ミステリーとしての読みどころ
夕闇の迫るオックスフォード。ウッドストック行きのバスがなかなか来ず、待ちくたびれた二人の娘は、とうとうヒッチハイクに踏み切ります。
ほんの小さな苛立ちから選ばれた、ほんの小さな近道。ところがその晩、二人のうちの一人が死体となって発見されるのです。
『ウッドストック行最終バス』は、この何気ない一夜が取り返しのつかない事件へと転がり落ちていく、オックスフォードを舞台にした警察小説です。そして残されるのは、もう一人の娘はいったいどこへ消えたのか、という問いでした。
著者について
作者のコリン・デクスターは1930年生まれの英国作家です。本作は1975年に世に出た、その作家デビュー作にあたります。
デビュー作にして、のちに英国で最も愛される名探偵の一人へと成長していく人物が、ここで初めて姿を見せます。捜査の指揮をとるモース主任警部です。
物語は、この主任警部と、相棒であるルイス部長刑事のコンビが事件に挑む形で進んでいきます。二人の掛け合いを含めた、シリーズ全体の出発点を、この一冊で確かめられるわけです。
のちにモースはジョン・ソウ主演でテレビドラマ化され、国民的といっていい人気を博していきます。今日ではその名は、英国ミステリを象徴する名探偵の一つとして広く知られています。
けれど、その長い歩みがどこから始まったのかを知りたいなら、まず開くべきはこの本です。一人の作家が世に問うた最初の物語が、そのまま一つの時代を代表する探偵の誕生の記録になっている——そう考えると、第1作を手に取ることには特別な意味があります。
物語の舞台は、大学の街として知られるオックスフォード。日が落ちかけた時刻、二人の若い娘がウッドストック行きの最終バスを待っています。
けれどバスは、待てど暮らせど姿を見せません。停留所で募っていくのは、行き場のない苛立ちです。
しびれを切らした二人は、やがて通りかかる車に頼ることを選び、ヒッチハイクを始めます。ここまではどこにでもありそうな、ありふれた夜の一場面にすぎません。
異変が訪れるのは、その後でした。同じ晩、娘の一人がウッドストックの酒場の中庭で、変わり果てた姿で見つかります。
あれほど何気なく始まったはずの一夜が、一転して殺人事件の現場へと変わってしまう。日常とその裏返しがこれほど近くに隣り合っているのかと、この落差が読み手の背筋をひやりとさせます。
しかも捜査陣を待ち受けていたのは、亡くなった娘をめぐる謎だけではありませんでした。バスを待ち、一緒にヒッチハイクを始めたはずの、もう一人の娘の姿がどこにも見当たらないのです。
彼女はいったいどこへ行ったのか。事件とどう関わっているのか。
それとも無関係なのか。答えの糸口すら見えないまま、モース主任警部とルイス部長刑事は捜査に乗り出していきます。
手がかりに乏しく、決して恵まれたとはいえない状況からの出発です。しかしその心もとなさこそが、読者を物語へと引きずり込みます。
読者は二人の刑事のかたわらに立たされ、彼らがつかんだ事実だけを、彼らと歩調を合わせて少しずつ知っていくことになります。先回りして真相を覗ける特等席は、ここには用意されていません。
読みどころ
この作品が売りにしているのは、モース主任警部が最後に導き出す、鮮やかな解答です。 散らばった断片が一本の筋へとつながっていく道行きを、公式の惹句は「華麗なる論理のアクロバット」と呼んでいます。
天才的な推理を披露する探偵、魅力あふれる謎、そしてそれらが結ばれていく論理の運び——本格ミステリの醍醐味を存分に味わえる一冊として、本作は高く評価されてきました。シリーズの記念すべき第一歩が、同時に作者の代表作にも数えられる。
そういう幸福な出発点であることも、この本の見逃せない魅力です。
派手なアクションや息もつかせぬ急展開を第一に求める読者には、捜査の歩みそのものを追うこの語り口は、やや静かに映るかもしれません。事件はあくまで理を通して解かれていくのであって、力業でねじ伏せられるわけではないからです。
けれど、示された謎が一つずつ理詰めで解きほぐされていく手応えを楽しみたい人にとっては、これ以上ない一冊でしょう。英国の警察小説やオックスフォードの街の空気に惹かれる読者、そして長く読み継がれてきた名探偵の原点をその目で確かめたい読者には、迷わず薦められます。
手に取るなら
現在は早川書房のハヤカワ・ミステリ文庫で読むことができます。邦訳が刊行されたのは1988年のこと。
原書の発表からは時を経ていますが、論理で押し切るミステリの面白さは古びません。シリーズの記念すべき第1作ですから、モースの世界へ足を踏み入れる最初の一冊として、ここから読み始めるのが最も自然な入り口になります。
気に入れば、その先に長く続くシリーズの楽しみが待っています。名探偵と相棒が初めて肩を並べる場面に立ち会えるのは、第1作だけの特権です。