被害者の娘が納得しない。
白鳥とコウモリ
解決したはずの事件を、被害者の娘と容疑者の息子が並んで検め直す長編。
二〇一七年、東京竹芝で、善良な弁護士・白石健介の遺体が発見されました。捜査線上に浮かんだ倉木達郎は、一九八四年に愛知で起きた金融業者殺害事件と繋がりがある人物でした。
そんな中、突然、倉木が二つの事件の犯人だと自供する。事件は解決したと思われました。
ところが、そこで一つの言葉が投げかけられます。「あなたのお父さんは嘘をついています」。
被害者の娘と加害者の息子が、互いの父の言動に違和感を抱く。『白鳥とコウモリ』は、加賀恭一郎にもガリレオにも属さない、東野圭吾の独立長編です。
物語の入り口
二〇一七年、東京竹芝。善良な弁護士、白石健介の遺体が発見されます。
善良な、という形容が、最初に置かれています。恨まれる理由の見当たらない人が、殺された。
竹芝で、事件は始まります。善良な人がなぜ、という問いが、最初から置かれています。
捜査線上に浮かんだのは、倉木達郎という男でした。彼には、過去がありました。
一九八四年、愛知で起きた金融業者殺害事件。三十年以上も前の、遠く離れた土地の事件と、倉木は繋がりがある。
そんな中、倉木が突然、自供します。二〇一七年の弁護士殺害と、一九八四年の金融業者殺害。
二つの事件の犯人は自分だ、と。捜査は終わり、事件は解決したと思われました。
ここまでなら、物語は動き出す前に終わっています。
ところが、そこから物語が動きます。あなたのお父さんは嘘をついています。
この言葉が、被害者の娘と、加害者の息子のあいだで交わされることになる。二人はそれぞれ、自分の父の言動に違和感を抱いていました。
片方は殺された父の、片方は自供した父の。父を失った側と、父が罪を認めた側。
どちらの違和感も、簡単には口に出せないものです。本来なら並んで歩くはずのない二人が、同じ問いを追うことになります。
読者は、刑事の章と、当事者の家族が動く章とを、交互に読むことになります。捜査の側から見える事件と、遺された家族の側から見える事件。
二つの視線が、同じ出来事をそれぞれの角度から照らしていく。自供によって解決したはずの事件を、被害者の娘と加害者の息子が並んで検め直す。
その奇妙な組み合わせが、この長編の骨格です。
読みどころ
被害者の娘と、加害者の息子。本来なら並んで歩くはずのない二人が、同じ問いを抱えて歩き出します。
一方の父は殺され、一方の父は自供した。立場は正反対で、しかし二人とも、父の言動に違和感を抱いている。
その違和感が二人を引き合わせ、解決したはずの事件に、もう一度向き合わせる。心理サスペンスの静かな圧力が、二人の歩みとともに高まっていきます。
もうひとつは、二〇一七年と一九八四年、東京と愛知という、時間と場所の隔たりです。三十年以上を隔てた二つの事件が、一人の男の自供で結ばれる。
その結び目を、遺された者たちが自分の目で見つめ直していく。竹芝の弁護士と、愛知の金融業者。
殺された二人は、職業も、事件の起きた時代も、土地も違います。その隔たりのあいだを、刑事の章と家族の章が交互に行き来していきます。
こんな人におすすめ
心理サスペンスの静かな緊張を好む読者、事件の当事者の家族の側から物語を読みたい読者に向いています。東野圭吾のシリーズ外の近作を探している人にも、まず薦めたい一冊です。
上下巻の分量はありますが、刑事の章と家族の章の切り替えは小気味よく、厚みが足を重くすることはありません。逆に、派手な展開を求める気分のときには、父の言動への小さな違和感を二人が一つずつ確かめていく歩みが、もどかしく映るかもしれません。
作品の背景
本作は、『小説幻冬』の2017年2月号から2021年2月号にかけて載った七編を、加筆のうえ一本の長編に組み直したもので、2021年4月に幻冬舎から単行本が出ました。刊行の年の『週刊文春ミステリーベスト10』では国内部門5位。
2024年4月には幻冬舎文庫に上下巻で収められました。2026年9月には、岸善幸監督、松村北斗と今田美桜のダブル主演で映画版が全国公開されました。
手に取るなら
現行版は幻冬舎文庫、上下巻。シリーズには属さない独立長編ですから、他の東野作品を読んでいなくても問題ありません。
2026年9月公開の映画版は145分で、上下巻の原作を一本の映画に収めています。映画から入った人は、刑事の章と家族の章が交互に進む原作の組み立てのなかで、二人の歩みを頁の速さで追い直すことになるでしょう。
竹芝の弁護士と愛知の金融業者、三十年以上を隔てた二つの死の前に、被害者の娘と加害者の息子が並んで立つ。その二人の後ろ姿を、下巻の最後の頁まで追ってみてください。
東野圭吾について
東野圭吾は1958年、大阪市生野区の生まれです。大阪府立大学工学部電気工学科を卒業し、日本電装(現デンソー)の技術者として働きながら推理小説を書き、1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受けてデビューしました。
翌年に会社を辞めて上京し、専業作家になっています。
長く大きな話題作に恵まれない時期が続きましたが、1998年の『秘密』が広く読まれ、翌年の第52回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞しました。2006年には『容疑者Xの献身』で第134回直木賞と第6回本格ミステリ大賞を受けました。
刑事・加賀恭一郎と物理学者・湯川学のシリーズを軸に、学園もの、本格の謎解き、サスペンス、ミステリの約束事を笑うパロディまで幅広く書き、2023年には著作の国内累計発行部数が1億部を超えています。同じ年に菊池寛賞、2024年に日本ミステリー文学大賞を受け、2026年7月に68歳で亡くなりました。
書誌情報
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