手本は彼が書いたリスト。
8つの完璧な殺人
書店主が綴った古典本格8作のリスト通りに殺人が起きる。本好き読者直撃のメタ本格。
ミステリを長く読んできた人ほど、背表紙の記憶ごと物語に巻き込まれていく——『8つの完璧な殺人』は、そんな一冊です。舞台はボストンの古典ミステリ専門書店。
その店主がかつてブログに掲げた「完璧な殺人」の8作リストが、思いがけない形で現実へと呼び戻されていきます。本を売り、本を語ってきた人間が、いつのまにか事件の内側へと引き寄せられていく物語です。
物語の入り口
物語が動き出すのは、雪の降る一日です。ボストンの古典ミステリ専門書店オールド・デヴィルズの奥で、店主マルコム・カーショウが黙々と在庫を整理している。
客足のとだえた、静かな午後です。そこへ、FBI捜査官のグウェン・マルヴィが訪ねてきます。
彼女が手にしていたのは、十数年も前にマルコム自身が書店のブログへ掲げた、一枚のリストのプリントアウトでした。題して「ミステリ史上最も完璧な8つの殺人」。
クリスティ『A.B.C.殺人事件』、ハイスミス『見知らぬ乗客』、A・A・ミルン『赤い館の秘密』……古典本格と犯罪小説の歴史を背骨でつかむ8作が、書店主ならではの愛着とともに並べられていたリストです。当の本人でさえ、書いたことをなかば忘れかけていたような、古い趣味の産物にすぎない文章でした。
それが、雪をまとった捜査官の手で目の前に差し出される。
そのリストに載った手口をなぞるように、現実の世界で未解決の事件が続いているらしい——マルヴィはそう告げます。趣味で書き連ねた古い文章が、なぜ現実の殺人と重なってしまうのか。
とまどいを抱えたまま、マルコムは古典ミステリに誰より通じた人間として、捜査への協力を求められることになります。棚の整理をしていたはずの午後が、いつの間にか事件の入り口へと変わっている。
その転がり方の自然さが、雪の静けさと相まって忘れがたく残ります。日常のすぐ隣に非日常の扉が開く、その手つきの静かさが印象的です。
読者が置かれるのは、その店主のかたわらです。8作を読み尽くしたマルコムの語りを通して、リストと現実の事件を一つずつ照らし合わせていく。
ミステリを読んできた自分自身の記憶が、そのまま捜査の道具になっていくような、奇妙な手応えのある立ち位置に立たされます。誰かに解いてもらうのではなく、これまでの読書の蓄えを問われている——そんな感覚が、最初の数十ページから静かに立ち上がってきます。
読みどころ
本作のいちばんの贅沢は、読者が積み上げてきた読書経験を、そっくりそのまま使わせてくれるところにあります。 語り手のマルコムは根っからの古典好きで、書店主ならではの愛着を込めて先行作を語ってくれます。
リストに並んだ作品を読んでいるほど、物語の手触りは豊かになる。クリスティから現代までを通ってきた読者にとっては、自分の本棚の背表紙が一冊ずつ呼び出されるような、特別な熱が立ちのぼる作りです。
書店という舞台、書店主の語り、その店主が選んだリスト。三重の枠が、物語を静かに支えています。
読み手が長く親しんできたジャンルそのものへの、愛情のこもった目配せがそこにあります。名探偵が颯爽と真相を告げる爽快感とはまた違う、本を読む楽しみの奥へと分け入っていくような時間が味わえるはずです。
注意点も正直に記しておきます。リストに挙がった古典のなかには、作中で内容に踏み込まれる作品があります。
未読のタイトルがあるなら、先に押さえておくとより深く楽しめるでしょう。裏を返せば、名作をあらかた通ってきた読者にとっては、これ以上ないごほうびのような一冊です。
手がかりから犯人を絞り込むパズルの快感そのものより、ミステリというジャンルへの愛着を誰かと分かち合う読書を求める人に、まっすぐ届きます。古典の記憶が薄いと味わいが半減しかねない点だけ、頭の片隅に置いておくとよいかもしれません。
作品の背景
原書 Eight Perfect Murders は2020年の刊行で、邦訳は2023年8月に出ました。
手に取るなら
入手は創元推理文庫版(務台夏子訳)で、巻末には千街晶之氏による読みごたえのある解説が付いています。同じ務台夏子訳で、スワンソンの代表作『そしてミランダを殺す』も読めますので、古典への敬意を芯に据えた現代米国ミステリを束で味わいたい時に、続けて手に取るのがおすすめです。
長年の読書がそのまま武器になる、本を愛する人のための、心憎い一冊です。
ピーター・スワンソンについて
ピーター・スワンソンは1968年、アメリカのマサチューセッツ州生まれの作家です。コネチカット州のトリニティ・カレッジ、マサチューセッツ大学アマースト校、エマーソン・カレッジで学び、10年ほど小説を書き続けたのち、ネット上で短編を読んだエージェントの目に留まって、2014年に『時計仕掛けの恋人』でデビューしました。
翌2015年の第2長編『そしてミランダを殺す』は英国推理作家協会(CWA)賞イアン・フレミング・スチールダガー部門の最終候補となり、日本でも年末のミステリランキングで上位に入って広く読まれました。以後も『ケイトが恐れるすべて』『アリスが語らないことは』『だからダスティンは死んだ』『8つの完璧な殺人』『9人はなぜ殺される』と、心理サスペンスを軸に作品を重ねています。
短編や詩も書き、マサチューセッツ州のノースショアに暮らしています。
書誌情報
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