ミステリーとしての読みどころ
ミステリの短篇集を、著者と編集者が二人きりで一作ずつ読み返していく——『第八の探偵』は、そんな一見のどかな読書風景から始まる本格ミステリです。フーダニット、不可能犯罪、孤島の死体。
趣の異なる七つの短篇が入れ子に配され、ページを繰るうちに、読み解かれているはずの本そのものが、いつしか大きな謎の輪郭を帯びていきます。
著者について
著者のアレックス・パヴェジは、数学の博士号を持つロンドン在住の作家です。本作『第八の探偵』(原題 Eight Detectives)は、そのデビュー作にあたります。
2020年に発表されるや、米ニューヨーク・タイムズの年間ベストスリラーに選出され、英米の年間ベストミステリを賑わせた話題作となりました。日本では翌2021年、ハヤカワ・ミステリ文庫から邦訳が刊行されています。
世に出た瞬間から高い評価を集めたわけですが、それは筋書きの起伏や事件の派手さによるものではありません。デビュー作にしてこれだけの構築物を、破綻なく組み上げてみせた——その手際そのものが驚きをもって迎えられたのです。
物語の中心にいるのは、グラント・マカリスターという作家です。探偵小説の黄金時代、彼は独自の理論に基づいて『ホワイトの殺人事件集』と題する一冊の短篇集を刊行しました。
けれどもその後、彼は故郷を離れます。行き着いた先は、地中海に浮かぶ小さな島。
以来ずっと、静かな隠棲の日々を送ってきました。かつて一冊の本を世に問うたきり、表舞台から遠ざかった作家——それが、この物語の出発点に置かれた人物です。
青い海に囲まれた島の静けさは、いかにも何事も起こりそうにない、穏やかな時間の流れを感じさせます。
そんな彼のもとを、ある日ひとりの訪問者が訪ねてきます。編集者のジュリアです。
彼女がはるばる島まで足を運んだ用向きは、かつての『ホワイトの殺人事件集』を、いま一度世に送り出したいというもの。復刊の相談は、自然と、そこに収められた七つの短篇そのものへと向かっていきます。
二人は一作、また一作と作品を読み返し、細部をめぐって言葉を交わしていく。物語は、この落ち着いた共同作業を軸として、ゆっくりと進んでいきます。
派手な捜査も、慌ただしい追跡もありません。あるのは、一冊の本を挟んで向かい合う二人と、静かに交わされる問いと答えだけです。
作中に織り込まれる七つの短篇は、どれも趣を違えています。犯人は誰かと問うフーダニット、不可能犯罪、そして孤島で発見された十人の死体。
一篇ごとに舞台も語り口も入れ替わり、読者はそのつど、新たな謎の前に立たされることになります。黄金時代の探偵小説が磨き上げてきた型を、ひとつの短篇で一場面ずつ味わっていくような、贅沢な読み心地がここにはあります。
しかも味わえるのは、短篇そのもののおもしろさだけではありません。読み終えた作品について、島で二人が言葉を交わし、また次の一篇へと進んでいく。
作中作のパートと、それを読む現在のパートとが交互に折り重なるこの往復のなかで、いつしか読者の関心は、個々の短篇から、この本そのものをめぐる大きな問いへと移っていきます。読み手は、七つの謎を解く探偵であると同時に、その外側にもう一つの謎を差し出される立場に置かれるのです。
読みどころ
この作品の醍醐味は、七つの短篇と、それを読み解く現在の対話とが折り重なっていく入れ子の構造にあります。 個々の短篇を一つの謎解きとして楽しみながら、その外側では、七篇を並べて読み返すという行為そのものが、もう一つの大きな謎へとつながっていく。
ひとつの器のなかに、これほど性格の違う謎をいくつも収め、しかもそれらを束ねる仕掛けまで用意してみせる。ミステリを愛する心が細部まで行き渡った造りで、謎解きの型を知り尽くした読者ほど、その奥行きに唸らされるはずです。
パズルを解く快楽と、本という形式で遊ぶ知的な企みとが、二重写しになって味わえる一冊なのです。
こんな人におすすめ
相性で言えば、一つの事件をまっすぐ追いかける古典的なフーダニットだけを期待すると、この構成の凝りようは寄り道に感じられるかもしれません。本書の面白さは、単独の謎解きよりも、複数の物語が組み合わさって立ち上がる全体の設計の側にあります。
逆に、ミステリという形式そのものを俯瞰して遊ぶ趣向が好きな読者、技巧を凝らした構成に惹かれる読者には、深く刺さる一冊でしょう。数多くのミステリを読み、その約束事に親しんできた人であればあるほど、この本の企みは効いてきます。
腰を据えて一作と向き合い、細部まで味わい尽くしたいときにこそ、真価を発揮するタイプの作品です。
手に取るなら
入手はハヤカワ・ミステリ文庫版で手に取れます。パヴェジのデビュー作にして、いまのところ他に類を見ない構造を備えた一冊。
七つの短篇集としても、それを包む大きな謎としても読める、二度おいしい造りになっています。凝った仕掛けのミステリに目のない読者なら、ぜひ一度、その入れ子の内側へと踏み込んでみてください。