Top ミステリ Reviews そしてミランダを殺す
REVIEW · 書評
N° 115 · 2026-07-05
そしてミランダを殺す 表紙画像
現代米国

そしてミランダを殺す

ピーター・スワンソン / 東京創元社(創元推理文庫)
" 空港バーで「妻を殺したい」と打ち明けた男に「手伝いましょうか」と答えた見知らぬ女。
#物語の前提が崩れる#誰が犯人かより、なぜ
Kindle で読む 紙の書籍
本ページのリンクは Amazon アソシエイト・プログラムにより収益を得ています
📝 書評 世評・資料をもとに、当サイトの選書基準で構成した書評です ✓ 結末・犯人・トリックの種類には触れていません
review notes

ミステリーとしての読みどころ

空港のバーで隣り合わせた見知らぬ男女。男は酔った勢いで「妻を殺したい」と打ち明け、女は静かに「手伝いましょうか」と応じる——『そしてミランダを殺す』は、この一夜の会話から転がり始める犯罪サスペンスです。

行きずりの軽口だったはずの殺意が本物の計画へ変わり、やがて殺す者と殺される者、追う者と追われる者の攻防へと発展していく。その全過程を、男女4人のモノローグが多角的に照らし出します。

著者について

著者ピーター・スワンソンは、アメリカ・マサチューセッツ州出身の作家です。2014年に『時計仕掛けの恋人』でデビューし、翌2015年に発表した第二長編が本書(原題 The Kind Worth Killing)。

米国のHarperCollinsと英国のFaber & Faberから同時刊行されると、英国推理作家協会(CWA)賞のイアン・フレミング・スチールダガー部門で最終候補に残り、スワンソンを英米サスペンス界を代表する書き手のひとりへ押し上げた出世作となりました。以後も『ケイトが恐れるすべて』『だからダスティンは死んだ』『8つの完璧な殺人』と話題作を重ねています。

日本での受容には、ちょっとした物語が添えられています。版元の紹介によれば、本書は翻訳者が「訳したい!」と自ら持ち込んだ企画だったとのこと。

その熱意は結果で報われ、2017年に創元推理文庫から務台夏子訳で刊行されるや、年末のミステリ・ランキング各種で第2位にランクインする高い評価を受けました。

物語の幕が上がるのは、ロンドン発ボストン行きの便を待つ空港のラウンジです。搭乗までの宙ぶらりんな時間、二度と会わないはずの他人同士が束の間だけ隣り合う場所。

ボストンの実業家テッド・セヴァーソンは、隣の席に座った見知らぬ美女リリー・キンターと言葉を交わすうち、酒の勢いも手伝って、互いの秘密を明かし合うゲームを始めます。行きずりの相手だからこそ話せることがある——そんな旅先特有の気安さのなかで、テッドの口から漏れたのは、妻ミランダの浮気を知ってしまったという告白でした。

そして彼は、言ってはならない一線をつい越えてしまいます。妻を殺したいと思っている、と。

聞き流されても、たしなめられても不思議のない台詞です。ところがリリーの返答は、そのどちらでもありませんでした。

ミランダは殺されて当然だと断言し、あろうことか協力を申し出るのです。酔った男の愚痴が、見知らぬ女のひと言で、輪郭のある殺人計画へ変わっていく。

この冒頭の場面の恐ろしさは、リリーの声がどこまでも静かで、まるで筋が通っているかのように響くところにあります。読者は「まさか本当に実行まで進むはずがない」と思いながらページをめくり、気づけば計画の細部が詰められていく過程を、どこか共犯者めいた位置から見守ることになります。

やがて計画は具体化し、決行の日が近づいていきます。そのとき起きるのが、予想外の事件。

ここを境に物語は、殺す者と殺される者、追う者と追われる者の攻防へと転じ、語り手を替えながら連なっていくモノローグが、事態を誰にも読めない方向へと加速させていきます。冒頭の空港で交わされた一夜の会話が、どれほど遠くまで波紋を広げていくのか。

その射程の長さも、この作品の大きな見どころです。

読みどころ

読みどころは、「誰が」よりも「なぜ」を追わせる語りの推進力にあります。 下敷きにあるのは、見知らぬ二人が出会い、殺意を口にしてしまうというパトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』以来の古典的な構図で、本書は版元の紹介でも同作へのオマージュと位置づけられています。

その骨格を現代に置き直すにあたってスワンソンが選んだのが、男女4人のモノローグという形式でした。同じ状況も、誰の目を通すかでまるで違う景色に見える。

章が替わり視点が移るたびに人物たちの思惑が塗り重ねられ、最初は単純に見えた殺意の構図に奥行きが生まれていきます。犯人捜しの謎解きというより、殺意がどこから来て、人をどこまで運んでいくのかを見届けるタイプのサスペンスです。

こんな人におすすめ

相性で言えば、手がかりから犯人を絞り込む純粋なパズル型の謎解きを期待すると、毛色の違いに戸惑うかもしれません。本書の魅力は論理の曲芸ではなく、登場人物の内面へ降りていく語りと、物語の前提が揺らいでいく感覚の側にあります。

逆に、人間の暗部を覗き込む心理サスペンスが好きな読者、複数の視点が絡み合ってひとつの犯罪を照らし出す構成に惹かれる読者には、まっすぐ刺さる一冊でしょう。「殺したい」「殺されて当然」という言葉が平然と交わされていく物語なので、寄り添える善人を探しながら読むタイプの読者より、人間の底を覗く緊張感を楽しめる読者向きです。

手に取るなら

入手は創元推理文庫版(務台夏子訳)で、巻末には三橋曉氏による解説が付されています。訳者の務台夏子は、オコンネル『クリスマスに少女は還る』やエスケンス『償いの雪が降る』などを手がけてきた英米文学翻訳家。

同じ務台訳で著者の『8つの完璧な殺人』も読めるので、本書が気に入ったら続けて手に取るのがおすすめです。現代の英米サスペンスへの入り口として、申し分のない代表作です。

❦ ❦ ❦

書誌情報

出版社
東京創元社 / 創元推理文庫
原書刊行年
2015
邦訳刊行年
2017
ISBN-13
9784488173050
系譜
現代米国