推理は執事にやらせる。
貴族探偵
推理は召使いに任せる貴族の優雅さと、謎を解く手間の落差を楽しむ短編集。
働かない探偵がいます。自らを貴族と称し、探偵を趣味とする男。
ところが肝心の推理まで、執事やメイドに任せてしまう。麻耶雄嵩『貴族探偵』は、この自称貴族が信州の山荘に現れるところから始まる短編集です。
鍵の掛かった密室状態の部屋で見つかった会社社長の遺体。自殺か、他殺か。
捜査に乗り出した警察の前に、突如あらわれた男——それが、この自称貴族です。2010年に集英社から刊行され、「本格ミステリ・ベスト10」2011年版の国内6位に入りました。
〈貴族探偵〉シリーズの第1作です。
物語の入り口
冒頭の事件は、信州の山荘です。鍵の掛かった密室状態の部屋から、会社社長の遺体が発見される。
自殺か、他殺か。山荘、密室、社長の遺体と、本格の舞台装置はひと通りそろっています。
警察が捜査に乗り出したところへ、突如あらわれた男がいます。その名も「貴族探偵」。
本名ではなく、自称です。自分を貴族だと言い、探偵を趣味にしている。
それだけでも十分に奇妙な人物ですが、この男の奇妙さはもう一段深いところにあります。
推理をしないのです。探偵を名乗って現場に乗り込んでおきながら、事件を調べ、考え、謎を解く仕事は、執事やメイドといった使用人に任せてしまう。
本人は優雅に構えているだけで、頭を使うのは仕える側です。警察上部への強力なコネと、執事やメイドら使用人を駆使して、この男は数々の難事件を解決してゆきます。
警察は上からの圧力で口を出せず、推理は使用人が済ませ、主人はそれを眺めている。密室という古典的な謎と、この浮世離れした人物の組み合わせが、第1編の入り口です。
読み手はまず、密室の謎そのものより、この男の振る舞いに目を奪われることになります。
短編集なので、事件は5つ。信州の山荘の密室のあとにも、貴族探偵と使用人たちは難事件に出くわし続けます。
読者は、事件の現場に居合わせた警察と同じ立場に置かれます。目の前で謎が解かれていくのに、解いているのは探偵ではない。
何が起きているのかを見届けながら、この主人が何のためにそこにいるのか、首を傾げることになります。5編のどの事件でも、優雅に構える主人と、立ち働く使用人たちという取り合わせは変わりません。
読みどころ
本作の醍醐味は、密室や不可能犯罪をめぐる精緻な謎解きと、それを一切しない探偵という、噛み合わないはずの二つが同じ頁に同居しているところにあります。 謎の作りは本格の正統に沿っていて、人物の造形だけが正統から大きく外れています。
使用人が推理する場面の手際は本格として鑑賞に堪え、その隣で主人は優雅に紅茶でも飲んでいそうな顔をしている。この落差が、読んでいて何度も笑いを誘います。
もうひとつは、短編集としてのリズムです。5編にそれぞれワルツの題名が冠され、一編ごとに事件が完結する。
設定の可笑しさに慣れたころに次の事件が始まり、また使用人が働き、また主人が構えている。この繰り返しが、シリーズ探偵ものとしての心地よさを生んでいます。
曲名と中身の対応を読み解く必要はなく、音楽に詳しくなくても差し支えありません。一編ごとに事件が閉じるので、間を空けて読み継いでも、設定を見失う心配はありません。
軽妙な人物劇として流し読みすると、謎解きの細部を取りこぼします。使用人たちが何を見て、何を手がかりにしたのか。
そこを追う読み方をして初めて、謎の作りの細やかさが実感になります。逆に、本格の謎解きだけを求める人には、主人の存在が邪魔に映るかもしれません。
この探偵の設定を面白がれるかどうかが、本書との相性を決めます。
作品の背景
『貴族探偵』の単行本は2010年に集英社から出て、2013年に集英社文庫に入りました。5編を収録した短編集で、各編にはヨハン・シュトラウス2世の曲名が掲げられています。
ワルツの題名を冠した探偵譚、という趣向です。「本格ミステリ・ベスト10」2011年版で国内6位。
麻耶雄嵩が『隻眼の少女』で日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を同時に受ける、その前年に出た短編集です。
手に取るなら
現在手に取るなら、集英社文庫版です。〈貴族探偵〉シリーズの第1作で、続編に『貴族探偵対女探偵』があります。
人物の設定を初めから追える点で、ここから読むのが順当でしょう。短編集なので、一編ずつ区切って読んでも、探偵との付き合い方がつかめます。
密室を前にして働かない探偵と、代わりに働く使用人たち——ワルツの題名を五つ並べたこの短編集は、その落差を面白がる余裕のある夜に向いています。
麻耶雄嵩について
麻耶雄嵩は1969年、三重県上野市(現在の伊賀市)の生まれです。京都大学工学部に学び、在学中は京大推理小説研究会に所属しました。
1991年、綾辻行人・法月綸太郎・島田荘司の推薦を受けて『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビューしています。
以後、メルカトル鮎、京都の名探偵木更津悠也、推理を使用人に任せる貴族探偵と、癖の強いシリーズ探偵を並行して書き継ぎ、名探偵という存在そのものを問い直す本格を発表してきました。2011年に『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞と第11回本格ミステリ大賞を受け、2015年には『さよなら神様』で2度目の本格ミステリ大賞を受けています。
『貴族探偵』は2017年にテレビドラマにもなりました。
書誌情報
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