ミステリーとしての読みどころ
自分の店の床に、見知らぬ人が倒れている。ふつうなら悲鳴のひとつも上げる場面ですが、ミセス・ワンはそうしませんでした。
刑事ドラマで鍛えたこの頭こそ、いまが出番だと言うのです。『ミセス・ワンのティーハウスと謎の死体』は、中国茶専門店を営む老婦人が、自分の店で見つかった身元不明の死体をめぐって独自に動きだす謎解きミステリ。
武器は推理と、お茶と、料理。素人探偵の持ち物としては、なかなか反則級の取り合わせです。
著者について
著者はジェス・Q・スタント。原書 Vera Wong's Unsolicited Advice for Murderers は2023年に刊行され、翌2024年、MWA賞(エドガー賞)最優秀ペイパーバック賞を受賞しました。
原題にある「頼まれてもいない助言」という一語に、この主人公の押しの強さと世話焼きぶりがそっくり詰まっています。求められてもいないのに手を貸し、口を出し、面倒を見てしまう人。
そういう気質の持ち主が探偵役に据わったとき、事件の捜査がどんな見た目になるのか。コージー・ミステリの棚に忘れがたい一人を書き加えた、そんな一作です。
物語の入り口
舞台は、ワンが自ら営む中国茶専門店。ある日、その店で身元のわからない死体が見つかります。
事件は当然、警察の手に渡ることになりますが、ここでおとなしく引き下がるようなミセス・ワンではありません。なにしろ刑事ドラマの愛好家です。
捜査の段取りも、犯人という生きものの心理も、画面越しにさんざん学んできたつもり。ぜひ協力させてほしいと申し出たワンを、しかし警察は取り合わずに追い払ってしまいます。
ふつうなら、話はここで行き止まりです。ところがワンは、ドラマで仕入れた知恵袋のなかから、ひとつの金言を取り出します。
犯人は現場に戻る。それならば、戻ってきたくなる理由をこちらで用意すればいい。
そう考えた彼女がとった行動が、SNSに死亡記事を出すことでした。やがてその投稿に引き寄せられるようにして、4人の若者が次々と店に現れ、事件のことを訊ねはじめます。
ワンの中では、この時点でもう話は決まっています。わざわざ訊きに来るからには、無関係のはずがない。
4人はまとめて容疑者に認定され、そして——ここが本作のいちばん可笑しいところですが——彼女が始めるのは、もてなしです。とっておきの中国茶が淹れられ、絶品の手料理が次々と食卓に並び、若者たちの警戒心は湯気と一緒にゆるゆるとほどけていく。
胃袋から落として口を開かせる、という戦法。読者もいつのまにか、そのテーブルの端に座らされています。
お茶を注がれ、皿を勧められ、和やかに話を聞いているつもりでいるうちに、聞き込みのほうは着々と進んでいる。善意と好奇心が同じ顔で並んでいるこの妙な圧が、序盤の推進力です。
読みどころ
本作の妙味は、もてなしがそのまま捜査になっているところにあります。 取調室の緊張とは無縁の食卓で、料理の匂いに包まれながら、会話は少しずつ核心のほうへ寄っていく。
相手の口が軽くなるのは、追い詰められたからではありません。よくしてもらったから、つい喋ってしまうのです。
情報が世間話の顔をして差し出されるぶん、読者もワンと同じ速度でしか受け取れず、どの一言が後で効いてくるのかは、読み進めながら自分で見当をつけていくことになります。茶碗が置かれ、皿が下げられ、雑談が一巡する——その何気ない往復のどこかに、聞くべきものが混ざっている。
捜査記録の体裁をまるで取らない捜査、と言えばいいでしょうか。
もうひとつの読みどころは、笑いと謎解きが押しのけ合っていないことです。ユーモアの強い作品は、可笑しさが勝って事件が置き去りになることもありますが、本作は軽妙な語り口を保ったまま、店で起きたことを最後まで手放しません。
2024年のMWA賞最優秀ペイパーバック賞という評価も、その両立ぶりへの応答と読めます。年齢を重ねた女性が主役を張るミステリの系譜に、料理と中国茶という強力な道具立てを持ち込んだ、新しい一冊です。
こんな人におすすめ
相性の話をすると、張り詰めた空気でページをめくらせるハードな犯罪小説や、乾いた筆致の警察小説を読みたい気分のときには、この店の空気はのんびりして映るかもしれません。逆に、憎めない人物たちのやり取りを味わいながら謎解きも楽しみたい読者、食べもののおいしそうな描写に弱い読者、世話焼きな主人公と長く付き合いたい読者には、これ以上ない入り口になります。
通勤の行き帰りに少しずつ読むのにも向いた、人懐こい語り口です。
手に取るなら
邦訳は早川書房のハヤカワ・ミステリ文庫から、2024年に刊行されました。原書は2023年刊。
受賞歴の裏づけがあり、しかも構えずに読める——海外ミステリをこれから開拓したい方にとって、この二つが揃っている本はそう多くありません。おいしいお茶と料理につられて席についたら、いつのまにか事件の行方が気になっていた。
そんな読み方ができる、上機嫌な一冊です。