四百年前の殺人現場へ。
ザビエルの首
鹿児島で見つかったザビエルの首に導かれ、400年以上前の殺人現場へ跳ばされる異色作。
日本にキリスト教を伝えた聖人の首が、鹿児島で見つかったという——あるはずのない場所で。柳広司『ザビエルの首』は、その首と目を合わせてしまった青年の意識が、400年以上前の殺人の現場へ跳ばされるところから始まる長編です。
誰もが名前を知る歴史上の人物にまつわる謎を、時空を越えて解く。現代と過去、二つの時間を一つの首がつなぐ。
歴史ミステリーとしては、ずいぶん風変わりな組み立てです。
物語の入り口
聖フランシスコ・ザビエル。日本へキリスト教を伝えた宣教師で、その名前を知らない人はまずいません。
その人の首が、鹿児島で発見されたという。本来なら、見つかるわけのない土地です。
聖人の首がなぜそこにあるのか。最初に手渡される謎は、この首です。
首、という一語の生々しさと、聖人、という一語の清らかさ。この取り合わせが、本作の第一の顔です。
主人公は修平という青年です。彼はその首と、目を合わせてしまいます。
合わせた瞬間、意識が跳ぶ。跳んだ先は、400年以上前——聖人が立ち会った、殺人の現場です。
修平は、その時代について何の準備もありません。信仰のことも、当時の日本のことも、誰が誰なのかも知らないまま、いきなり殺人の現場に立たされる。
時代も、言葉も、人の考え方も違う場所に、何の助走もなく放り込まれた形です。
読者の位置は、修平とまったく同じです。現代の青年が、なぜ、どうやって過去にいるのか。
その問いを抱えたまま、修平は現場に立ちます。わかっているのは、ここで人が殺されたこと、聖人がその場にいたこと、そして自分がなぜかそこにいること。
準備のなさは、読む側にとっても同じです。前提知識は要りません。
修平が知らないことはこちらも知らないし、修平が驚くところで一緒に驚けばいい。400年以上前の殺人と、現代の首。
二つの時間に一本ずつ置かれた謎を、同じ速度で追っていくことになります。
読みどころ
題名が示すのは、首という一点から二つの時代を結ぶ、この長編の構えです。
歴史ミステリの多くは、過去の時代に入り込んで、その時代の人間として事件を追います。本作は違います。
現代の青年が、準備のないまま過去に放り込まれる。その落差が、最初から最後まで効いています。
跳ばされた本人が状況を飲み込む速さと、読む側がそれを飲み込む速さが、ほぼ同じだからです。当時の信仰や慣習は、修平にとって外国の風景と同じです。
知らないことを知らないまま、目の前の殺人を考えなければならない。探偵役の無知が、そのまま読者の案内になる構えです。
もうひとつは、実在の人物の使い方です。シュリーマンやダーウィンを探偵役にしてきた柳広司が、ここでは聖人を、推理する側ではなく、謎の側に置きました。
名前は誰もが知っている。けれども、その人の首が鹿児島にあることも、その人が400年以上前に殺人の現場にいたことも、誰も知らない。
知られている名前に、知られていない出来事を差し込む。この作家の方法が、いちばん大胆な形で使われた一冊です。
時代考証を楽しむ落ち着いた歴史小説を期待して開くと、時代と場所が切り替わりながら進む跳躍の忙しさに戸惑うかもしれません。けれども、その忙しさは欠点ではなく、首一つで現代と過去を結ぶ仕立てから自然に生まれたものです。
作品の背景
シュリーマン、ソクラテス、ダーウィン、オッペンハイマー。デビューからの数年、柳広司が探偵役や語り手に選んできたのは、歴史に名前の残る実在の人物ばかりでした。
本作の聖フランシスコ・ザビエルも、その列に加わる名前です。ただし今度は、その人物が謎を解く側ではなく、謎そのものの側に立っています。
首が青年を過去へ跳ばす。名前の主は、いわば扉の役です。
刊行の経緯には少し説明が要ります。最初に本になったのは2004年10月、講談社ノベルスから『聖フランシスコ・ザビエルの首』という題で出たときでした。
2008年8月に講談社文庫へ入る際、いまの『ザビエルの首』に改められています。題を短くしたことで、首という一語の生々しさが前に出た形になりました。
手に取るなら
現行版は講談社文庫、400ページです。数字だけ見ると厚めですが、時代と場所が切り替わりながら進むので、読み進める足取りは意外と軽いはずです。
旧題『聖フランシスコ・ザビエルの首』で探すと講談社ノベルス版に行き当たりますが、改題されただけで同じ長編です。柳広司の実在人物ものを順に読む必要はなく、ここから入っても差し支えありません。
ザビエルの名前を知っている、というだけの予備知識で十分です。あるはずのない場所で見つかった首と、目を合わせるかどうか。
決めるのは、本を開いた人です。
柳広司について
柳広司は1967年、三重県に生まれました。神戸大学法学部を卒業し、1998年に「挙匪(ボクサーズ)」で第4回歴史群像大賞の佳作に入ったのち、2001年に原書房から出た『黄金の灰』で小説家になります。
同じ年には『贋作『坊っちゃん』殺人事件』で第12回朝日新人文学賞を受けました。
初期の仕事の軸は、実在の人物や名作を借りて謎解きを組むことでした。シュリーマン、ソクラテス、マルコ・ポーロ、夏目漱石、シートンといった人々が、探偵役や事件の当事者として作中に呼びこまれます。
2008年の『ジョーカー・ゲーム』は陸軍のスパイ養成機関「D機関」を描いた連作で、翌年に第30回吉川英治文学新人賞と第62回日本推理作家協会賞をそろって受け、以後シリーズとして書き継がれました。歴史の枠組みに架空の事件を差し込む手つきは、スパイ小説に移ってからも変わっていません。
書誌情報
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