戦後昭和国内 1978
仲間の小説の予言通りに、
大学生が密室で殺された。
『匣の中の失楽』竹本健治

書評

匣の中の失楽

仲間の書く小説の予言どおりに、推理小説マニアが密室で殺される。22歳の青年が書き上げた長編推理。

匣の中の失楽 表紙画像
竹本健治 講談社(講談社文庫)1978年
目次

1977年、雑誌『幻影城』の誌面に、まだ大学に籍を置く青年の長い連載が載り始めました。翌1978年、その連載は単行本にまとまり、書き手は22歳で長編作家として世に出ます。

竹本健治『匣の中の失楽』です。昭和50年代の初めに生まれた作品が、40年余りを経たいまも2015年の講談社文庫新装版で読むことができます。

物語の入り口

事件の骨組みは、二つの文で言い表せます。推理小説マニアの大学生・曳間が、密室で殺害される。

しかも、仲間が書いている小説の予言どおりに。

この二文を、順にほどいてみます。まず、命を落とすのは推理小説を好んで読む側の若者です。

密室という言葉を、謎解きの定番としてよく知っていたはずの人物が、その密室の中で死んでいる。この皮肉だけで、すでに物語は読む者の襟首をつかみます。

次に、その死には前もって書かれた文章がありました。仲間が書き進めていた小説が、曳間の死を予言していたというのです。

小説と死が、なぜ重なるのか——その問いを抱えたまま、読者は頁をめくり始めます。

推理小説を愛する若者たちの輪のなかで一人が死に、その死を、仲間の手になる原稿が先回りして書き留めていた。謎を楽しむ側にいたはずの面々が、いきなり謎の当事者に引き込まれる幕開けです。

そこから先は、832ページという道のりを、自分の足で進むことになります。分量は相当なもので、数日かけて少しずつ読み進めるより、まとまった時間を確保して一気に向き合うほうが、この作品の呼吸には合っているはずです。

長い道のりの起点に置かれているのが、曳間の死です。

読みどころ

読みどころは、22歳の青年の第一作が、半世紀近く読み継がれてきたことの重みにあります。

学生の連載として始まった物語は、1978年の単行本、1983年の講談社文庫を経て、2015年には832ページの一巻本として組み直されました。刊行から40年近くたって、これだけの厚さの本が、併録作まで添えた形で新刊の棚に戻ってきたわけです。

2012年の大がかりな投票で国内40位に残ったことと合わせて、長く読まれてきたこと自体が、この作品の評価の土台になっています。

もうひとつは、書き手の若さそのものです。22歳という年齢は、ふつうなら習作の時期にあたります。

その年齢で832ページに及ぶ謎解きの物語を組み上げたという事実は、読み終えたあとにあらためて効いてくるはずです。しかも殺されるのは、書き手とほぼ同じ年ごろの推理小説マニアの大学生です。

謎解きを愛する若者が、謎解きの書き手として最初に差し出した物語——その出自の近さが、紙面のどこかに熱を残しています。

こんな人におすすめ

手軽に読める謎解きを探している人には、正直に言って重たい作品です。隙間の時間に数十ページずつ、という読み方では、流れをつかみにくいかもしれません。

反対に、『東西ミステリーベスト100』の国内部門に名を連ねた作品に、一度は自分で向き合ってみたいという読者には、これ以上ない相手です。密室という題材を愛し、分厚い本を前にするとかえって胸が高鳴る人にも、じっくり付き合う価値があります。

殺される曳間が謎解きの本に親しんだ大学生だという設定も、同じ趣味を持つ読者には他人事と思えないでしょう。1970年代の雑誌『幻影城』から世に出た書き手が、最初に何を書いたのかを自分の目で見ておきたい人にも向いています。

作品の背景

竹本健治は大学在学中の1977年に『幻影城』で連載を始め、1978年にそれを単行本として刊行して長編デビューを果たしました。22歳での第一作、作家としての出発点に置かれているのが『匣の中の失楽』です。

単行本ののち、1983年に講談社文庫に入り、2015年には832ページの講談社文庫新装版が出ました。受容の目安を一つ挙げるなら、『東西ミステリーベスト100』2012年版で、国内部門の40位に選ばれています。

刊行から30年以上たってからの投票で、デビュー作がこの位置に入りました。

手に取るなら

現在手に取るなら、2015年に出た講談社文庫の新装版です。832ページの一巻本で、幻のサイドストーリー「匳(こばこ)の中の失楽」も併せて収められています。

単行本、1983年の講談社文庫と版を重ねてきた作品が、いまはこの一巻で本編と併録作をまとめて読める形になりました。1977年の『幻影城』で始まった青年の連載は、半世紀近くたったいまも、同じ密室から読者を迎え入れています。

竹本健治について

竹本健治は1954年、兵庫県相生市に生まれました。東洋大学文学部哲学科に在籍していた1977年、『虚無への供物』の中井英夫の推薦を受けて、探偵小説専門誌『幻影城』で長編『匣の中の失楽』の連載を始め、世に出ます。

新人がいきなり長編を連載するという異例のデビューで、メタミステリの書き手として注目を集めました。

『幻影城』の廃刊後は、天才少年囲碁棋士・牧場智久が登場する〈ゲーム三部作〉を発表し、一時はSFにも活動の場を移します。1991年には作者自身や実在の作家たちを作中に登場させる『ウロボロスの偽書』を刊行しました。

2016年の『涙香迷宮』は「このミステリーがすごい!」2017年版国内編で1位となり、翌年には第17回本格ミステリ大賞を受けています。大学で囲碁研究会に入り、アマチュアの全国大会にも出場した打ち手で、盤上の遊戯はしばしば作品の題材になっています。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
1978
ISBN-13
9784062932790
系譜
戦後昭和国内
受賞歴

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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