戦後昭和国内 1978
名探偵は一言も喋らない。
なにしろ猫なので。
『三毛猫ホームズの推理』赤川次郎

書評

三毛猫ホームズの推理

血も酒も女性も苦手な刑事と、静かな三毛猫。長く続くシリーズの第一作。

三毛猫ホームズの推理 表紙画像
赤川次郎 KADOKAWA(角川文庫)1978年
目次

1978年4月、光文社のカッパ・ノベルスに一冊の推理小説が加わりました。当時この叢書の主戦場は社会派ミステリーです。

そこへ現れたのは、物思いにふける三毛猫と、血も酒も女性も苦手な独身刑事という組み合わせでした。赤川次郎『三毛猫ホームズの推理』は、その棚の中の異色作として大きく売れ、のちに累計3000万部を超えるシリーズの出発点になります。

すべては、猫と刑事の顔合わせから始まりました。

物語の入り口

主役は二人。いえ、正確には一匹と一人です。

一匹目は、三毛猫のホームズ。時々物思いにふける癖のある、ユニークな猫です。

世界でいちばん名の知れた名探偵と同じ名前を持ちながら、この猫は言葉を話しません。推理を口にすることも、人間のように振る舞うこともなく、あくまで一匹の猫として、そこにいます。

もう一人は、独身の刑事・片山です。血、アルコール、女性と、三拍子そろって苦手なものを抱えています。

刑事という職業でありながら血が苦手、という一点だけでも、この人物が型どおりの捜査官ではないことが伝わるでしょう。酒も女性も得意ではない。

強さや渋さで場を制する刑事像とは、ずいぶん離れたところに立つ主人公です。事件を追う側の人間が、事件につきものの血を前にして腰が引けてしまう。

その落差が、この人物の輪郭です。

そして、この二人のまわりには事件がいっぱいです。猫と刑事が並んで立つだけで、事件のほうが向こうから寄ってくる。

シリーズの始まりにふさわしい、にぎやかな幕開けです。

ここで押さえておきたいのは、猫が話さないという点です。猫は、自分が何に気づいたのかを説明してはくれません。

あるのは猫の仕草だけで、それが何を意味するのかを読み解く役は、人間の側に回ってきます。読む側もまた、無口な猫と戸惑う刑事のあいだに座らされ、仕草の意味を一緒に考えることになります。

名探偵の名を持つ猫がいて、その猫の考えを代わりに言葉にする者がいない。この空白が、題名の「推理」という二文字に、少し変わった響きを与えています。

あの三毛猫は、いったい何を考えているのか。その問いを抱えたまま、二人は事件の中へ踏み込んでいきます。

読みどころ

読みどころは、言葉を話さない猫と、苦手の多い刑事という組み合わせそのものにあります。

名探偵と同じ名を持ちながら推理を語らない猫と、現場に立つ身でありながら血が苦手な刑事。どちらも、探偵小説の主役としてはどこか欠けたところのある存在です。

猫の仕草を人間が読み解く、という形があるからこそ、二人は並んで事件に向き合うことになります。一方だけでは物語が進まない。

この組み立てが、シリーズ第1作の時点ですでに据えられています。探偵役の頭の中を覗けないぶん、読む側は猫の一挙一動に目を凝らし、刑事と同じ速度で意味を探ることになります。

謎を解く役割が一人に集まらず、猫と人のあいだで分け持たれている。その分け方が、この組み合わせの面白さの芯です。

もうひとつは、この組み合わせが世に出た時代です。1978年のカッパ・ノベルスは社会派ミステリーが主戦場で、その中で猫と気弱な刑事の物語は異色作でした。

それでも本作は大きく売れ、著者は会社を辞めて筆一本の道を選びます。シリーズは続き、累計は3000万部を超えました。

一匹の三毛猫が、書き手の人生とミステリーの棚の顔ぶれを、両方とも変えたことになります。

こんな人におすすめ

猫が好きな人、長く続いたシリーズを最初の巻から順に追いたい人に向いています。赤川次郎の名前は知っていても、まだ一作も開いたことがない人の入り口にもなるでしょう。

長く続いたシリーズが、どんな顔ぶれから始まったのかを確かめたい人にも薦められます。逆に、動物が人間の言葉で推理を披露する物語を思い描いていると、ホームズの無口ぶりは意外に映るかもしれません。

ただ、その沈黙こそが、猫と刑事の組み合わせを成り立たせています。

作品の背景

『三毛猫ホームズの推理』は、赤川次郎が1976年に「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受けてから2年後に世に出た作品です。本作の反響は、書き手の暮らしを大きく変えました。

赤川次郎は12年勤めた会社を辞め、30歳で専業作家に転じています。

三毛猫のホームズには、モデルがいます。著者が飼っていた雌の三毛猫「ミーコ」です。

紙の上で考えごとをする猫の向こうには、書き手の家で暮らしていた一匹がいます。シリーズの成り立ちを知るうえで、覚えておきたい事実です。

手に取るなら

いま手に取るなら、角川文庫版です。1984年3月の刊行で、368ページ。

光文社文庫版(1985年3月、344ページ)もあり、こちらには青木雨彦の解説がつきます。電子版でも読めます。

シリーズの第1作なので、読む順に迷う必要はありません。ここから始めるのが、いちばん素直な入り方です——後の巻で顔なじみになる一匹と一人の、最初の登場がここにあります。

物思いにふける三毛猫の横顔を眺めながら、シリーズの一頁目をめくってみてください。

赤川次郎について

赤川次郎は1948年、福岡市に生まれました。桐朋高等学校を卒業して日本機械学会の事務局に就職し、勤めのかたわら小説を書き続けます。

1976年、「幽霊列車」で第15回オール讀物推理小説新人賞を受けてデビューしました。1978年に光文社カッパ・ノベルスから出た『三毛猫ホームズの推理』が大きな反響を呼び、12年の会社勤めを終えて30歳で専業作家になりました。

その直後に『セーラー服と機関銃』を発表しています。

以後も三毛猫ホームズシリーズのほか、〈早川一家〉、「三姉妹探偵団」、「杉原爽香」など数多くのシリーズを抱え、著作の累計発行部数は2015年時点で3億3000万部を超えました。2006年に第9回日本ミステリー文学大賞を受け、2016年にはデビュー40年目にして『東京零年』で第50回吉川英治文学賞を受けています。

書誌情報

出版社
KADOKAWA / 角川文庫
刊行年
1978
ISBN-13
9784041497814
系譜
戦後昭和国内 / シリーズ探偵物 · 名探偵もの

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この記事を書いた人

リットン

都内金融機関で経営企画とデータアナリストをしているアラサー。
文系の非エンジニアですが、独学で始めた Python と生成AIにすっかりはまりました。
プログラミング・サッカー・ミステリ紹介など、好きなことを好きに書いています。

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