令嬢の身内が殺される。
儚い羊たちの祝宴
優雅な読書サークルをめぐる五つの事件。静かで上品な筆致の暗黒ミステリ。
優雅な場所ほど、その裏側は暗い。『儚い羊たちの祝宴』は、そんな身も蓋もない前提を、五つの物語で丁寧に証明していく短編集です。
全体を束ねるのは、夢想家のお嬢様たちが集う読書サークル「バベルの会」。夏合宿の二日前、会員の丹山吹子の屋敷で惨劇が起こり、翌年も翌々年も同じ日に吹子の近親者が殺害される。
青春ミステリの書き手として知られた米澤穂信が、暗い側の顔をはっきり見せた連作です。
物語の入り口
全体をゆるやかに束ねているのが、「バベルの会」という読書サークルの存在です。上流階級のお嬢様たちが集う大学の倶楽部で、夏には別荘に集まって読書会が開かれるのが通例になっている。
教養と品位に包まれた、傍目には非の打ちどころのない集まりです。集うのは、どこか夢想家めいたお嬢様たちです。
本の話をし、別荘で夏を過ごし、家名と教養に守られて生きている人たち。ところが、この会に連なる人々のまわりでは、なぜか不穏なことばかりが起こります。
巻頭の「身内に不幸がありまして」は、夏合宿を二日後に控えたある日、会員である丹山吹子の屋敷で惨劇が起きるところから動き出します。しかもそれで終わらない。
翌年も、翌々年も、同じ日に吹子の近親者が殺害され、四年目にはさらに凄惨な事件が起こる。巻頭のこの筋書きだけで、この本の温度はおおよそ伝わるはずです。
一年に一度、決まった日に、決まった家で。惨劇が儀式のように繰り返される不気味さが、巻頭からこの短編集の空気を決めます。
続く「北の館の罪人」「山荘秘聞」「玉野五十鈴の誉れ」「儚い羊たちの晩餐」と、五篇はいずれも、優雅な「バベルの会」をめぐる邪悪な事件を描いていきます。
読者は、屋敷の調度や使用人の立ち居振る舞い、家同士の力関係が丹念に積み上げられていくなかで、いつのまにか、そこに漂う空気を当然のものとして受け入れる位置に立たされます。惨劇を扱っているのに筆致は終始しずかで、上品ですらある。
語られる中身の暗さと、語り口の行儀のよさ——その食い違いが、恐ろしさのすぐ隣に、苦い笑いにも似たものを呼び込みます。
読みどころ
この作品集では、惨劇がしずかで行儀のよい筆致のまま語られ、その書きぶりそのものが恐ろしさを運んできます。 屋敷、使用人、家格。
上流階級の暮らしの細部が、飾りではなく物語の地盤として積み上げられていく。その地盤の上で、邪悪な出来事が、まるで行儀のよい出来事のように語られます。
上品な語り口と、底に沈む冷たさ。その落差を楽しめる読者なら、まず外れません。
この本の恐怖は、叫び声ではなく静けさの側からやってきます。
もうひとつは、作家の歩みのなかでの位置です。〈古典部〉〈小市民〉の放課後から、『インシテミル』を経て、この暗い祝宴へ。
謎解きの精度に物語の味わいを重ねはじめた転換点にあたる作品集で、後年の『満願』が気に入った人なら、その源流をここに見つけられるはずです。〈古典部〉の放課後を知っている人ほど、ここで驚くことになるでしょう——同じ書き手の文章が、ここまで冷えるのかと。
こんな人におすすめ
上品な語り口と底に沈む冷たさの落差を楽しめる読者、屋敷や令嬢といった道具立てに惹かれる読者に向いています。怖い話が好きでも、血の匂いより静かな戦慄を好む人には、とくに合うでしょう。
一篇ずつ区切って読める長さなので、長めの移動がある日に一篇ずつ味わうのにも合います。逆に、明るく後味のよい結末を求める向きには、少々薬が強いかもしれません。
作品の背景
本書は2008年11月、新潮社から刊行されました。現行版は2011年6月刊の新潮文庫で、解説は千街晶之。
前年の『インシテミル』で米澤穂信は〈古典部〉や〈小市民〉のシリーズの枠から一歩外へ出て、この短編集のあたりから、謎解きの筋道だけでなく物語そのものの味わいをどう作るかへ関心が移っていきます。のちに山本周五郎賞や直木賞を受ける書き手へ育っていく道筋を考えると、本作は明らかに角を曲がった地点に置かれています。
青春小説の書き手という肩書きが、はっきり狭くなった時期の一冊です。この短編集を境に、米澤穂信という名前は、青春小説の棚だけには収まらなくなりました。
手に取るなら
現行版は新潮文庫。電子書籍でも読めます。
シリーズには属さない独立した短編集です。米澤穂信の暗い側の顔を最初に確かめるなら、『満願』と並べてこの一冊を。
優雅な読書会の裏側で何が起きているのか、静かな文章の温度を確かめながら、ページをめくってみてください。長めの移動がある日に、一篇ずつ味わっていくのに向いた分量です。
米澤穂信について
米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。
卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。
高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。
2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。
書誌情報
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