現代国内 2000
逮捕はできた。
動機だけが闇に残った。
『悪意』東野圭吾

書評

悪意

捕まった犯人が口を閉ざす「動機」とは何か。加賀恭一郎シリーズ第4作のホワイダニット。

目次

人気作家が、仕事場で殺されました。第一発見者は、その妻と昔からの友人。

ここまでなら、事件の書き出しとしてはありふれています。東野圭吾『悪意』が異例なのは、そのあとです。

逮捕された犯人が、決して「動機」を語らない。誰が、ではなく、なぜ。

その一語だけで、最後のページまで読み手を引っ張ります。加賀恭一郎シリーズの第4作にあたる、動機の謎を掘り下げるホワイダニットの長編です。

物語の入り口

舞台は、人気作家の仕事場です。書くための部屋で、書く人が死んでいた。

言葉を生み出してきた場所が、そのまま事件の現場になります。最初に見つけたのは、その妻と、昔からの友人でした。

どちらも、被害者のすぐそばにいた人物です。読み始める前に手渡されるのは、この事実だけ。

作家がどんな本を書いてきたのか、妻と友人がそれぞれ被害者とどんな時間を重ねてきたのか、二人が現場で何を見たのか。捜査は、そうした問いを一つずつ拾い上げるところから動き出します。

捜査にあたるのは、加賀恭一郎。この先の長いシリーズを通じて主役を務めることになる刑事が、ここでは、動機を語らない犯人の前に立ちます。

犯人が捕まっているのに、事件が終わらない。なぜ殺したのかだけが、宙に残る。

誰がやったのか、ではない。なぜやったのか——動機を解く本格、ホワイダニットの骨組みは、この一点に集められています。

犯人はなぜ殺したのか——物語が差し出す謎は、突き詰めればこの一点です。読者が立たされるのは、語られない動機の前です。

動機を語ろうとしない犯人と、それを聞き出そうとする刑事。二人のあいだで交わされるものを、読者は加賀恭一郎の肩越しに見ることになります。

降りていく先に何があるのかは、この刑事と同じ速度で知っていくほかありません。その空白を抱えたまま、ページは先へ進みます。

人の内側へ向かう読書が、ここから始まります。

読みどころ

本作の核にあるのは、犯人がなぜ殺したのかという、正面からの問いそのものです。

逮捕という事実と、語られない動機。この二つを同時に抱えたまま読み進める設計が、物語の骨格です。

犯人がわかっても謎は残る、という状態は、それ自体が読み手を落ち着かなくさせます。読み手が抱えるのは、誰かを疑う緊張ではなく、答えを知っている人物が口を閉ざしている、という息苦しさです。

問いが向かう先は、証拠ではなく、ひとりの人間の内側です。そこに何が見つかるのかを、この作品は「動機の謎を掘り下げる」という一点に絞って書き切っています。

問いをひとつに絞り込んだぶん、読み手の側にも逃げ場はありません。

もうひとつは、『悪意』がどの時点で書かれたか、です。1996年、『容疑者Xの献身』で直木賞を受ける10年前、デビューから11年後。

著者はまだ、本格ミステリの腕だけで読者を掴もうとしていました。加賀恭一郎にとっても、これはまだシリーズ4作目の事件です。

長く書き継がれていくシリーズの早い地点に、動機ひとつへ的を絞った作品が置かれていることになります。『秘密』で日本推理作家協会賞を受けるのは、この3年後のことです。

賞の肩書きをまだ持たない時期の作家が、加賀恭一郎という刑事をどう動かしていたのか。その手つきを追う読み方もできます。

犯人当ての緊張や、機械仕掛けの大トリックを期待して開くと、『悪意』は地味に映るかもしれません。けれども、語られない動機の前に立ち続ける重さこそが、この長編の本体です。

事件の筋より人の心の動きを追う読書が好きな人には、その重さがそのまま手応えになります。シリーズの第4作が、犯人の語らない動機そのものを物語の問いに据えている。

その組み立てが、この巻の持ち味です。

作品の背景

刊行は1996年9月、双葉社から。2000年1月に講談社ノベルス、2001年1月に講談社文庫と版を移しました。

本作が出た1996年は、東野圭吾が1999年に『秘密』で日本推理作家協会賞、2006年に『容疑者Xの献身』で直木賞と本格ミステリ大賞を受ける前にあたります。「直木賞作家」「国民的ベストセラー作家」という肩書きがまだ付いていない、本格ミステリの腕だけで勝負していた時期に書かれました。

加賀恭一郎シリーズとしては第4作。後年『赤い指』『新参者』『麒麟の翼』へと書き継がれていくこのシリーズの、円熟期の入り口に置かれています。

手に取るなら

現行版は2001年1月に出た講談社文庫で、電子版もあります。加賀恭一郎シリーズの第4作ですが、この巻単独でも筋は追えます。

ここから入って、後年の『赤い指』『新参者』『麒麟の翼』へ進む読み方もよいでしょう。この作家の本格の腕を確かめたい人にも、最初の一作として向いています。

仕事場で殺された人気作家と、動機を語らない犯人。その二人のあいだにあったものを、加賀恭一郎と一緒に確かめていく一冊です。

東野圭吾について

東野圭吾は1958年、大阪市生野区の生まれです。大阪府立大学工学部電気工学科を卒業し、日本電装(現デンソー)の技術者として働きながら推理小説を書き、1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受けてデビューしました。

翌年に会社を辞めて上京し、専業作家になっています。

長く大きな話題作に恵まれない時期が続きましたが、1998年の『秘密』が広く読まれ、翌年の第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞しました。2006年には『容疑者Xの献身』で第134回直木賞と第6回本格ミステリ大賞を受けました。

刑事・加賀恭一郎と物理学者・湯川学のシリーズを軸に、学園もの、本格の謎解き、サスペンス、ミステリの約束事を笑うパロディまで幅広く書き、2023年には著作の国内累計発行部数が1億部を超えています。同じ年に菊池寛賞、2024年に日本ミステリー文学大賞を受け、2026年7月に68歳で亡くなりました。

書誌情報

刊行年
2000
ISBN-13
9784061821149
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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