歩き続けます。歩く速度は遅いのに、目を離せない。

そういう種類の緊張が、最後まで途切れません。

読みどころ

本作の核は、トリックの精緻さではなく、問いの設計にあります。 2001年のネパール王族殺害事件という実在の出来事を背景に据え、その只中にフィクションの謎を組み込んでいます。

歴史の側の事件は、書き手の都合では動かせません。その動かせない出来事のすぐ脇で架空の死がひとつ起き、その死をどう書くかが問われる。

報道という営みを、論理の対象として扱う。誰が、何のために、何を伝えるのか。

その問いが、そのまま謎解きの骨格になっています。死の真相を突き止めることと、それを記事として世に出すかどうかを決めることが、太刀洗のなかでは一続きの仕事になっているのです。

もうひとつは、取材小説としての厚みです。異国の街路、安宿の手触り、寺院の喧騒、複雑な政治情勢。

太刀洗の目を通して描かれるカトマンズの空気が、事件の背景としてではなく、事件そのものの一部として立ち上がってきます。派手なトリックや密室を主役に据えた作品ではないので、本格パズラーの軽快さを期待すると肌合いが異なるかもしれません。

しかし、問いの強度に唸らされたい読者にとっては、繰り返し読み直したくなる種類の作品です。

こんな人におすすめ

論理よりも問いの設計に唸らされたい読者、報道や記録という行為そのものを扱うミステリを好む読者に向いています。異国の都市を舞台にした重量級の長編を求める人にも。

記者や編集者など、伝える仕事に就いている人には、とりわけ身に迫る一冊でしょう。逆に、密室や不可能犯罪の切れ味を求める気分のときには、この静かな重さは少し遠く感じられるかもしれません。

作品の背景

本書は2015年、東京創元社から刊行され、2018年に創元推理文庫に入りました。同じ2015年には、連作短編集『真実の10メートル手前』が続いています。

「古典部」シリーズや「小市民」シリーズで高校生の身の回りに起きる謎を書いてきた米澤穂信が、本作では舞台を海外へ移し、報道の倫理を謎解きの主題に据えました。

第69回日本推理作家協会賞の長編および連作短編集部門を受賞し、「このミステリーがすごい!」2016年版国内編、「週刊文春ミステリーベスト10」2015年国内部門、「ミステリが読みたい!」2016年版国内篇で、いずれも1位に選ばれています。第16回本格ミステリ大賞の候補にも入りました。

文庫版の解説は末國善己が書いています。

手に取るなら

現行版は創元推理文庫。Audible版もあります。

『さよなら妖精』を先に読んでおくと、十年後の太刀洗に会う感慨が加わりますが、本作から入っても物語は独立して読めます。気に入ったら、連作短編集『真実の10メートル手前』へ進むと、シリーズとしての射程の深さが見えてきます。

米澤穂信について

米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。

卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。

高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。

2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
刊行年
2015
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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