遠まわりする雛
校内放送の一文から推論が広がる名編を含む、古典部の1年を時系列でたどる短編集。
長編と長編のあいだに、これほど豊かな時間が流れていたのか。そう気づかせてくれるのが、〈古典部〉シリーズの4冊目にあたる『遠まわりする雛』です。
シリーズで初めての短編集で、収められているのは7つの話。高校に入ったばかりの頃から翌年の春休みまで、古典部の1年間が時系列に沿って並んでいます。
物語の入り口
古典部の部員は4人。語り手の折木奉太郎は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」を信条にする省エネ主義者で、できれば何もせずに日々をやり過ごしたい高校生です。
ところが部長の千反田えるは好奇心のかたまりのような人で、「わたし、気になります」のひと言とともに、奉太郎を小さな謎の前へ連れ出してしまう。そこに福部里志と伊原摩耶花が加わり、事件とも呼べないような日常のほころびを、4人であれこれとつつき回していきます。
巻頭の「やるべきことなら手短に」に始まり、「大罪を犯す」「正体見たり」「心あたりのある者は」「あきましておめでとう」「手作りチョコレート事件」と続いて、最後に表題作が置かれています。その表題作では、奉太郎が千反田に頼まれて、地元の祭事「生き雛」に参加することになります。
ところが事前の連絡に手違いがあり、祭りそのものが開けなくなるかもしれない事態に。その「手違い」がなぜ起きたのかが気になって仕方のない千反田とともに、奉太郎は推理を始めます。
読みどころ
雑誌には順番を入れ替えて発表された作品群ですが、1冊にまとめる際に時系列順へ整理されました。そのおかげで、一話ずつ謎解きを味わいながら、ページをめくるごとに季節が移り、4人の関係が少しずつ形を変えていく様子まで追いかけられます。
長編で描かれた出来事のすき間を埋める話も含まれていて、シリーズを順に読んできた人ほど、あの場面の裏にこんな日があったのかと腑に落ちるはずです。
推理の純度でひときわ光るのが「心あたりのある者は」。奉太郎の推理の才をめぐって千反田とちょっとした言い争いになった放課後、部室に校内放送が流れてきます。
「十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのある者は、至急、職員室柴崎のところまで来なさい」。このたった一文から、ふたりはどこまで推論を広げられるのか。
ハリイ・ケメルマン『九マイルは遠すぎる』を思わせる、短い言葉を論理だけで掘り下げていく趣向です。手がかりはほとんどそれだけなのに、話は思いがけない遠くまで運ばれていきます。
こんな人におすすめ
1話ごとの区切りがよく、少しずつ読み進めたい人に向いています。血なまぐさい事件よりも、ささいな違和感を理屈で解きほぐしていく謎が好きなら、どの話からでも楽しめるでしょう。
わずかな手がかりから推論を組み上げていく過程そのものを味わいたい人には、とりわけ「心あたりのある者は」が響くはずです。
作品の背景
「心あたりのある者は」は、2007年の第60回日本推理作家協会賞で短編部門の候補に挙がりました。同じ年には、本格ミステリ作家クラブ編のアンソロジー『本格ミステリ07』と、年鑑『ザ・ベストミステリーズ2007』の両方にも採られています。
単行本の刊行は、その年の10月のことでした。
手に取るなら
いま読むなら、2010年に出た角川文庫版が手に入りやすく、電子版も用意されています。前の3作を読み終えてから開くと、時系列のすき間が埋まっていく楽しみがいっそう増します。
シリーズの1年目を締めくくる表題作の余韻まで含めて、一冊通して味わいたい短編集です。
米澤穂信について
米澤穂信は1978年、岐阜県の生まれです。金沢大学文学部の在学中からウェブサイトで小説を発表しており、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』『六の宮の姫君』を読んで衝撃を受け、ミステリへ進む道を定めたといいます。
卒業後は書店で働きながら書き続け、2001年に『氷菓』で第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受けてデビューしました。
高校生の身の回りの謎を扱う〈古典部〉〈小市民〉の両シリーズを書き継ぐ一方、大人の読者に向けた長編や短編集へも領域を広げてきました。2011年に『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、2014年に『満願』で第27回山本周五郎賞を受け、2021年刊の『黒牢城』では第12回山田風太郎賞に続いて第166回直木三十五賞と第22回本格ミステリ大賞を受けています。
2025年には〈小市民〉シリーズで第10回吉川英治文庫賞を受けました。
書誌情報
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