犯人当ての推理小説。
入れ子細工の夜
私立探偵から覆面レスラーまで、発想の跳ね幅だけで押し切る4編
ハードボイルド、異常入試問題、二人劇、学生覆面プロレス。阿津川辰海『入れ子細工の夜』は、この四つの素材で書かれた短編集です。
前の短編集『透明人間は密室に潜む』で年末ランキングの頂点に立った書き手が、発想の幅をさらに広げて書いた四編です。表題作は、作家と訪問者の息詰まる神経戦から始まります。
私立探偵もの、犯人当てを課す入試問題、学生プロレスの覆面レスラー。素材の跳ね幅だけで、一冊が成り立っています。
2022年に光文社から刊行され、本格ミステリ・ベスト10の2023年版で国内7位に入りました。現在は光文社文庫で読め、解説は法月綸太郎です。
物語の入り口
収録は四編で、並びは「危険な賭け 〜私立探偵・若槻晴海〜」「二〇二一年度入試という題の推理小説」「入れ子細工の夜」「六人の激昂するマスクマン」。
「危険な賭け」は、私立探偵・若槻晴海を主役にしたハードボイルドです。私立探偵ものを、この書き手が書くとどうなるか。
それだけで気になります。「二〇二一年度入試という題の推理小説」は、題名のとおり、犯人当てを課す入試問題という形をとっています。
入試問題として推理小説が出題される。それ自体が、まず異常です。
受験生は、この問題にどう答えればよいのか。表題作「入れ子細工の夜」は、作家と訪問者の息詰まる神経戦から始まります。
向かい合う二人のあいだで進む二人劇です。作家のもとに、訪問者が来る。
最後の「六人の激昂するマスクマン」は、学生覆面プロレスが素材です。題名が、前の短編集の「六人の熱狂する日本人」と人数も構文もそろえてあります。
四つの素材は、本屋の棚でいえばばらばらの場所に並ぶものばかりです。私立探偵ものはハードボイルドの棚、入試問題は受験参考書の棚、二人劇は戯曲の棚、覆面プロレスはスポーツの棚——それをまとめて綴じてしまうところから、この短編集は始まっています。
並びの順も、ハードボイルドに始まって覆面プロレスで終わるという、振れ幅の大きいものです。
読みどころ
この短編集の読みどころは、四編の素材が互いにまったく似ていないのに、どれも同じ書き手の手つきで書かれているところにあります。 ハードボイルドの私立探偵と、入試問題と、作家と訪問者と、覆面レスラー。
並べただけで、目が回ります。ふつう、一人の書き手がこれだけ違う素材を一冊に集めることはありません。
集めたうえで、どれも本格ミステリとして成立させている。前作『透明人間は密室に潜む』と比べても、発想の届く範囲はさらに広がっています。
もうひとつは、入試問題という形式の一編です。推理小説を入試問題として出題する。
受験者は、問題文を読み、犯人を答えなければならない。読み手もまた、受験者の席に座らされます。
設問に答えるための材料は問題文のなかに揃っているはずで、試験会場さながらの緊張を抱えたまま頁を追うことになります。ほかの三編とは、読み手に課される構えからして違います。
一編を読み終えるたびに、次の一編では頭をまるごと切り替えなければなりません。ハードボイルドの空気に慣れたところで入試問題の問題文が始まり、作家と訪問者の神経戦のあとには覆面レスラーたちが待っている。
その切り替えの忙しさを楽しめるかどうかが、この短編集との相性を決めます。四編のうちどれを一番に推すかは、読む人によって割れるはずです。
割れること自体が、この短編集の性格を表しています。前作でファンになった人には、期待どおりの二冊目です。
前作を知らない人には、こちらから入っても困りません。
作品の背景
『入れ子細工の夜』は、阿津川辰海の二冊目の短編集です。最初の短編集『透明人間は密室に潜む』から二年、長編『蒼海館の殺人』を挟んでの刊行になります。
単行本は2022年5月に光文社から出ました。2025年3月に光文社文庫に入り、電子版も同じ日に配信されています。
文庫版の目次は、収録四編に加えて、単行本版あとがき、文庫版あとがき、そして法月綸太郎の解説。表題作は、光文社の年間ベスト・ミステリー集『陥穽の円舞曲』に再録されました。
本格ミステリ・ベスト10の2023年版で国内7位、「ミステリが読みたい!」の同年版で14位です。
手に取るなら
光文社文庫で読めます。電子版もあります。
四編は独立していますから、一編ずつ区切って読めます。法月綸太郎の解説がついているのは文庫版だけです。
解説は、本編を読み終えてから開くほうを勧めます。奇想の短編が好きな人、前作『透明人間は密室に潜む』を面白く読んだ人、四つの違う型をまとめて味わいたい人に。
作家のもとに、訪問者が来る——表題作の二人の神経戦は、そこから始まります。
阿津川辰海について
阿津川辰海は1994年、東京都に生まれました。東京大学法学部に在学中は文芸サークル「新月お茶の会」に所属し、光文社の新人発掘企画〈カッパ・ツー〉の第一期に選ばれて、2017年に『名探偵は嘘をつかない』でデビューしています。
『紅蓮館の殺人』に始まる〈館四重奏〉や、短編集『透明人間は密室に潜む』『入れ子細工の夜』など、特殊な設定や極限の状況を持ち込み、その上で論理を組み立てる本格ミステリを書き継いできました。『透明人間は密室に潜む』は『本格ミステリ・ベスト10』2021年版で国内1位となり、2023年には『阿津川辰海 読書日記 かくしてミステリー作家は語る〈新鋭奮闘編〉』で第23回本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受けています。
書誌情報
阿津川辰海をもっと読む
全作品一覧へ →似た読み味を、他の作家で
気分タグ・系譜の重なりから自動抽出。★は管理人が実読して太鼓判を押した本