ミステリーとしての読みどころ
サンフランシスコ近郊の古い屋敷。依頼された仕事のために壁を崩してみたら、その内側からなんと死体が現れる。
『壁から死体? 〈秘密の階段建築社〉の事件簿』は、そんな途方もない一場面から幕を開ける、現代の不可能犯罪ミステリです。舞台は仕掛けと隠し扉を専門にする風変わりな工務店、探偵役は元イリュージョニスト。
古典的な謎解きの骨格を、軽やかでコージーな現代の空気にくるんで差し出してくれる、シリーズの第一作にあたります。
著者について
著者のジジ・パンディアンは、米ニューメキシコ州出身とインド出身の、ともに文化人類学者である両親のもとに生まれ、その研究旅行に連れられて世界中を旅する幼年時代を過ごした人です。子どもの頃からミステリを書きはじめ、2012年に作家デビュー。
以後、宝探しをめぐるシリーズや、うっかり者の錬金術師を主人公にしたシリーズなどを世に送り出し、アガサ賞やアンソニー賞といった英語圏ミステリの賞を受けてきました。いまは北カリフォルニアに暮らしています。
仕掛けやからくりへの偏愛と、あくまで軽やかな語り口。その持ち味が、この新シリーズの一冊目でまっすぐに発揮されています。
主人公のテンペスト・ラージは、ラスベガスの舞台を沸かせてきた人気イリュージョニスト。華やかな成功をつかんでいた彼女ですが、ある事故をきっかけに、その舞台を離れることになります。
行き着いた先は、故郷サンフランシスコ近郊の実家。そこで彼女を待っていたのが、家業である〈秘密の階段建築社〉でした。
この工務店が、まず一風変わっています。合言葉を唱えると壁の奥から現れる読書室。
柱時計の扉を開ければ、その先には秘密の花園へと続く通路。ごく普通の住まいに、遊び心にあふれた仕掛けやからくりをそっと忍ばせる——それがこの一家の生業です。
依頼主の暮らしのなかに、そっと非日常のスイッチを埋め込んでいく仕事、と言い換えてもいいかもしれません。舞台の上で観客を驚かせてきたイリュージョニストと、暮らしのなかに小さな奇跡を作り込む工務店。
人を欺き、あっと言わせる技術という一点で、両者は深いところでつながっています。血筋としても発想としても、これほど噛み合う組み合わせもそうそうありません。
派手なラスベガスの舞台から、からくり仕掛けの家業へ。一見大きな転身に見えて、テンペストが受け継いでいるものは、実はまっすぐ一本の線で結ばれているのです。
そして手伝いの初日。テンペストが向かった仕事先は、とある古い屋敷でした。
段取りどおりに壁を崩していく——ごく当たり前の作業のはずが、崩れた壁の内側から、思いもよらないものが姿を見せます。死体です。
仕掛けを作ることを生業とする一家の初仕事で、誰ひとり予期しなかった一体の死体。人を驚かせる側だったはずのテンペストが、いつのまにか自分の足元に開いた謎を覗き込む側へと立たされている。
物語がぐいと動き出すのは、この瞬間からです。
読みどころ
読みどころは、古典的な不可能犯罪の面白さを、現代のコージーな雰囲気のなかで気軽に味わえるところです。 一見あり得ない状況が目の前に差し出され、その裏にどんな理屈が隠れているのかを追いかける。
謎解きの醍醐味を支える背骨は、まぎれもなく本格のそれです。にもかかわらず、全体を包む空気は肩の凝らないユーモアと温かさに満ちている。
この緊張と緩和のさじ加減こそ、パンディアンという書き手の真骨頂といえるでしょう。
もうひとつの魅力は、仕掛けと奇術という二つのモチーフが、物語の彩りとして隅々にまで流れていることです。からくり屋敷を造る一家と、元イリュージョニストのヒロイン。
驚きとともに生きてきた一族の物語であること自体が、この舞台立てを他にない賑やかなものにしています。家業の風景、一族の来歴、劇場的な空気——そのすべてが謎解きの舞台を華やかに飾っているところに、この作品ならではの個性があります。
にぎやかな舞台立てと、続きへの期待とを、一冊目から気持ちよく手渡してくれる作品です。
息を詰めるような緊迫感や、社会の暗部をえぐる重い犯罪小説を求める気分のときには、この物語の軽やかでのどかな空気は、少し物足りなく映るかもしれません。逆に、驚きの仕掛けにわくわくしながら謎解きを楽しみたい読者、暗くなりすぎないミステリで一日の終わりにほっと一息つきたい読者には、これ以上ない相性でしょう。
事件の重さよりも、謎そのものの楽しさを味わう一冊です。
手に取るなら
邦訳は東京創元社の創元推理文庫から、鈴木美朋の訳で2024年に刊行されました。テンペスト・ラージを主人公とするシリーズの記念すべき第一作ですから、気に入ればこの先も、彼女や〈秘密の階段建築社〉と長く付き合っていけます。
現代の海外ミステリに新しい入り口を探している方にも、コージーな空気のなかで本格の謎解きをじっくり味わいたい方にも、安心しておすすめできる一冊です。