ミステリーとしての読みどころ
著名人のもとに、押し花と一篇の詩を添えた予告状が届く。警察がどれだけ警備を固めても、「ボタニスト」と名乗る人物は宣言どおりに標的を仕留めてみせる——本書『ボタニストの殺人』が読者の前に据えるのは、そんな不可能めいた予告殺人です。
追いかけるのは、いまの英国警察小説を代表するコンビ。ワシントン・ポーとティリー・ブラッドショーです。
著者について
M.W.クレイヴンは、現代英国の警察小説でもっとも注目される書き手のひとりです。シリーズ第1作『ストーンサークルの殺人』(原書2018年)で英国推理作家協会のゴールド・ダガー賞を射止めてこの分野に登場し、以後『ブラックサマーの殺人』『キュレーターの殺人』『グレイラットの殺人』と着実に書き継いできました。
本書はその第5作。原書は2022年にコンスタブル社から刊行され、翌2023年にはテイクストン・オールド・ペキュリア・クライム・ノヴェル・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
英国ミステリ賞の常連となったシリーズの、現時点での到達点のひとつと呼べる仕事です。
主役の二人を紹介しておきましょう。ワシントン・ポーは、英国国家犯罪対策庁(NCA)重大犯罪分析課(SCAS)に籍を置く叩き上げの刑事。
規則を軽んじてでも筋を通そうとする、扱いにくいほど頑固な男です。相棒のティリー・ブラッドショーはSCASの内勤分析官で、並外れたデータ分析能力と、素直すぎるほどまっすぐな感性を併せ持つ若い才能。
現場の勘で動くポーと、机上で数字を読み解くティリー——このかみ合わない二人の掛け合いが、シリーズを一貫して支える魅力の核になっています。
物語の入り口
物語は、まったく無関係に見える二本の線から立ち上がります。
一本目の口火を切るのは、生放送のトーク番組です。女性蔑視の持論を得々と語っていた自称ジャーナリストの男性が、カメラの前で突然倒れ、搬送先の病院で息を引き取ります。
彼のもとには、事前に脅迫状が届いていました。警察はこれを殺人事件と見て捜査に乗り出します。
やがて浮かび上がるのが、「ボタニスト」と呼ばれる人物の影。標的に定めた著名人へ、あらかじめ押し花と詩を添えた予告状を送りつけ、警察が総力を挙げて守りを固めてもなお、言葉どおりに相手を仕留めてみせる——そんな不敵な連続殺人の輪郭が、少しずつ見えてきます。
予告されているのに防げない。この一点が、物語全体に張りつめた緊張を通わせます。
もう一本の線は、事件の熱気とは離れたところで、静かにポーの足元をすくいます。ある日、彼のもとへ一本の電話が入る。
友人であり病理学者でもあるエステル・ドイルが、実の父親を銃で撃ち殺した容疑で逮捕された、という報せです。現場は、ロンドンから五〇〇キロも離れたノーサンバーランド州。
ポーはただちにドイルのもとへ車を走らせます。信じたい友人と、突きつけられた容疑。
捜査する側にいたはずの刑事が、今度は「近しい誰かを信じる側」に立たされる。いつものポーとは勝手の違う、居心地の悪い立ち位置です。
華々しい予告殺人と、身内をめぐる沈黙の逮捕劇。方角も温度もまるで異なる二つの線を前に、読者はどちらの糸を先に手繰るべきか分からないまま、ポーとティリーの背中を追うことになります。
この二本がやがてどう交わっていくのか——その予感こそが、序盤からページをめくる手を止めさせません。
読みどころ
読みどころは、遠く離れた二つの線を一つに束ねていく論理の運びにあります。 接点のなさそうな事件が、シリーズならではの地に足のついた推理の積み重ねによって、終盤へ向けて少しずつ距離を縮めていく。
天啓のような閃きで一気に解くのではなく、分かったことを一つずつ確かめながら前へ進む——その手応えこそ、クレイヴンの構成力がもっとも冴える場所です。
もう一つ挙げるなら、ポーとティリーの関係の描き方でしょう。現場主義のポーが友人の容疑という私的な揺さぶりを受けるなか、データを淡々と読むティリーの視点が、物語の良い補助線になっています。
二人の細やかなやり取りを楽しみに読んできた読者の期待は、本作でも裏切られません。
一撃の大トリックや息もつかせぬアクションをまず求める読者には、二本の線を並行して腰を据えて追う本作の運びは、やや悠長に映るかもしれません。それでも本作の醍醐味は、派手な見せ場よりも、積み上げの果てに一枚の像が結ばれていく捜査の充実の側にあります。
人物の機微と組織の空気ごと物語を味わいたい読者、そして何より、ポーとティリーという凸凹コンビの掛け合いに一度でも笑い、唸ったことのある読者には、迷わず薦められる一冊です。
手に取るなら
邦訳はハヤカワ・ミステリ文庫、東野さやか訳、2024年刊。原書一冊が上下二分冊になったのは分量ゆえですが、二本の線が同時に走る構造をじっくり味わうための呼吸と捉えれば腑に落ちます。
既訳の『ストーンサークルの殺人』『ブラックサマーの殺人』『キュレーターの殺人』『グレイラットの殺人』を辿ってきた読者なら、第5作の本書は迷わず手に取ってよい到達点。ここから読み始めても物語の芯は十分に伝わりますが、二人の歩みを最初から知る楽しみも、シリーズものならではの役得です。