遺体には謎の暗号。
デスチェアの殺人
石打ちで殺された男の体に刻まれた解読不能のコード。ワシントン・ポー&ティリー第6作、シリーズ最暗部。
木に縛りつけられ、石を投げつけられて殺された男がいます。聖書に記された古い刑罰をそのままなぞったような殺害方法。
しかもその体には、数字とも文様ともつかない暗号が刻み込まれています。この一冊が読者に差し出すのは、そんな不穏きわまりない発端です。
ワシントン・ポー&ティリー・ブラッドショー・シリーズの第6作にして、「重大犯罪分析課 最後の事件」と銘打たれた、これまででもっとも暗い領域へ踏み込む物語が、静かに幕を開けます。奇怪な殺害方法の意味を追ううちに、読者はいつしか、人がここまでの残虐に手を染める理由そのものを見つめることになります。
物語の入り口
舞台となるのは英国カンブリア地方。元問題刑事のポーと、天才アナリストのティリーという凸凹コンビが、事件のたびに互いの流儀をぶつけ合いながら真相へ近づいていきます。
粘り強く現場を踏むポーと、データと論理で盤面を読むティリー。相性の悪そうな二人がいつしか手放せない相棒になっていく——その関係の変化こそ、続巻を追う最大の動機になってきました。
物語の発端で見つかるのは、木に縛られ石打ちで殺害された男の遺体です。被害者はあるカルト教団の指導者だった人物で、犯行にまとわりつく宗教的な象徴性が、捜査の最初から重く立ち上がってきます。
聖書の刑罰を模したかのような殺し方に、ポーは困惑を隠せません。なぜ、この殺され方でなければならなかったのか。
そして遺体には、複雑な暗号が刻み込まれていました。SCAS(重大犯罪分析課)の分析官ティリー・ブラッドショーが解読に手こずるほど難解なコード。
それは単なる模様ではなく、何かを指し示しているらしいのです。捜査の糸をたぐるうち、事件の鍵は教団の内部にあるのではないかという推測が二人の中で形をとりはじめます。
さらに輪郭の奥から浮かび上がってくるのが、15年前のある出来事——一人の少女が家族全員を殺害したという、痛ましい記憶です。当時の事件と、いま横たわるカルト指導者の死。
二つの時間はどこで交わるのか。そして人々が、それについて語るくらいなら口を閉ざすと言われる「慈悲の椅子(マーシーチェア)」とは、いったい何なのか。
読者はポーとティリーのすぐ後ろに立たされ、彼らがつかんだことだけを、彼らと同じ速度で知っていくことになります。しかも捜査班の足元は、外側からも揺さぶられます。
ポーの所属する重大犯罪分析課には上層部から嫌疑がかかり、内部にスパイが送り込まれる。チーム解体の危機が刻一刻と迫るなかで、二人は事件に向き合わなければなりません。
読みどころ
本シリーズが一貫して見つめてきたのは、「なぜ人間は追い詰められると暴力に向かうのか」という問いです。 本作はその問いを、これまででもっとも深い場所まで掘り下げていきます。
加害者と被害者を隔てる線がしだいに滲み、どちらの側に立つべきなのか読者の足場さえ危うくなる——そういう領域に、物語は臆せず踏み込みます。ここで試されるのは、事件の謎解きだけではありません。
ポーの現場主義とティリーの解析。二つの捜査スタイルがどちらも限界まで引き出され、コンビの関係性そのものがプロットの一部として動いていきます。
ふだんは軽妙なやり取りで場を和ませるティリーの存在が、暗い題材を前にしたとき、いつもとは違う重みを帯びて胸に迫ってくる瞬間もあります。事件を追うことが、そのまま人間の奥底を静かにのぞき込むことになる。
シリーズ最暗部という評判は、決して大げさなものではありません。
一方で、軽やかな謎解きや後味のさわやかさを第一に求める読者には、本作の重さはやや堪えるかもしれません。扱われる題材が題材だけに、読み進めるほど胸の奥がざらつく瞬間があります。
派手な見せ場で一気に加速するタイプの物語ではなく、暗い水底へゆっくり潜っていくような読み心地です。それでも、事件の背後にある人間の姿ごと味わいたい読者、警察小説の骨太な手触りを好む読者、そしてシリーズの二人がこの最暗部でどこまで連れて行かれるのかを見届けたい読者にとっては、忘れがたい一冊になるはずです。
作品の背景
ワシントン・ポーのシリーズ第1作『ストーンサークルの殺人』はCWAゴールドダガーを受賞して一気に注目を集め、シリーズはそこから『ブラックサマーの殺人』『キュレーターの殺人』『グレイラットの殺人』、前作『ボタニストの殺人』と巻を重ねてきました。
手に取るなら
現在の版はハヤカワ・ミステリ文庫(2025年刊、東野さやか訳)の上下二分冊。第6作にあたるため、初読でいきなり本書から入るより、『ストーンサークルの殺人』から順に追っていただいた方が、ポーとティリーの距離感の変化を最大限に味わえます。
とりわけ前作『ボタニストの殺人』を経てたどり着く二人の佇まいは、この最暗部でいっそう深く響いてくるはずです。
M.W.クレイヴンについて
M.W.クレイヴンは1968年、イングランド北西部カーライルの生まれです。16歳で英国陸軍に入り、除隊後はソーシャルワークを学んで、カンブリア州の保護観察官として16年間働きました。
2015年に長編『Born in a Burial Gown』で作家デビューしています。
2018年からは、国家犯罪対策庁(NCA)の刑事ワシントン・ポーと分析官ティリー・ブラッドショーが組むシリーズを書き継いでいます。その第1作『ストーンサークルの殺人』で2019年に英国推理作家協会(CWA)のゴールド・ダガー賞を、『グレイラットの殺人』で2022年にイアン・フレミング・スティール・ダガー賞を受けました。
書誌情報
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