ミステリーとしての読みどころ
密室で、ひとりの人間が死んでいる。それも、人を欺く謎を仕掛けることを生業にしていたミステリ作家が。
『死が招く』は、その一報から静かに幕を開ける、密室と不可能犯罪の本格ミステリです。舞台は現代のフランス。
けれどページをめくって立ちのぼってくるのは、探偵小説がもっとも華やかだった黄金期の、あの張りつめた空気にほかなりません。
著者について
著者のポール・アルテは、しばしば「現代のカー」と呼ばれる書き手です。ジョン・ディクスン・カー——不可能犯罪と密室の巨匠として知られる作家の系譜を、フランスの地で正面から引き受けた作家。
奇術のように鮮やかな謎を組み立て、それを名探偵の論理で解いてみせる、という古典本格の骨法を、飾りではなく本気の様式として現代によみがえらせてきました。派手なガジェットや流行の手法に頼るのではなく、「不可能な状況を、フェアな手がかりだけで解体する」という一点に照準を絞りつづけている書き手です。
その探偵役をつとめるのが、犯罪学者アラン・ツイスト博士です。本作『死が招く』は、ツイスト博士が活躍するシリーズの第2作にあたります。
原書は1988年に発表され、邦訳は2003年、ハヤカワ・ミステリ文庫から。〈本格ミステリ・ベスト10〉で第1位に選ばれた、折り紙つきの一篇です。
物語の入り口
物語は、ひとりのミステリ作家の死から動き出します。見つかったのは、外から誰も入れないはずの密室のなか。
しかもその死には、ただならぬ奇怪さがまとわりついていました。人を欺く謎を書くことを職業にしていた人間が、今度は自らの死をめぐる最大の謎を残して、閉ざされた部屋の中に横たわっている。
この皮肉な構図だけで、事件は独特の引力を帯びはじめます。誰が、どうやって、そもそもなぜ——問いは重なり合い、答えの糸口はどこにも見当たりません。
作家の周囲には、それぞれに事情を抱えた——曰くありげな、としか言いようのない——人々がいます。彼らが事件をめぐって少しずつ前に出てきて、密室の壁の内と外で、疑いと沈黙が静かに交錯していく。
誰もが何かを隠しているように見え、けれど肝心の壁だけは、頑として口を割りません。読者は、その閉ざされた扉の前に立たされることになります。
起きてしまった出来事は、たしかに目の前にある。分からないのは、それがどうして"起こりえた"のか——その一点だけです。
不可能犯罪という趣向のいちばんおいしい部分に、いきなり放り込まれる感覚があります。
この難題に挑むのが、ツイスト博士その人です。犯罪学者として事件と向き合う博士は、奇怪な状況を前にしても慌てず、ひとつずつ事実をあらためていく。
目の前の不可能を、まず「本当に不可能なのか」と静かに問い直すところから、探偵の仕事は始まります。名探偵の落ち着いた足取りに導かれて、読者もまた、この密室がどうして密室たりえたのかを自分の頭で考えはじめる。
手がかりはたしかに示されているはずなのに、それらがどう結びつくのかは容易に像を結ばない。そうやって少しずつ、不可能が可能へと組み替えられていく道行きを、半歩後ろから見守るのが、本作のいちばんの醍醐味です。
読みどころ
本作の勘どころは、"不可能"そのものを純度高く味わえるところにあります。 動機の綾や重い人間ドラマに寄りかかるのではなく、まず「これはどう見ても起こりえない」という一点を読者の前にくっきりと立て、その壁を論理だけで崩していく。
カー直系と呼ばれるアルテの筆は、この不可能状況の設計にこそ冴えを見せます。手がかりは物語のなかにきちんと置かれ、名探偵の推理はその上にだけ積み上がっていく。
仕掛けの妙に驚かされたあとで、「たしかにこう書いてあった」と来た道を振り返れる——その律儀さが、黄金期本格を愛する読者の信頼にきちんと応えてくれます。
そしてこれは、黄金期への回帰を現代の作家がまっすぐに試みた一冊でもあります。 単なる懐古趣味に留まらず、古典の様式そのものを本気で今によみがえらせようとする気概が、全篇に通っている。
その手応えこそ、アルテが「現代のカー」と呼ばれ続けている理由でしょう。
刺さるのは、なんといっても密室と不可能犯罪に目がない読者です。「どうやったのか」を突き詰める謎解きの快感を、余計な混ぜ物なしで味わいたい人には、まっすぐ薦められます。
逆に、現代的な捜査のリアリティや、じっとりした心理サスペンスを求めて開くと、この古典志向の様式美はやや装飾過多に映るかもしれません。ただ、その様式こそが本作の狙いであり、芯でもあります。
そこに乗れたとき、読み心地はいちばん豊かになります。
手に取るなら
手に取るなら、ハヤカワ・ミステリ文庫で。本作はツイスト博士シリーズの第2作ですが、事件は一話で完結するので、この一冊から入っても迷うことはありません。
フランス発の本格が、黄金期の不可能犯罪をどれほど鮮やかに現代へ運んでみせるのか——その確かな一例として、これほど分かりやすい入り口はそうそうありません。