黄金期英国古典 1949
婚約者の祖父が殺された。
解けるまで結婚できない。
『ねじれた家』アガサ・クリスティー

書評

ねじれた家

クリスティー自身がお気に入りに挙げた、一族すべてが容疑者の名探偵なし本格。

ねじれた家 表紙画像
アガサ・クリスティー 早川書房(ハヤカワ・クリスティー文庫) 原書 1949年 · 邦訳 1957年
目次

ねじれた家に、心のねじれた老人が住んでいました。その老人が毒殺され、あとには根性の曲がった家族と、巨額の財産だけが残されます。

どう見ても内部の者の犯行で、一つ屋根の下に暮らす一族は全員が容疑者。そして、この家のもつれをほどこうとするのは、外から呼ばれた高名な探偵ではありません。

この家の娘と結婚したいと願う、ひとりの青年です。

『ねじれた家』は1949年に発表された、黄金期英国のアガサ・クリスティーによる本格ミステリです。数ある作品のなかでも、本書はやや特別な位置にあります。

シリーズ探偵を置かずに書き上げられた、単発の一作。おなじみの名探偵が颯爽と現れ、最後に一同を集めて謎を解いてくれる——そういう安心の型を、作者はこの作品に限って自ら手放しました。

そして本書は、クリスティー自身が『無実はさいなむ』とともに、自作のお気に入りとして挙げた一冊として知られています。おびただしい数の物語を書いた作家が、あえて名を挙げた二冊のうちの一方。

探偵という安全装置を外してまで書きたかったものが、この家にはあった。そう思うと、頁をめくる前から背筋がすこし冷えてきます。

物語の入り口

舞台は、第二次大戦後のイングランド。物語を語るのは、チャールズ・ヘイワードという青年です。

その婚約者ソフィアこそ、毒殺された大富豪アリスタイド・レオニデスの孫娘でした。

祖父が殺された。しかも、家の中の誰かの手で。

その事実を前にして、ソフィアはチャールズにこう告げます。婚家のもつれがほどけないかぎり、自分は結婚できない、と。

誰が手を下したのかが曖昧なまま残れば、レオニデス家の全員が生涯にわたって疑いの影を背負うことになる。その影を引きずったまま、自分ひとりが家から抜け出して幸せになるわけにはいかない。

こうしてチャールズは、愛する人の家へ、婚約者の家族を疑うために足を踏み入れていきます。

一族は、一つ屋根の下で暮らしていました。老人が遺した巨額の財産を前に、若い後妻、金に窮していた長男——それぞれが、それぞれに疑心暗鬼の目を向け合う。

誰かが嘘をついている。誰かが何かを隠している。

けれども、その誰かは、いずれチャールズが「家族」と呼ぶことになるかもしれない人たちなのです。同じ家で寝起きし、同じ話題で笑っている顔ぶれのなかに、毒を盛った人間がいる。

そして、家の空気が張りつめきったところで、恐るべき第二の事件が起こります。

本書のいちばん独特なところは、この立ち位置にあります。読者は、名探偵の背後から安全に事件を眺めるのではありません。

これから身内になろうとしている者の目を借りて、婚家の敷居をまたぎ、その家の空気を吸わされる。疑うことがそのまま、自分の未来を傷つける行為になってしまう場所。

その居心地の悪さを、最後まで手放せないまま読み進むことになります。

読みどころ

読みどころは、名探偵に守られないまま、家族という閉じた輪の内側へ置き去りにされる感触です。 クローズドサークルと言われて思い浮かぶのは、嵐の孤島や雪の山荘かもしれません。

本書が閉じ込めるのは、もっと日常的で、もっと逃げ場のない場所。ひとつの家であり、ひとつの血筋です。

壁も鍵もないのに、誰ひとりそこから出ていけない。独立して育つことのできなかった一家のゆがみが、そのまま事件の土壌になっています。

一族の誰もが等しく怪しく、しかもその誰もが等しく身内である。この二重の重さが、頁をめくる手を鈍らせ、それでいて途中でやめさせてくれません。

題名は、マザーグースの「ねじれた男がいた」に由来します。「マザー・グースを巧みに組み入れ、独特の不気味さを醸し出す童謡殺人」と評される一作であり、この不気味さは飾りではありません。

ねじれた家、ねじれた人々。童謡の一節がそのまま一家の肖像になっているという感触が、事件の陰惨さとはまた別のところから、じわじわと効いてきます。

歌のように口ずさめてしまう軽さと、その中身の暗さ。この落差こそが、本書の空気そのものです。

こんな人におすすめ

常設の名探偵が現れ、その明晰な推理に身を任せる——そういう黄金期らしい愉しみを期待して開くと、本書は少し勝手が違うかもしれません。ここにいるのは、事件の外側に立てない語り手だけ。

謎は正面から追われますが、物語の重心はつねに、家族の心理の側に置かれています。逆に、閉ざされた人間関係のなかで疑いが濁っていく過程そのものを味わいたい読者、黄金期の薫りをまといながら明るさとは無縁の一作を読みたい読者には、これ以上の相手はそういません。

読後に残るのは爽快感より、「家」という言葉の重たさのほうかもしれません。

手に取るなら

手に取るなら、ハヤカワ・クリスティー文庫で読めます。シリーズものではないので、どの作品を何冊読んできたかに関係なく、この一冊から入れるのは大きな利点です。

クリスティーを何作か読んできた人にとっては、作者が自ら並べて挙げたもう一方の『無実はさいなむ』とあわせて手に取るのが、いちばん贅沢な向き合い方になるでしょう。名探偵のいない場所で、作者がどこまでやれるのか。

その答えが、この家の中にあります。

アガサ・クリスティーについて

アガサ・クリスティーは1890年、英国デヴォン州トーキーに生まれ、1976年に亡くなりました。第一次世界大戦中には薬剤師の助手として働き、そこで得た毒薬の知識はのちの作品にも生かされています。

1920年の長編『スタイルズ荘の怪事件』でデビューし、以後半世紀以上にわたって長編66作をはじめとする膨大な作品を書き続けました。

生み出した探偵は、ベルギー人の名探偵エルキュール・ポアロ、村に暮らす老婦人ミス・マープル、若い夫婦のトミーとタペンス、謎めいたハーリ・クィン、パーカー・パインと多彩です。戯曲にも力を注ぎ、1952年に初演された『ねずみとり』は演劇史上最長のロングラン記録を持っています。

1955年にアメリカ探偵作家クラブの巨匠賞を受け、1971年にはデイムの称号を授けられました。「ミステリの女王」と呼ばれ、世界で最も多く翻訳された作家のひとりです。

書誌情報

出版社
早川書房 / ハヤカワ・クリスティー文庫
原書刊行年
1949
邦訳刊行年
1957
系譜
黄金期英国古典 / クローズドサークル

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リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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