現代国内 1999
勝海舟と西郷隆盛を、
名探偵が呼び寄せた。
『徳利長屋の怪』はやみねかおる

書評

徳利長屋の怪

一触即発の江戸の長屋に勝海舟と西郷隆盛が顔をそろえる、時代劇と謎解きが噛み合う外伝の締めくくり。

徳利長屋の怪 表紙画像
はやみねかおる 講談社(講談社文庫)1999年
目次

江戸の裏長屋に、名探偵が腰を落ち着けています。『徳利長屋の怪』は、はやみねかおるの〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉から時代をまるごと移して書かれた外伝、〈大江戸編〉の後編です。

幕府と薩長が一触即発という時代の底で、勝海舟と西郷隆盛までもが長屋に招き寄せられる。時代小説の枠に少年少女向けミステリの骨格を通した、シリーズでも異色の外伝で、この巻がその締めくくりにあたります。

物語の入り口

物語の中心に立つのは、夢水清志郎左右衛門。彼が身を寄せているのが、亜衣たち3姉妹のいる徳利長屋でした。

裏長屋の一角に探偵が落ち着き、同じ長屋で姉妹が暮らしている。花見の季節を迎えた江戸の町の片隅から、物語は動きだします。

長屋の名がそのまま書名に掲げられていることからも、この住まいが物語の中心に据えられているのがわかります。

序盤の長屋は、住人たちと連れ立って花見に浮かれるような、のんびりとした空気に満ちています。壁一枚で隣とつながった暮らしですから、誰かの事情はすぐに全員の話題になる。

井戸端の声が筒抜けで、隠しごとの置き場所が少ない。この距離の近さが、そのまま物語の手ざわりになっています。

長屋の暮らしは、誰かの困りごとがすぐに皆の困りごとになる暮らしでもある。名探偵が腰を落ち着ける場所として、これほどふさわしい舞台もありません。

花見に浮かれる夢水は、相変わらず物忘れの名人で、どこまでもマイペース。長屋の暮らしと、この探偵の気質は、驚くほど相性がよいのです。

ところが長屋の外では、時代そのものが軋みをあげていました。幕府と薩長は一触即発。

明日にも江戸が火の海になるかもしれない。そんな張りつめた状況のなかで、夢水はどこで知り合ったものか、勝海舟と西郷隆盛という両雄を徳利長屋へ呼び寄せてしまいます。

歴史の教科書に太字で載っている名前が、庶民の暮らす裏長屋の土間に並ぶ。その一場面だけで、本作がどれほど大胆な設計を選んだかが伝わってきます。

名探偵は歴史を変えて皆を幸せにできるのか。この問いを、読者は長屋の住人と同じ場所から、固唾をのんで見守ることになります。

読みどころ

「人が幸せになるように事件を解決する」という探偵の流儀が、幕末という時代を相手にどこまで通用するのか。 このシリーズの名探偵は、物忘れの名人で、ものぐさで、徹底してマイペース。

それでいて事件が起きたとたんに推理が冴えわたるという、落差そのものが持ち味です。江戸へ舞台を移しても、その流儀はまったく変わりません。

むしろ、大勢の人生が一度に揺さぶられる時代を背景にしたことで、その姿勢の意味がくっきりと浮かび上がります。

もうひとつは、外伝二冊でひとつの江戸を描ききる構成です。前編『ギヤマン壺の謎』に続くこの下巻で、探偵は徳利長屋に根を下ろし、時代の大きなうねりと向き合う。

小さな長屋の話と、大きな歴史の話。その二つの縮尺が一冊のなかで重なるところに、この巻ならではの読みごたえがあります。

ふりがな付きの文章で、幕末の空気がすっと入ってくる。子どもの読者にとっては、歴史の教科書の名前が急に人間の顔を持ちはじめる体験になるはずです。

こんな人におすすめ

前編『ギヤマン壺の謎』を読んだ人はもちろん、幕末を舞台にした物語に興味があるけれど、時代小説は少し身構えてしまうという人にも向いています。軽やかな語り口のおかげで、入り口はずいぶん広く開かれています。

逆に、史実の細部や政治の駆け引きをじっくり読みたい読者には、この大らかさは少し物足りないかもしれません。

作品の背景

本書は1999年11月、講談社青い鳥文庫から刊行されました。前編『ギヤマン壺の謎』が同じ年の7月に出て、その4か月後にこの下巻が続いた形です。

児童向けレーベルで生まれたシリーズですが、読者はそのまま年を重ねていきました。2006年7月の『そして五人がいなくなる』を皮切りに、シリーズは講談社文庫へ順に移され、本作の文庫版は2010年1月に322ページの一冊として出ています。

手に取るなら

現行版は講談社文庫。電子版も用意されています。

読む順番としては、まず前編『ギヤマン壺の謎』から入るのが気持ちよく運びます。上巻で人物と長屋の空気に馴染んでおくと、下巻の緊張がよく効いてきます。

かつて青い鳥文庫で読んだ人が、大人の書棚で同じ物語に再会するのにも、ちょうどよい二冊です。外伝はここで完結しますので、江戸の探偵に名残を惜しんだら、本編へ戻る楽しみが待っています。

はやみねかおるについて

はやみねかおるは1964年、三重県伊勢市の生まれです。三重大学教育学部で数学を学び、1987年から小学校の教壇に立ちました。

クラスの本ぎらいの子どもたちを夢中にさせる本をさがすうちに、自分で書きはじめたのが作家としての出発点です。1989年、『怪盗道化師』が第30回講談社児童文学新人賞の佳作に選ばれ、翌1990年の刊行でデビューしました。

2000年に教職を離れてからは執筆に専念しています。

〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉のほか、〈怪盗クイーン〉〈都会のトム&ソーヤ〉〈少年名探偵虹北恭助の冒険〉と、子ども向けの謎解きを三十年以上書き継いできました。別々のシリーズの人物や世界がつながり合う遊び心も持ち味です。

子どもたちが選ぶうつのみやこども賞を4度受け、2023年には第61回野間児童文芸賞特別賞を贈られています。

書誌情報

出版社
講談社 / 講談社文庫
刊行年
1999
ISBN-13
9784062765640
系譜
現代国内 / シリーズ探偵物

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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