ミステリーとしての読みどころ
お茶とビスケットを片手に、未解決事件のファイルを広げる70代の四人組。趣味のはずの推理が、いつの間にか本物の危険と地続きになっていく——リチャード・オスマンの「木曜殺人クラブ」シリーズは、その取り合わせで世界を魅了してきました。
本書『逸れた銃弾』は、シリーズの第3作にあたります。
著者について
著者のリチャード・オスマンは、小説家になる前からBBCの人気クイズ番組の司会者として英国中に顔を知られていた人物です。その司会業のかたわらに書き上げたデビュー長編がシリーズ第1作で、刊行と同時に世界的なベストセラーへと駆け上がり、以後は年に1冊のペースで巻を重ねてきました。
近年はネットフリックスでの映画化もあり、原作を手に取ったことのない層にまで届く存在になっています。老いた素人探偵たちの活躍というと地味に響くかもしれませんが、その実、いま英国でもっとも売れているコージーミステリのひとつです。
クリスティの末裔とも評される英国ミステリの伝統を軽やかに受け継ぎながら、そこに現代の空気とユーモアを吹き込んだのが、この一連の作品の身上でしょう。
前作でダイヤモンドと大量のコカインが絡む国際的な事件をくぐり抜けた四人組は、ようやく穏やかな日常を取り戻していました。エリザベス、ジョイス、ロン、イブラヒム——引退世代向けの居住区クーパーズ・チェイスを拠点に、週に一度集まっては未解決事件をお茶とビスケット片手に検討するのが、この四人の変わらぬ流儀です。
物騒な題材を扱いながらも、その手つきはあくまで穏やかで、どこか楽しげ。そんないつもの空気のなかへ、今度の事件はやってきます。
今回、彼らが目をつけたのは、約10年前の未解決事件でした。地元ニュース番組の女性キャスター、ベサニー・ウェイツが、深夜に車ごと崖から落とされ、遺体の見つからないまま行方不明になっている——その古い謎を、いつものように広げてみるところから物語は動き出します。
手がかりを求めるうちに、四人は生前のベサニーと親交のあった有名キャスター、マイク・ワグホーンと対面することになります。こういう場面にめっぽう弱いジョイスが舞い上がってしまうあたりまでは、いつもの微笑ましい捜査ごっこの延長に見えるはずです。
ところが今回は、盤面がそれだけでは収まりません。エリザベスのもとに「バイキング」と名乗る謎の人物が現れ、あろうことか彼女は拉致されてしまう。
前職時代の友人を手にかけろ、という剣呑な要求を突きつけられて、四人はいつもより一段危うい場所へと足を踏み入れていくことになります。コージーの穏やかな皮を被りながら、賭け金だけが静かに吊り上がっていく。
その居心地の悪い緊張こそ、本作の出発点です。
読みどころ
軽妙な掛け合いの底で、謎解きの骨格がきちんと組まれているのが、このシリーズの強みです。 ユーモアと伏線が同じ生地で織られていて、笑って読み進めた先で手がかりがちゃんと効いてくる。
約10年前のキャスター失踪と、目の前で進行する脅迫という二つの時間軸が並走し、読者はどちらの糸口も逃すまいと四人の会話に耳を澄ませることになります。片方の謎を追ううちに、もう片方の景色が少しずつ変わって見えてくる——複数の事件と陰謀を手際よく交差させ、最後にひとつの絵として畳んでみせる構成の妙が、巻を追うごとに磨かれているのを感じさせます。
回を重ねるごとに、脇を固める人物たちの輪郭が厚みを増していくのも、続けて読む楽しみのひとつです。四人それぞれの過去や、周囲の人々との関係が少しずつ立ち上がってきて、群像劇としての手応えが増していく。
その一方で、年齢を重ねること、誰かを失うこと、過去と折り合いをつけることへの静かな目線が、笑いの下を通奏低音のように流れています。軽く読めるのに、読み終えたあとにじんわりと余韻が残る。
この温度感が、シリーズが世界中で愛される理由でしょう。
緊迫感で息を詰めるダークなサスペンスや、社会の暗部を抉る重い犯罪小説を求める気分のときには、この牧歌的な空気はのんびりして見えるかもしれません。逆に、魅力的な人物たちの掛け合いを味わいながらフェアな謎解きも楽しみたい読者には、これ以上ない相性です。
ひとつ言い添えるなら、四人の来歴や施設の日常は前2作の積み重ねの上に描かれているので、シリーズの入り口としては第1作から読み始めるほうが、この四人組との付き合いはずっと豊かになります。
手に取るなら
邦訳はハヤカワ・ミステリ(ポケミス)から、羽田詩津子訳で2023年に刊行されています。原書は2022年刊の『The Bullet That Missed』。
第1作『木曜殺人クラブ』からシリーズを読み継いできた人なら、迷わず手に取ってよい一冊です。まだ出会っていない人には、まずは第1作から。
笑って、少し胸を突かれて、また次の木曜日が待ち遠しくなる——この人懐こい四人組と、もう少し長く付き合いたくなるはずです。