ミステリーとしての読みどころ
毎週木曜日、引退者施設の一室に集まって、未解決事件の推理を戦わせる70代の四人組。物騒なのにどこか楽しげなこの趣味の会の足元で、あろうことか本物の殺人が起きてしまいます。
『木曜殺人クラブ』は、英国の国民的テレビ司会者リチャード・オスマンの小説デビュー作にして、世界を席巻したユーモア謎解きミステリ。老人ホーム発の素人探偵団の活躍を描く、シリーズ第1作です。
著者について
著者のリチャード・オスマンは1970年生まれ。テレビの司会者・コメディアンとして英国中に顔を知られる存在で、本書が初めての小説になります。
原書は2020年9月にヴァイキング(ペンギン・ランダムハウス傘下)から刊行されるや、デビュー作にしてクリスマス商戦の首位に立ち、英国では異例のスピードで100万部を突破。シリーズは多言語に翻訳されて世界的ベストセラーへと育ち、Netflixで実写映画化もされました。
版元が「ミス・マープルばりの活躍を見せる老人たち」を描く「現代版アガサ・クリスティー風謎解きミステリ」と紹介するとおり、クリスティ的な英国ミステリの遺伝子を現代に受け継ぐ、幸福な出発点です。
物語の舞台は、ケント州の架空の村フェアヘイヴンに建つ高級リタイアメント・ヴィレッジ「クーパーズ・チェイス」。かつての修道院を改装した本館のまわりに現代的な棟が並ぶ、なかなか優雅な終の住処で、殺人事件とはおよそ縁のなさそうな、絵に描いたように穏やかな場所です。
ここで毎週木曜日、「ジグソー・ルーム」と呼ばれる部屋に集まるのが、その名も〈木曜殺人クラブ〉。元警官の入居者がかつて持ち込んだ捜査資料を火付け役に、未解決事件のファイルを広げては、ああでもないこうでもないと推理を披露し合う集まりです。
メンバーは一癖も二癖もある四人。中心にいるエリザベスは、人脈と段取りに不思議なほど長けた老婦人で、過去の経歴は「諜報機関に近い仕事だったらしい」と仄めかされるばかり。
元看護師のジョイス・メドウクロフトは、聞き上手の柔らかさの陰に確かな観察眼を隠しています。押しの強さと交渉力なら元労組系活動家のロン・リッチー、冷静な分析なら元精神科医のイブラヒム・アリフ。
それぞれの持ち味がまるで揃っていない、けれどだからこそ強い、年季の入った凸凹チームです。70年あまりの人生で溜め込んだ知恵と経験、それにあり余る時間。
素人探偵の資格として、これ以上のものはなかなかありません。
そんな平穏な日々に、事件は向こうからやってきます。敷地内の墓地と庭園を再開発して新たな棟を建てようとする経営者陣と、反発する住人たちの対立が深まるさなか、施設の経営者の一人が何者かに殺されてしまうのです。
ファイルの中の事件を語り合ってきた四人にとって、今度の謎は正真正銘、目の前の本物。クラブは当然のように真相究明へ乗り出し、地元警察のドナとクリスも捜査に関わってくることになって、老練な四人組と現役警官たちの、なんとも愉快な化学反応が始まります。
趣味が実戦に変わる瞬間のわくわくと、誰も彼も後に引けなくなっていく可笑しさ。この立ち上がりの呼吸だけで、四人と長く付き合いたくなるはずです。
読みどころ
読みどころは、軽妙な掛け合いの下で、謎解きの骨格がきちんと組まれているところです。 容疑者の整理、動機の描き分け、伏線の配置に手抜きがなく、笑いながら読んでいるうちに、手がかりはちゃんと目の前を通り過ぎていく。
重厚な英国警察ミステリとは違って肩の力を抜いたまま、フェアな謎解きを楽しめる作りです。ミス・マープルの系譜を、一人の名探偵ではなく四人の合議制に拡張したような味わい、と言えば近いでしょうか。
もうひとつの魅力が、ジョイスの日記パートです。三人称の語りの合間に彼女の一人称の日記が章ごとに挟み込まれ、読者はジョイスの日記を覗かせてもらう茶飲み友達のような位置から、事件と施設の日常を追いかけることになります。
軽口の裏側には、老いや喪失、過去との折り合いといったテーマも穏やかに織り込まれていて、笑って読み進めた先に、じんわりとした余韻が残る。この温度感こそ、シリーズが世界中で愛されている理由でしょう。
こんな人におすすめ
相性で言えば、緊迫感で息を詰めるダークなサスペンスや、社会の暗部に切り込む重い犯罪小説を求める気分のときには、この牧歌的な空気はのんびりして見えるかもしれません。逆に、魅力的な人物たちの掛け合いを楽しみながら謎解きも味わいたい読者、クリスティ風の英国ミステリを現代の空気で読みたい読者には、これ以上ない入り口。
通勤の30分で少しずつ読み進めるのにも向いた、人懐こい一冊です。
手に取るなら
邦訳は早川書房のハヤカワ・ミステリから、羽田詩津子訳で2021年に刊行されました。文庫版もあり、Kindle版・Audible版も流通しています。
シリーズは『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』『木曜殺人クラブ 逸れた銃弾』と続刊の翻訳も進んでいて、気に入ればこの四人組と長く付き合えるのも嬉しいところ。海外ミステリをこれから開拓したい方にも、英国ミステリの棚に新しい定番を探している方にも、自信を持っておすすめできるシリーズ第1作です。